2025年9月23日火曜日

最終の地

東京にいる間に、大きな決断をした。


私は今池袋のホテルにいる。


猛暑の京都での片付けもやっと終わり、東京に移ってきた。


姉がスマホで予約するカーシェアで車を借り、何度か実家とマンションを往復した。

玄関には毎日燃やすゴミを積んでいた

2階納戸

2階寝室1

2階寝室2

2階寝室3


私が東京に移動したあと、姉の友人も自分の車を使って手伝ってくれた、ということ。




京都最終日には、伊勢丹のこけこっこでランチ。


こけこっこからは清水寺がきれいに見えた



その後同じく伊勢丹のカフェでコーヒーとケーキ。



東京では友人二人に会ったが、会ってない時は一人でご飯を食べ、一人でネトフリを見て、全く会話がない日もあった。

虎ノ門ヒルズでサラダ

横浜でメキシカン(美味しかった‼️)


こうしたランチを1800円ぐらいできれいなレストランで食べられるのは、シリコンバレーではありえない。


というか、アメリカの他の地域では食べられるところがあるのだろうか。


美味しいものが安く、医療費も保険ナシでリーズナブル。


歩いて遊びに行けるところも多い日本。


姉もいるし、老後は日本に住みたいとずっと思っていた。


が、今日心が決まった。


私が日本に住むことはもうない。


人生の終盤は愛する人のそばにいるべきなのだろう。

と言っても、必ずしも夫のそばという意味ではxxが

2025年8月29日金曜日

もうすぐ日本で片付け

ボケそうだ。


いや、厳密に言えばボケが進行しそうだ。


サンノゼにいる時は、しなければならないことが、ない。


医者に行くことぐらいしかない。


昨日は胃カメラを受ける前の予備診察を受けた。

手前の診察台に私が座り、
医師はコンピューターモニターの前の椅子に座る


今年の3月18日に受ける予定だった胃カメラ。


17日の朝医者オフィスから電話がかかってきて、ドタキャン(LA在住のドクターのお嬢さんが突如入院したため)になった。


その後予約を取り直そうにも、胃カメラは受けたあと2週間飛行機に乗ってはいけない、と受付のスタッフに言われた。


2週間飛行機に乗らないことがあまりないので、なかなか予約できない。


6ヶ月たつと、改めて医師の診察が必要で、昨日診察を受けた。


結果、胃カメラ検査は11月中旬に受けることになった。


下のカレンダーは、検査を受けることができない日を黄色で塗りつぶしたもの。



医師に確認すると、胃カメラのあと1週間は飛行機に乗らない方がいい(胃壁出血の可能性があるから)、2週間じゃなくても良い、ということ。


日本では新幹線に乗るのも、1週間はNGと言われるらしい。


とにかく、胃カメラ検査がクリアになれば、この数年で殆どのがん検診を受けたことになる。


なにしろ医療保険を毎月数万円(65歳からは安くなってその金額)払っているので、できることはしておこう。


9月初旬に日本に行き、中旬から猛暑の京都で片付けることになったが、台風も心配だ。


調べてみると、2021年までの京都は9月になると涼しい日が多かった


姉からのメールによると、リビングルーム床下に大量のモノを見つけたということ。


これらも始末しないといけない。


まあ、アメリカにいる時は何も起きない毎日。



昨夜近所を歩いたら、秋の空になっていた


ネットフリックスを見るだけが楽しみ、という生活の中、日本行きは刺激になる。


ちなみに、ネットフリックスでは「ホットスポット」が一番好きだ。


なぜかわからないが、好き過ぎてその理由を分析してみたいほど、好きである。


片付けのあとには美味しいランチを食べて乗り切ろう。


飴と鞭だな

2025年8月13日水曜日

8ヶ月前に壊れた冷蔵庫、その後

バタバタしている間に、8月中旬になってしまった。


その間にあった一番大きな出来事は、8ヶ月ぶりに冷蔵庫がキッチンに復活したことだろう。

この冷蔵庫は奥行きがカウンターから
出っ張らないのが気に入ったのだった


去年のサンクスギビング前日(11月末)に壊れた冷蔵庫。


その時点で冷蔵庫は買って13ヶ月たったところだった。

修理が終わるまで長丁場になるとわかっていたので、
Costcoで小型冷蔵庫を買った


保証期間は前月切れたところで、7回修理のアポを取りそのうち4回は当日ドタキャン。


1回目はBosch(ボッシュ)から送られて来た家電修理技術者が修理しようとしたが、パーツが足りないということで、直らず。


$280支払った。


結局3回修理をトライした末に、ギブアップ。


その後ボッシュ社にどういう状況なのか尋ねるメールを何度も送ったが、全く返信がなかったので、テレビ局にコンタクトして介入してもらった。


夫とテレビ局とのメールが何度か往復したあと、やっとボッシュも動いた。


パーツがないので、新しい冷蔵庫を送ります。


が、我々(ボッシュ)がすることは、冷蔵庫を配達して車庫に置くまで。


車庫からキッチンまでの移動はご自分でどうぞ、古い冷蔵庫の破棄もご自由に。


車庫と家の間は段差もあり、一人で動かすのは無理だ。

巨大な箱入り冷蔵庫をガレージに置かれてもねえ・・・


結局夫が友人2人にランチをおごるのと交換に、キッチンから古い冷蔵庫移動と、ガレージからキッチンに新しい冷蔵庫を運び混むのを手伝ってもらった。




やっと入った冷蔵庫。


アメリカのカスタマーサービスなんてこんなものだ。


日本人の感覚だとありえない、と思うことが当たり前の国。


お店で文句を言っても無駄。


店員さんは"I just work here."と言うだけ。


つまり、私の責任じゃないけど?私はここで単に働いているだけなんだし?と。


日本のように、店員さんが謝ることなんかない。


それに対してイライラしても、自分が不快な気分になるだけ。


古い冷蔵庫は翌週サンノゼ市の大型ごみサービス(無料)に、引き取ってもらった。


小さなパーツが手に入らない、ということで、新品に見える数千ドルの冷蔵庫がゴミとして捨てられる。


これがアメリカの現実。


子どもが冷蔵庫に入ったりしないように、紐でドアを固定した

やっと冷蔵庫騒動は終わったが、多分またすぐ壊れるだろう。


とにかく、氷を自動的に作る冷蔵庫というのは、壊れやすいのだとあちこちで聞く。

便利だが、今後は氷を作らない冷蔵庫を買うつもり


昔ながらの、シンプルな冷蔵庫が一番良いのだろうという結論に達した。


つくづくこういうシンプルな冷蔵庫で良かったのだろう、と思う

さて、数日前コロラドに着いた。


孫1の8歳の誕生日を祝うため。

私が到着すると、その日から私の部屋で寝る孫ズ


長男の子ども、孫#3は10ヶ月になったがとても育てやすいようで、女子と男子の差なのか、親の性格の差なのか。


手話も教えている、これは「もっとちょうだい」という意味


孫ズはこうしてどんどん大きくなり、私もその分年を取ったのだなあ、と強く感じる。


いよいよ、老後どこで暮らすべきか、と真剣に考え始めた。


現在のカリフォルニアの我が家はいつ火事で失うかわからない、と日々思う。


引っ越すなら今しかないような気がする。


ということで、その地に住むとしたら、と新たな場所の新たな家での新たな生活のことを考えたりもする。


これぐらいの規模の家で充分。


さて、その地とは・・・

2025年7月25日金曜日

カリフォルニアの夏

 寒い。


異常に寒い夏だ。


ベイエリアのここ2ヶ月の気温は、過去30〜40年で一番低い夏の始まりになったらしい。

アメリカのニュースでも海面温度が話題になっている


が、内陸部や標高の高い地域では、ニュースになるほどの高温が続いている。


内陸に80〜100㍄(130〜160km)入ると、記録上最も暑い初夏らしい。

ベイエリアは寒流なので夏も海には入れない
南カリフォルニアは暖流なので入れる


今週は特に寒い初夏になった。


が、8月から10月にかけては猛暑の可能性が高いらしい。


1ヶ月後にはカリフォルニアで、多くの山火事が起きるだろうということ。


我が家は裏庭からすぐのところにトレイルがあり、山もある。


なので、私は家を売って引っ越すべきだ、とずっと夫に言い続けている。


が、夫は聞く耳を持たない。


売ってどうするんだ、と同じ答え。


不動産がこんなに高騰したシリコンバレーで、家を買うのは難しい。


今住んでいる家を売りに出しても、まず山火事リスクを考えてバイヤーは尻込みするかもしれない。



京都では姉が実家の片付け、ゴミ出しで、酷暑の中マンションと実家の間を往復している。

予想気温は遂に40℃という日が出た


が、もうこれ以上は無理、というところまで来ている。


愛犬アプの散歩も朝5時までにするしかない。


私が京都にいれば、早朝片付けができるけど、9月初旬まではサンノゼにいる。


サンノゼにいる時は時間もたっぷりあり、今後何かのタスクがない限りボケてしまいそうだ。


ネットフリックスで見たい日本の番組も、アメリカでは配信されていない。


日本でダウンロードしてきたゴロ~さんを毎日観るばかり。

ダウンロードしたゴロ~♪が多過ぎて
観るのが追いつかない


そのダウンロードも今朝起きたら・・・


今日から何を糧に生きていけばいいのか
😭😭😭😭😭

2025年7月18日金曜日

コロラドから帰宅

姉がマンションに引っ越したのは本当に良かったと思う。


実家は思ったよりも安く売れて、姉の老後計画は狂ったかもしれないが。


マンションは52㎡ぐらいだが、洗面所や廊下も仕切りドアを開け放しておいて、エアコンをつけると涼しいらしい。

昨日は買い物に、とマンションを出たら
祇園祭の山鉾巡行に遭遇したらしい


実家は玄関、廊下、階段、洗面所、風呂場が暑い。


私が滞在した9日間は6月なのにとても暑く、36℃近くになった日もあった。


今年が暑い夏なのではなく、もう今後涼しい夏はないのではなかろうか、と思ってしまう。


家の引き渡しは10月初め、それまでに家の中には何もない状態にしなければならない。


タイミング良く9月30日までZIP AIRが安かったので、9月初旬のチケットを取ったが果たしてどこまで捗るのか。


2024年9月の気温


到着後東京に3泊、それから京都に移動、京都で1週間から10日滞在する間にできるだけ片付ける。


片付けをしてくれる業者を雇うことにしたが、それでもまずは自分たちで捨てられるものは捨てたい。


姉はマンションから家に通っているが、7月前半で38℃に達した日もある京都。


多分8月は40℃近い(あるいは超える?)日も度々ありそうだ。



さて、2週間のコロラド滞在を終えて、昨夜サンノゼに帰ってきた。


裏庭のどこかに巣を作って住んでいる鷹(イーグル)


飛行機が2時間遅れて、夜中の23時半にサンノゼ空港到着。


アメリカのあちこちで異常気象が発生し、飛行機にも影響が増えて来た。


次男のビジネスは、投資家自身が関税のこともあり難しい状況の中にいて、色々調整が必要でなかなか進まない。


今はビジネスにおいて世界中が不安定な時なので、焦らずに待つしかないのだろう。



ポゴスティックで果てしなく跳ぶマゴ1
しかもショートパンツがずり落ちるのを押さえながら
猛暑の中40分跳んだ時点でやめさせた


が、マリーだけのお給料では今後生活が逼迫する可能性も出てくるかもしれない。


まだ貯金があるから大丈夫、と言いながら大きな不安は抱えていることだろう。


とりあえずビジネスを進めながら、次男は他にも仕事をするようだ。



遠景にまだ雪が見える



そう言いながらも、コロラドを発つ直前、KOMATSUのユンボが次男の家の庭に運ばれてきた。


庭のこの辺りに、ゲストハウスを一つばかり
作ってくれんかのう

2025年7月8日火曜日

京都の家が売れた

9月に、日本にまた行くことになった。


去年は1月、5月、10月と日本に3度行き、今年も5月、6月、9月の3度。


9月でも下旬までずっと暑い日が続く京都。


以前は祇園祭山鉾巡行(7/17)が終わると一気に暑くなる、とよく言われていた。


が、私が行った6月後半は、毎日35℃を超え、タクシーを捕まえるのも難しかった。


最初の売買契約が頓挫したあと、4つの工務店が実家の買取希望金額を提示してきて、そのうちの1つに決めた。


昨日が契約日だった。


築35年の家。


バブルの時に建てられた家なので値段も驚くほど高かったが、買ったのは私の家族ではない。


ニュージランド人が買って、地下室をあとから増築した。


当時3軒となりに住んでいた父はこの家が気に入って、いつか中古で売りに出たら買いたいといつも言っていた。


私は「この家」の住人と仲良くなって、売るようなことがあったら声をかけて、と頼んだ。


その日が来て、父と姉が半分ずつ出し合って買ったのである。


今回この家は、35年前の値段を考えると信じられないほど安い金額で売れた。


まあ、元々がバブル値段だったので、妥当なのかもしれない。


両親の思いがこもった家。


が、家から景色がいいのは坂を登らないといけない、ということだ。


しかも崖地に建っているので、メンテナンスも定期的に必要で、70歳を超えた姉には手に余るお荷物となった。


マチナカに引っ越した姉は、毎日アプを連れて御所に散歩に行く。


お昼になれば、近所のレストランに行くことができる。

今どき信じられない値段の近所のお店
安くて(890円)美味しい

ご飯は半分にしてもらった


実家のゴミは私と姉で始末する予定だったが、プラスチック容器、箱、冷蔵庫や家具などは全て置いて行く予定だった。


なのに、状況はひっくり返り、家を空っぽにしなければならなくなった。

布団、収納ケース、家具などは片付けなくて良い、
という算段をしていたのだが・・・


燃えるゴミの日、燃えないゴミの日のゴミ出しは隣のNさん(40代)にお金を払って頼んでいた。


Nさんは専業主婦で、ちょっとした仕事を喜んでしてくださっていた。


が、そのNさんが膝の軟骨欠損症にかかり、4週間半入院することになった。


引き渡し日が10月初旬なので、それまでに姉と私とで全てを捨てることになる。


一番大変なのは地下室の物を地上に持ち上がって捨てること。

地下室から1階に上がる階段がとても狭いので、
荷物を持ち上がるのが難しい


これはシニアサービスを頼もうと思ったが、無理だとわかった。


しかも、今年も9月は残暑が厳しそうで、どこまではかどるのか疑問。



日本行きの計画を練る毎日の中で、楽しい行事もあった。


次男夫婦が友人たち、隣近所の人たちを独立記念日ストリートバーベキューに招待した。


集まったのは家族を入れて30人ほど。

夫家族が来なかった(夫の甥家族だけ来た)ので、
リラックスできる集まりだった


あちこちで花火が上がっているのだが、近所の人は長時間にわたり高価な($5000ぐらい)花火を上げ続ける。

花火というものがそんなに高いとは知らなかった


その花火を見ながら次男夫婦が、プライムリブビーフで作ったハンバーガーを焼く。

焦げた3つはベジタリアンのためのハンバーガー


コロラドの牛肉は美味しいと言われるが、確かにハンバーガーも美味しいと感じる。



馬のいる家も多くハエも多いのだが、焼いたハンバーガーやホットドッグにたかってくるハエを追い払ういいものがあった。


なんてスマートなグッズなの‼️と感嘆の声がゲストから上がる。


日本人であることを誇りに思う瞬間

2025年7月3日木曜日

京都の家その後

日本には6月最終週まで滞在した。


実家で来る日も来る日も物を捨て続け、古いアルバムに目を通し、母の尋常小学校の時の通知簿を写真に撮り・・・

母の通知簿を見つけたおかげで、母の住んでいたところがわかった
横浜市神奈川区大口仲町71番地


と、1週間強そんなことばかりしていた。

姫路に住んでいた祖母からもらったオルゴールは、
姉も私も捨てることができなかった


5日目に体中に湿疹ができた。

父の膨大なカメラコレクションは全て片付いている、と思ったのに、
また地下室から大量に出てきた


古いアルバムや通知簿についたダニか‼️とシャワーを浴びたが、遅かりし。

数えると家全体で47枚の窓ガラスがあったが、それも全部拭いた

それでも、とんでもなく暑い(35℃)京都の日々が終わった。

姉マンション近所のコンセプトスタバからは六角堂が見える


全身の痒みと戦いながら最終日を終えて東京に移動してきた。

新幹線ではいつものたん熊のお弁当(飽きた‼️)


ギブスでかぶれて痛くなったマレット指を診察してくれた池袋の皮膚科に行く。


身体の痒みは汗から来たもの。


元々ひどいアレルギー体質なので、肌に残った汗にかぶれたのだ。


皮膚科の待合室で順番を待っていたら、フロントの職員が私のところに来てヒソヒソと話し始める。


外国の方で日本の健康保険を持っていらっしゃらない方は、治療費が2倍になると決まったのですが、大丈夫でしょうか。


いや、アカンと言ったらまけてくれるわけ?


そんなことはないだろうから、仕方なく、はい、大丈夫です、と答えた。


ドキドキしたが、診察後薬などたくさんの軟膏も含めた診察代は5920円‼️


すごいな、ニッポン。


しかし、それでいいのか?ニッポン・・・

帰国の飛行機がアメリカに着いた時、ゴールデンゲートブリッジを探したが、
実はサンノゼに到着するフライトだったことを忘れていた


サンノゼはすこぶる快適な温度である。


近くの海岸、サンタクルーズに真夏に行っても海には入れない。


寒流だからだ。


姉が送ってくれたテレビ画像、日本周辺の海水温は
高温で黒に近いが、サンノゼ(黒の矢印)は海水温が低い


身体のかゆみが一気に消えた。


こういう気候が果たしていつまで続くか、はわからないが。


そして昨日コロラドに飛んできた。



今年13回目のフライトである。


デンバー空港に着く前、上空での雷のためニューメキシコ、テキサス、オクラホマ、カンザスと経由してデンバーに着いた。


実は6月23日、私が東京に移動した日は、実家をほしいと言ってくれた人との売買契約の日だった。


が、その日の朝キャンセルになった。

庭もきれいに整えたのに・・・


この人は、実家をとても気に入ってくれて、何度も足を運んで決めてくれたのだ。


私が全て片付けますから、なんでも置いたままにしてくださっていいですよ、とまで言ってくれていたのに。

家具、アプのケージやマット、アンティークの置物などなど
全て置いて行く予定だったのに・・・


が、大きな修理をしないといけない部分がある、ということに躊躇したらしい。

ということで、捨てる作業のために
2ヶ月半後に戻ります、猛暑ニッポン😭