2019年2月3日日曜日

父のハンカチ

父の死から2年半がたった。



そして最近父のことをよく考えるようになった。



多分今までは父のことを考えないようにしよう、と思い出をブロックしてしまっていたのだと思う。



父は自分の趣味や母のためには思いがけないお金を使うことはあったが、娘たちに1円でも多くお金を遺したいと考える人だったので、色んなところで節約をしていた。



こう書いていて気がついたが、これは私の夫がよく似ているところだ。



自分の趣味のためにお金は使わないが、息子たちに1セントでも多く遺したいとせっせと貯金をしている。




1970年代から母の介護のため父は働きに出ることができなくなった。



母の介護補助金(薬害のため国から少額だが補助金が出ていた)と自分のなんらかの収入を必死で節約する。



千円でも貯まればそれを投資して少しでも増やそうとしていた。



日々暇さえあれば、外貨預金や投資信託の記事を、スクラップブックに貼り付けていた姿を覚えている。

父のスクラップブックから出てきた切り抜き(これは東京銀行?)
昭和55年頃、郵貯固定金利貯金などは10年で2倍になったらしい




父の預金は少しずつ増え、孫たちにおもちゃを買ったりお小遣いをあげたり、私が介護往復をする時に飛行機代を負担してくれることはできるほどになったらしい。




孫煩悩だった両親
これは父が67歳の時


なのに、後年私が父を病院に連れて行ったあとモールでお買い物をしようと言っても、父は百均にしか行きたがらなかった。




父の遺品を整理すると、父が遺したものはほとんど百均のものばかりだった。



百均の物を買う時だけ、父は無駄遣いをしているという感覚がなかったのだろう。



父の物は父の死の10年ほど前から少しずつ姉と私とで整理していた。



なので、遺品は気が遠くなるような量ではなかった。



便利グッズが多かったが、値の張るような物もない。


こういうものばかりだった


だが、その中の一つの物を私は大事にしている。



ベッドサイドテーブルに入れて、時々取り出しては父を懐かしむ。



それがこれだ。

父特製タオルハンカチ



タオルのハンカチがほしい。



でもタオルは家にたくさんあるから、わざわざハンカチを買うのはもったいない。



なら、そのタオルを切ってハンカチサイズにすればいいのではないか。



父はそう考えたのだろう。




が、仕事と介護で忙しい長女(私の姉)に縫い物を頼むわけにはいかない。



次女の私はアメリカに住んでいる。



だから父が一針一針縫ったのだろう。



この縫い目を見るたびに、なんでもう少し父に優しくしてあげられなかったのだろう、と私は今でも涙する。




一応色の組み合わせは良いが




私にひとこと言ってくれればもう少し綺麗に縫ってあげられたのに。



そう思いながら、自分の履いているパンツの裾上げしたところを裏返してみる。



父に負けとるがな

6 件のコメント:

  1. 切ない、切ない(涙)。
    親の心子知らずなどと言いますが、自分は全然わかってなかったです。
    両親の思いをまだ封印しています。
    洒落たインディゴに色合わせした糸のタオル、宝物ですね。

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    1. 美知子さん、
      やはり美知子さんもご両親への思いを封印されてるんですね。
      私は母のことは明るい穏やかな気持ちで思い出すことができるんですが、父に関しては後悔が多いんですよ。
      あの時あんなに冷たい態度をとるんじゃなかった、もっと優しい言葉をかけてあげればよかった、などなど思ってしまうんです。だからもうしばらく考えないようにしています。

      インディゴですか!紺色というよりインディゴと言うとなんだかとっても素敵なタオルに見えてきますね^^

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  2. 親心は本当に心に響きますね。手作りのタオルハンカチ、見るだけど涙が出ます。

    私が勝手にミキミーさんに親近感を感じているのは、年齢が近いとか職業が同じだということだけではなく(ありがたいことにまだ両親は健在ですが)アメリカに住んでいる以上、近い将来介護とか、もしかしたら親の死に目に会う事が出来ない事があるかもしれないという気持ちがあり、介護生活をずっとしてこられたミキミーさんの経験がとても参考になったからです。

    老いて、会うたびに歳をとってきたなという感じはあったものの、ずっと両親だけで生活をしているので介護はまだ先の話だろうと思っていた矢先、母が去年の12月の半ばに倒れました。大学病院のICUに運ばれて危篤状態に陥り死に目に会えないかもと一時は覚悟をしましたが、年末年始3週間ほど看病する事が出来ました。幸運にも持ち直し今では他の病院に入院していますが、根本的な治療は出来ない病気なので今後は神のみぞ知るところです。

    ミキミーさんのお父様と同年代のうち両親も、貧乏育ちだったこともあり、家族を持つ事がなかった私のために節約して、ケチをして、お金を貯めてくれています。母が家で履いていたかかとを繕った靴下を見るたびに親って本当に有難いなぁと感じる毎日です。

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    1. 寅吉さん、
      ありがとうございます。親近感をどんどん感じてくださいね^^
      ブログを始めて良かったと思うのは、こうして今までは接点がなかった方々と知り合えることです。本当にありがたいです。

      多くの方が先の見えない介護に悩み、どこかに出口がないかと模索されますよね。私も介護をしていた頃は向こう側に灯の見えないトンネルの中にいるようでした。今は夫の介護が必要になったらできるのだろうか、なんて先の心配までしてしまいますよ。
      介護はいつふりかかってくるかわからないので、今はご両親がとりあえず自立していらっしゃっていても、やはり先のことは心配になりますね。病院も状態によっては3ヶ月以上たつと退院させられるし、父はその後老健に入りましたが、そこも3ヶ月が限度と言われて本当に不安な毎日を過ごしました。

      私たちの親の世代はほとんどが貧乏でしたよね。だから食生活も質素だしよく歩いたので年を取っても健康なのかも、といつも思っていました。寅吉さんのお母様も体はお強いのかもしれませんね。
      親は(ほとんどの場合)子供を絶対恨まない、といつも自分に言い聞かせています。そうじゃじゃないと、あまりにも親に対する後悔が多すぎて・・・

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  3. 「子供のために少しでもお金を残したい」、、うちの義母が今そんな感じです。新しいものはなにも買いたくない、自分のためにはお金を使いたくない。年を取って自分の先が見えてくると、そんな気持ちになる人が多いのでしょうか。しばし休まれていたブログの復活がうれしいです。最後のオチにいつも心を癒されます(笑)。お姉さまは京都で良いマンションが見つかったのでしょうか?鯖寿司のお店、いつか私も行きたいです。

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    1. オレンジさん、
      やはりオレンジさんのお義母様もそうですか。年を取ると無欲になっていくんでしょうか。私は欲張りなのでそういう境地に早く達したいです^^;
      ブログ復活を喜んでくださってありがとうございます。がんばらねば〜。

      姉は今あまりマンション探しを積極的にはしていません。この数年で京都のマンションの値段はものすごく高騰し、街中はサンフランシスコ並みの値段ですよ。実家は崖地に建っているので価値ももうほとんどありません。だから、マンションを買うことはそのまま姉の老後資金が大きく減ってしまう、ということなので躊躇しますよね。

      鯖寿司のお店行ってみてくださいね。その時はちゃんと分厚い部分が当たったかどうかお知らせください^^

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