見てみると母の介護をしていた頃は毎月アメリカから日本か、日本からアメリカに移動している。
なのに30分で帰ってこないと『何か事故があったのではないか。』とか『母の熱が37度もある。すぐ看護師さんに連絡してほしい』と不安神経症の父から携帯に電話がかかってくる。
京都の家を出る時は、両親を残してアメリカに帰国してしまうことへの罪悪感、そもそもアメリカに移住という自分勝手なことをしてしまったという後悔が心を重くしていた。
とはいえ、やっと気候のいいカリフォルニアに帰り、介護のことをしばらく忘れられる、という開放感は大きかった。
姉はそういう開放感を持つことがもう何年もなく、いつも出口のないトンネルの中にいたような気がしていたらしい。
でもそのことで私を責めることはなかった。
だから日本滞在中は、普段姉がしていた介護をできるだけ私が引き受けるようにした。
そして私が帰国した途端父は姉に心底頼り、何か不安があると職場にいる姉にすぐ帰ってきてくれと叫ぶように電話するのだった。
両親ともいなくなってしまった今、後悔、悲しみ、懐かしさを持って二人を思い出す。
が、それでもこの先親が苦しみながら死ぬのではないか、お金が続かなくなるのではないか、自分自身が健康を損なって介護できなくなるのではないか、といった不安がなくなり、やっと介護が終わったんだという安堵感もある。
去年の11月12月は、介護がなくなって以来初めて、姉と夫と3人で神社仏閣を廻った。
やはりこの時もできるだけ拝観料を払いたくないので、安いところあるいは無料のところを優先的に訪ねる。
いつも行く南禅寺水路閣ー無料 |
六義園ライトアップ−300円 |
夫のために大判振る舞い、東福寺ー400円 |
東寺ライトアップ1000円!!! が、なんと!門前にいたカップルに 『拝観券が余ったので差し上げます』と無料で拝観券をもらってしまった! |
こうして、京都や東京で観光をしている時も、突然ホームの相談員さんから父のことですぐ来てくださいと電話がかかる心配もなく、ゆっくり過ごせるのが嬉しかった。
こんな時姉はやはり一緒に戦った戦友なのだなあと思う。
京都最終日、夫が醍醐寺に行きたいと言う。
行ってみると醍醐寺は、紅葉シーズンのため拝観料が普段の800円から1500円に跳ね上がっているではないか!
腹が立つが仕方ない。
夫だけを入らせて私と姉は外で待つことにした。
夫を待つ間姉が言う。「醍醐寺は五重塔をただで見られる場所があるって聞いたわ。」
「見つけた!」と西大門と霊宝館の間にある土手をよじ登る姉。
電話がかかってくるかもしれない心配はよくわかります。
返信削除母から時差のことがよくわからなくなってしまい、真夜中にかかってくることがありました。
寝ていて応えるのが間に合わず、留守番電話に「あれっ、いないのかな?」と残っていました。
もうその電話は使っていませんが、母の声が残っている電話機は大切にしまっています。
以前春に京都を訪れたとき、タクシーの運転手さんに、清水寺を一望できる場所へ連れて行ってもらったことがあります。
地元の方はそんな秘密の場所をご存じですね。
うらやましい。
美知子さん、
削除あれっ、いないのかなというお母様の声をそのまま残しておきたい美知子さんのお気持ち、よおくわかりますよ。
自分に話しかけてくれている声。すごくせつないですね。
私も父のビデオはたくさん撮ったのに、母のは撮ってないのが悔やまれます。
iPhoneを使い始めて最初の数年は写真とかビデオを撮ることにあまり慣れていなかったんですよね。
え〜っ、清水寺を一望できる場所?
知りませんでした!
清水寺は大好きで、2年に1度ぐらいは行きますがそういうのは地元の人間も知らなかったりするんですよ。
いいタクシーの運転手さんに当たりましたね〜。