当時の主治医の森先生の診断(昨日のエントリー内)は、今の状態にも当てはまるところがある。
ここで意識レベルを上げて食べるようにする、そして体重を増やして元気になる。
これがラストチャンスです、と先生に言われた。
この時は先生の診断をプリントにしてホームのスタッフに配った。
皆で協力して父を回復させてくれたホームの当時の園長さんやスタッフには、本当に感謝している。
が、父はもうダメだろうと感じるところが前回と違う。
つまり、前回の父はまだまだ生きる力を持っていたのだが、転倒をきっかけに発熱し、負の連鎖で脱水症状が進んだ。
今回の父の身体は老衰で食べなくなった。
前回の食べないと死ぬ、という状態とは違って、今回は死が近づいてきたので身体が食べるのをやめた、という状態のようだ。
認知症も進んでいるので、普段の意識レベルが以前より低下している上、父自身がもう生きる気力がないと言うのも大きな違いだ。
あの時はまだまだ回復する父が想像できたが、今回はそれも想像できないほど弱々しい。
4月の時点では、父とおしゃべりをしてホームの部屋を出る時、父は私に帰るな、帰るなと騒いでいた。
あれはたった2ヶ月前のことなのだ。
今は父がぼんやりとしている時、ホームのスタッフに声をかけて黙って部屋を出ることにしている。
父はそこで騒ぐ気力ももうないようだ。
手を振りながら何かの不満を呟いているような時もあるが、そこにはしっかりした意識が伴っているようには思えない。
無気力な目で宙を見ている時が多くなった。
この夏を越すのはもう無理なんじゃないか、と姉と話している。
今日もお昼ご飯を食べるのを介助するためにホームに行ったが、父は2口食べただけだった。
ゼリー状にした飲み物も口に入れた途端吐き出してしまう。
ホームの相談員から『看取り』という言葉が出た。
看取りの仕方を学んだということだ。
超高齢者が老衰で飲食ができなくなった場合、点滴をすることは心臓に負担がかかり、水分も体にたまってしまう。
本人が苦しいだけだから、病気を治す場合だけしか点滴はしない。
今日も父は何かが不快らしく、しきりに両手を挙げて文句を言っている。
最後までそういう父の性格は残るんだなあ、と見ていると少しイラつくが体のあちこちを調べて不快部分を探してあげる。
が、特に何もあるわけではないようだ。
それでも洋服や足を直してあげたり、微熱があるのでアイスノンを置いてあげたり、ヨーグルトを飲ませてあげたり。
老衰で死ねる父は幸せだ、92歳なんだし長生きできた、それも住み慣れたホームで看取ってもらえそうだ、と考えるとある意味満足感がある。
良かった、これは理想的な最期ではないか。
今父が死んでもそれは寿命なんだ。
正直日米往復するのも本当に疲れてしまった。
そう考えながら、スーパーでお昼ご飯を買って帰ることにした。
だが、スーパーのどこを見ても、もうすぐいなくなるかもしれない父が、以前よく買って来ていたものしか目に入らない。
特に父が夕食のあと、毎晩抱えこんで食べていたパンが目に飛び込んで来た。
もっとおいしいものを買って食べればいいのに、娘たちに少しでもお金を遺したいという思いの強かった父が食べていたパン。
このパンの棚の横に立って、いつまでも嗚咽しながら泣いた。