何故なら父がほとんど食べなくなってきたからだ。
点滴をするべきなのか、それとも胃瘻を勧められるのか。
父はこの4年で2度危険な状態に陥った。
2度とももうダメだろうと思われたのが、父は余程丈夫なのだろう。
2度とも奇跡的に回復した。
さすが戦争をくぐり抜けて生きてきた世代、と感心したものだが、今度こそもうダメだろうとなんとなく感じる。
父自身に、生きる気力がなくなってきているのがわかるからだ。
次が2014年10月の感染症から脱水症状を起こした時。
この2014年時の父の主治医森先生の診断は、ここに詳しく書いている。
現在父は37度から38度の熱があり、抗生物質を処方されたが吐き出してしまうことが多い。
だから1日一回の点滴で体内に入れている。
『死も人の大切な営みの一つです。
ですから、その時がきたら人の身体は楽に逝けるよう、死の準備を始めるのです。
身体はどうすれば楽に逝けるかを知っています。
それは、草や木と同じ、枯れるように逝くことです。
前と同じように食べられなくなったからといって、無理に食べなくてもいいのです。
身体は楽にいくために体内の水分をできるだけ減らそうとしていきます。
そんな時無理に水分や栄養を入れると、身体に負担をかけることになるます。
むくみが出たり腹水がたまったり、痰も多くなってしまうのです。
死は人の最後の営みです。
その時が近づいたら、身体が求めるままにうとうとと眠り、食べたいものを食べたいだけ口にしてください。
その穏やかな寝息を聞きながら、家族はお別れの時が近づいていることを静かに覚悟することでしょう。』
つまり、医療で最後まで直すことを追求するのではなく、亡くなるまでどう生きるかを追求して、いつか必ず人間は亡くなるということとしっかり向き合うことが大事なのだ、ということなのだそうだ。
つまり、医療で最後まで直すことを追求するのではなく、亡くなるまでどう生きるかを追求して、いつか必ず人間は亡くなるということとしっかり向き合うことが大事なのだ、ということなのだそうだ。
しかし、このまま父を逝かせることができるのか。
家族としてはやはりむずかしい。
どんな状態でもやっぱり生きていてほしいな、と思ってしまうほど父がいなくなるのはつらい。
これから色々な決断をしないといけないのだろう。
誰も役に立たん・・・