2018年6月4日月曜日

母 幸福な一生

母の最期も納得できるものではなかった。あの時シーツ交換をしていた看護師さんたちは、母の心拍数がどんどん下がり始めたのがわかっていたはずだ。そこまで下がって母が蘇生できないのもわかっていたはずだ。

が、もう誰のことも恨んでいない。

あの時ああしていたら、と後悔しても自分が不幸になるだけだ。後悔の感情は何も生み出さない。過去を変えることはできないのだから。後悔を引きずれば次に進めない。母は自分が死んだあとの父を心配しては大泣きしていた。姉や私にも後悔の感情を持ってほしくないだろう。

母が亡くなった9月24日は突然気温の下がった日だった。その前日まで京都は酷暑が続き、病院への往復は大変だった。母が荼毘に付されるのは9月27日。涼しくなってよかった。母と3晩も一緒に過ごせる。

母の死に顔は本当に安らかで、母が一番綺麗に見えた日だった。

そしてその日は過酷な介護が終わった日でもあった。

今晩から寝られる。アメリカと日本の介護往復も終わる。母には悪いがホッとする気持ちもあったのだ。

過酷とはいえ、もっともっと過酷な介護をしている人は多いだろう。認知症の介護の過酷さに比べると母の介護はなんでもない。夜中じゅう痰吸引をしないといけない介護もある。母は2時間続けて眠ってくれることもあった。毎晩15分置きに起きていたわけではない。一番つらかったのは、先が見えないことで精神的に追い詰められていくことだった。

母の一生は何だったのだろう、とこの8年間考え続けた。ずっとずっと母のことがかわいそうでたまらなかった。母はスモン病という理不尽な病で半生を失ったようなものだ、目も見えない、歩けない。なのに国は母が一家の大黒柱ではないから、という理由で保証金さえ殆ど出さなかった。大人になってそれを聞いた私はなんて理不尽なんだ、とやるせない気持ちになった。

が、最近気がついた。

母は不幸ではなかったのかもしれない。

なぜなら母には何よりも打ち込める編み物という趣味があった。ある日、目が見えなくても編み物はできる、と気がついたと言っていた。そしてそれから少しずつ編み物をし始めた。いつも頭の中でセーターなどをデザインしては、模様編みもしていた。編み物に関してはいつも驚くほどの記憶力だった。よく考え込んでいた。フィッシャーマンズセーターまで編んでいた母だから、頭の中は編み目の カウントでいっぱいだったはずだ。

朝起きると、あ〜、今日も編み物ができると思い嬉しかった、とよく言っていた。

袖ぐりなどの減らし編みなどうまく作ったものだと思う
父のプロポーズの言葉『箸より重いものは持たせません。』は「いみじくもそうなったわねえ。」と母が思い出してはよく言っていた。

70歳近くまで趣味で忙しく、賑やかな家族に囲まれていた。いつも時間が足りないと言っていた。母がのめり込んだような趣味もなく時間があり余っている私の方が、もしかしたらずっと不幸ではないか。と思ったりする。

慶応大学院で幸福学を研究する前野隆司教授のインタビュー記事を引用する。

長続きする幸せは、環境に恵まれている幸せ、健康である幸せなどの他に『心の要因による幸せ』が多く含まれています。私は因子分析によって、心の要因による幸せを『4つの因子』に整理しました。この4つを満たせば、私たちは長続きする幸せを手に入れることができます。

1つ目は『自己実現と成長』の因子。夢や目標ややりがいを持ち、それらを実現しようと成長していくことが幸せをもたらします。

2つ目は『つながりと感謝』の因子で、人を喜ばせること、愛情に満ちた関係、親切な行為などが幸せを呼びます。

3つ目は『前向きと楽観』の因子。自己肯定感が高く、いつも楽しく笑顔でいられることは、やはり幸せなのです。

4つ目は『独立とマイペース』という因子。他人と比較せずに自分らしくやっていける人は、そうでない人よりも幸福です。

編み物が生きがいだと常に言っていた母は1つ目を満たしている。あとの3つの因子も母の性格にぴったり当てはまる因子だ。


母は幸福だったのだ。

この細胞の中にも母が生きている
(脂肪の中にも?)

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