昨日までは意識があったのに、今日9月22日は意識がなくなった。
でも普通に呼吸して顔色もいい。
主治医には、母が回復すると言われたばかりなのだ。
カンフェレンスルームで『人工呼吸器をつけるんですか。どうするんですか。』と、この医者が言っているのは他の患者のことに違いない。
でももしかしたら、と確信が揺らぐ。
やはり母のことなのだろうか。
心臓がバクバクし始めて頭の中が真っ白になった。
『母がそういう状態なんだと突然言われても信じられません、つい先ほど主治医から回復していると言われたところなんです、なのに突然そう言われても受け入れられるわけがないじゃないですか、主治医に確認します』と姉が横で言っている。
私は『なんでコンフェレンスルームって英語で書いてあるんだろう。』とドアに印字された白い文字を見ていた。
翌日9月23日、私も姉も胃がほとんど何も食べ物を受け付けなくなって3日目。
どうにかゼリーと飲み物だけを補給する毎日だった。
交代で家に帰り少し仮眠しては病院に戻る。
が、これからまだまだ看病が続くのだ。姉と私は近所のお店にアイスクリームを食べに行くことにした。
人工呼吸器をつけるかどうか。
つけたあと母は回復する可能性があるのだろうか。
それともただ意味もなく延命して、そししてその後死んでしまうのだろうか。
姉と話し合った。
どうすればいいのかわからなかった。
でも、人工呼吸器をつけることで母が意識もなくただ横たわっているだけになっても、息さえしてくれていればいい、という結論を二人で出した。
42年間寝たきりだった母が、こんな医療ミスであっけなく死んでしまうことは受け入れられなかった。
延命治療をしてもらおう。
久しぶりに明るい気持ちになり、病院に戻った。
姉が足をさすってあげようとお布団をめくった時、私たちの目に「母の最期」という事実が飛び込んで来た。
母の足は真紫色になっていたのだ。
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