2021年2月6日土曜日

カウンセリング セッション1- 2 古い記憶

コロナ禍の中、カウンセリングはリモートで行われた。


スクリーンの中のH先生は無色の部屋に座り、洋服はシンプルで鋭角的なラインの黒いもの。


部屋、先生の洋服。何もかもが無機質な印象と言えるかもしれない。


先生の短いがふんわりとセットされた髪と、柔和な表情だけが穏やかなラインを描いている。


カウンセラーとして先生が持つ守秘義務についての説明のあと、私は今悩んでいることを話した。



先生は私が話している間、ほとんど口を挟まない。



何が今私を悩ませているのか。私は話し続けた。


親からは無条件に愛されたという記憶しかなく、介護は辛かったがそれも終わり(ここで涙が出た)、少し前までは悩みもストレスもなく、全て順調と感じていた。


そして、私は自己肯定感がとても強い人間だと思っていた。



なのに、今は不安ばかりがある。


去年長男が私の旧姓に改姓した事実に夫の兄と母親が激怒し、私と絶縁状態になったこと。


去年起きた人間関係に関する辛い出来事は他にもいくつかあり、それがきっかけで自分に自信がなくなった。私は知らない間に、人に対して支配的な態度をとっていたのだろうか。


今はどの友人ともいい関係を築いていると思っているが、いずれ自分は全ての人に拒否されて、たった一人になってしまうのだろうか。いや、そこまでのことはないとしても、それに近いことは起きるかもしれない。



先生は相槌を打ちながら優しい目で私を見つめてくれている。


私はカウンセリングの時間いっぱい一人でしゃべった。


私の話が終わった時、先生から優しいトーンで質問と提案があった。



あなたは何かの出来事を深く掘り下げて分析するようですが、そのことは普段からどこかに書いているのですか。


そう、書いている。私はなんでも記録するのが大好きなのだ。7歳の時から日記をつけているし、感情の動きもエクセルでチャートにして記録している。毎年手帳を買いアナログ的な記録もする。


このブログを始めたのも、父の認知症の記録を取りたかったからだ(このことは先生には伝えなかった)。



あなたが得意とする、分析して自分を見つめることで、本当の感情が出づらくなっているんですね。


え?ここで驚いた。自分は感情のままに行動する人間だと思っていた。だから、昔から女友達にもボーイフレンドにも夫にも、自分の気持ちをぶつけてきたではないか。ティーンエイジャーの息子たちにもよく怒っていたのに?


この時点でとりあえず、今の自分の姿への認識が180度変わった。



だから今日から・・・をしてください。


と、ここで、ある提案が先生からあった。この手法については、私も患者としての守秘義務とまでは言わないまでもマナーだと思うので、ここには書かない。


が、最後に先生に言われたのは、今日このセッションが終わった後、色々な思いが出てくるでしょう。そしてそれは当たり前のことです、いうこと。



まさにそうだった。


寝るまで色々な記憶が蘇り、それを自分の中で分析し続けた。


そういえば高校生の時Wちゃんと私の性格のことで喧嘩したな。あの時のWちゃんの指摘は正しかったのかもしれない。私は自分が正しいと思っていたけど、それは父から受け継いだ頑固さから来たものだったのだろうか。


父は血縁の親戚には優しいが、非血縁者には厳しかった。私もそうなのではないか。


私は完全に心を許した相手に、求め過ぎる傾向があるのではなかろうか。そして、求め過ぎて受け入れられなかった時、今度はその人に理不尽な怒りを感じるのだろうか。



翌朝は目が覚めた途端に、長年忘れていた記憶が二つ蘇ってきたことに驚いた。


幼稚園の入園式の日に、母と登録テーブルに行った。事務手続きをしている職員さんが私に優しく言う。自分の名札を取ってください、と。


名札はテーブルの上に何枚も置いてある。ひらがな5文字の自分の名前はもちろんもう読めていた。なのに、私は混乱した。この札に自分の名前が書いてあるが、これをすぐ取りあげてもいいのだろうか。そこには何か他の意味が隠されているのではなかろうか。今から思うとそんな感情だったのだと思う。名札を取り上げることができなかった。


自分の名札を認識するのが無理なのだろう、と思った職員は『じゃあ、お母様が取ってあげてください。』と母に向かって言った。


夜母が、家族に言った。今日本当に恥ずかしかったのよう。この子ったら自分の名札が取れないの。



もう一つの記憶も、ずっと思い出したこともなかったものだが、カウンセリングで分析という言葉が何度も出たのでそこから呼び起こされたものなのかもしれない。


小学6年生の時、全校一斉テストが実施された。


テストは簡単だったが、特に最後のページは、どの問題も一瞬で答えがわかってしまった。そのページには積み木でできた立体がいくつも並べてある。(隠れているものも含めて)積み木がいくつ使われているのか答えなさい、という問題だった。現在は小学校受験問題に使われるらしい、空間認識能力を調べる問題なのだろう。なんで周りの子たちは皆延々と時間をかけているのだろう、と不安を感じたのを覚えている。


今は空間認識能力は完全に衰えていて、積み木を見ても数えるのに時間がかかる。そして、しょっちゅう物にぶつかる。


が、なぜその二つの記憶が突然鮮明に呼び起こされたのか不思議だった。



出来上がったブリ大根
一瞬で大根の数が認識できた(ウソ)

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