2020年12月8日火曜日

英語を話すということ 3/3 早期英語教育

中学生になって一番楽しみだったのは、英語を習い始めることだった。

新しい言葉。ウキウキした。


が、最初の英語の授業で打ちのめされた。


教科書に出てくる一番最初の文でつまずいたのだ。

I have a book.

え?え?え?

これは、今、本を手に持っているという意味?

それとも本を所有している、という意味?


当時英語の教科書はクラウンかリーダーという二つに分かれていたと思う(うろ覚え)が、リーダーの方は、

This is a pen.

で始まるということだった。


うらやましかった。
それならわかる。
目の前にあるのは本だ。
手に持っているのか、所有しているのか、なんて迷うことはない。




さて、1983年84年は日本でアルバイトをし、その後アメリカに戻ってきて結婚した。


20代の頃ボストンに旅行しても、興味の対象は文化ではなく食べ物だった(今は?)


そして日本企業の支社の経理部門で働き始めた。そのうち支社長から公認会計士になることを勧められ、午後はほぼ毎日のように職場を抜けて、大学に行くようになった。

が、支社長とその他1人の社員からのセクハラがひどく(毎日午前午後と肩、背中、腕、指の先までマッサージをされた)、会社に行くのが憂鬱でたまらない。そのうち直属の上司である部長が企業秘密を他の会社に漏洩していたことで解雇され、私もそれを機に辞めることにした。



その後二人の子育てをしながら90年代はIT企業のコンサルタント(肩書きだけ立派)としてパートタイムで働きながら、私はまた悩んだ。家でパソコンを使って仕事をする、社会から隔絶された地味な生活。名ばかりのコンサルタントで、していることは下手な翻訳とラベル作り。資格もないしキャリアも積めず、相変わらず何を考えたらいいのかわからない。とにかく満たされない。このまま年をとるのか、と忙しい中暗澹たる気分が続いた。


そんな時、姉がおもしろい本をくれた。沢木耕太郎『深夜特急』単行本2冊、立花隆『宇宙からの帰還』、日高敏隆と竹内久美子共著『ワニはいかにして愛を語るか』、そしてディック・フランシス『本命』だった。

大人になって初めて本に没頭し、知識欲が満たされるというのはこんなに幸福感をもたらしてくれるのか、と感動した。サンノゼにある紀伊国屋で本を買いあさり、時間がある限り読書にふけった。新しい世界を知ることの楽しさ。

ここで初めて、英語でどうしても人に伝えたくてたまらないことができたのだ。それも伝えたい相手は世の中で一番かわいい二人(だった)。

マリーとアキのクリスマスストッキング完成
が、マリーのは今後新たに作り替えることに・・・

ヒロはアキのストッキングの方を気に入ってしまったので、
急遽二人の名前を入れ替えた


この時代私は一番英語をしゃべることができたと思う。自分の頭の中はおもしろい話で満杯だ。香港、インド、パキスタンなど行ったことはないけど興味深い国の話、アポロ計画の裏話、イギリス競馬界の話。おもしろい話を息子たちに教えるためなら、いくらでも英語が出てくる。親しい日本人の知り合いはいなかったから、日本語を話す機会もない。

そうか、エンジニアや会計士になれ、と言われたのは私が有能だったからではなかったのだ。数字にとんでもなく弱いアメリカ人が多い中、私は強かった(指を使ってカウントしない)。そして日本人の特性である生真面目に仕事をこなすこと、ただそれだけが評価されていたのだろう。


そして発音が良かろうがネイティブ並みにしゃべる事ができようが、仕事をする上でそれは大した意味を持つことでもないのだ。キャリアを積んでいても、充実した人生待っているわけではない。

必要なのは、自分の中に充足感があるかどうかなのだ。


英語がしゃべれても人に伝えたいものがなければ、英語で実ある会話はできない。それは日本語での会話でも同じだ。自分のが心が満たされ、自分なりの文化が育ってやっとそれを誰かに伝えたくなるのだろう。その時話す言葉は流暢でなくともいいのだと思う。


クリスマスツリーを出した
キャンディが売り切れ始めたり、全てがクリスマスモードになりつつある

ヒロとは少しずつ日本語で話したい


日本では早期英語教育が導入されている学校が多いようだが、子供達が楽しく学べる限り、悪いことだとは思わない。私の息子たちも楽しみながら日本語を学ぶ機会があったら、そしてバイリンガルになっていたら、それは彼らの財産になっていたと思う。日本語が全くしゃべれない夫と私の間で息子たちが二つの言語に混乱し、母国語さえしゃべれなくなるかもしれない、と心配し私は日本語で会話しなかった。

が、アメリカで育った友人たちの子供は両親が日本語をしゃべる環境で育ち、学校では全く問題なく英語をしゃべるバイリンガルだ。彼らは仕事の選択肢も増え活躍している。そして何よりも、友人たちが子供と日本語でコミュニケーションが取れるのはうらやましい。


日本で育つ子供たちの早期英語教育はまた少し違う話だ。

家で家族と話す時は100%英語、そして学校では日本語、という形が一番自然なバイリンガルに育つ環境だろう。

そういう環境にいない場合、歌やショートストーリーで、幼少時から英語に楽しみながら触れるのはいいことかもしれない。

大事なのは子供の中で育つ物事への興味だろうと思う。そしてそれを否定せずに応援してあげる親の姿勢なのだろう。外国語に興味を示す子供には教えてあげればいい。が、興味を示さない子供には、時間のむだなのかもしれない。特にそれが親のイライラにつながるとしたら。そんな時はその子の興味の対象を深めてあげる、という時間の使い方の方がずっと価値があるように思える。



英語はブロークンで発音は最悪。でも、構文を必死で組み立ててでも伝えたい事のある人。

片や英語がペラペラだが話に中味もおもしろさもない人。

英語でコミュニケーションをとる場合、相手はこの二人のうちのどちらと会話したいだろうか。自分の子供にはどちらの人間に育ってほしいか。




ここ数年私は息子たちと英語がしゃべれなくなった。
英語がまたむずかしくなってきたのだ。
スラスラと言葉が出ない!

家族と話す時、単語が出て来ない状況が増え、息子たちも私と話す時、我慢しているように見える。ような気がする。が、それを態度に出さないように努力しているように見える。(被害妄想?)


私の英語力が落ちたことだけが、息子たちとうまく英語を話せなくなった理由ではない。
私ができなくなったのは、息子たち世代が興味を持つ話題がなくなったことだ。

もう彼らは私から聞きたいことがない。


私が会話したい人は日本語を話す人ばかり。
私の『英語でコミュニケーション』時代は終わったのだ。

が、私が新たな人間性を作っていく時代が始まったのだと思う。
この話はまた後日。



この2匹は早期教育が必要だったのね

6 件のコメント:

  1. ストッキング完成されたのですね。素晴らしい!愛情いっぱいのプレゼントですね。

    最近はどんどん英語を忘れていってるようです。
    昔、なぜあんなに英語が話せるようになりたかったのだろうと懐かしく思います。
    日本語が小学校までの教育しか受けていない娘は本当にこの先幸せになれるのだろうか?
    親のエゴで英語を身につけさせようとしていたのではないのだろうか?
    みきみぃさんの記事を読んで、ちょっと線から外れているかもしれませんが、
    心の奥の方でくすぶっていたもやもやを少し吐き出してしまいました。

    「自分の中に充足感があるかどうか」、、、なんとなくわかる気がします。
    自分の内面を磨いておかないとよい話し手にはなれないのでしょうね。


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    1. Michikoさん、
      ありがとうございます!
      ストッキング完成しましたが、マリーのストッキングだけつま先が家族3人と違う方向を向いているので、作り直します。
      というか、もっと明るいデザインがいいらしいのと、私も刺繍が好きなので次のを作りたいのです。
      でも、サキのも作りたいから目標は来年のクリスマスですね。

      Michikoさんの娘さんは小学校までの教育を日本で受けていて、その後アメリカで教育を受けることができたのはとてもラッキーだったと思います。バイリンガルで育ち、アメリカ教育のいいところを充分経験されたのでしょうね。決して親のエゴではないと思いますよ。
      うちも長男は5歳の頃日本語結構話せたのに、その後私がフォローしなかったので今ではしゃべるのは無理です。
      息子たちと日本語で会話しなかったことが大きな後悔です。

      色々書きましたが、結論として自分の内面を全く磨いていないんだなあと改めて気がつきました。
      まだ時間はある!もっと人に対して寛容な人間になりたいです。
      今は自分にばかり寛容^^;

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  2. mikimieさん、お久しぶりいです。Y子です。沢木耕太郎『深夜特急』、日高敏隆と竹内久美子共著『ワニはいかにして愛を語るか』私も学生の頃、愛読しました。日高敏隆さんと竹内久美子さんはK大でしたね。懐かしい〜。私も日本語が心地よいです。そして中身のある人になるためには一生勉強なのですね。ではまた!

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    1. Y子さん、お久しぶりです!
      沢木耕太郎は深夜特急以降ほとんどの著書を読みましたが、一番最近は『凍』と『246』がおもしろかったです。
      特に『凍』で沢木耕太郎はやっぱりすごい!と読後しばらくほうけていました。
      これも内容を人に話したくて仕方ないような本でした。
      竹内久美子さんはK大日高敏隆教室の生徒でしたよね。

      やっぱりくつろぎの言語は日本語。
      一生勉強して新しい刺激が必要ですね〜。

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  3. 私は二十代の頃に出てた作品は夢中で読みましたが、日本を離れてからは読んでませんでした。「246」は単行本手元にあるので、読み返してみます。最近ラジオに出演していて、初めてお声を聞きました。話し方が沢木さんらしいなと嬉しくなりました。リンク送っときます。https://www.youtube.com/watch?v=UbaTNiEy5Aw ご興味がありましたら、聞いてみて下さい。カリフォルニア在の時、mikimieさんと沢木さんや竹中久美子さんの話題が出なかったのが残念です。

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    1. Y子さん、
      リンクありがとうございます。彼は去年まで23歳以来50年毎年外国に行ったんですね。さすが〜。
      沢木耕太郎の声は風貌にぴったり。全部聞くのが楽しみです。
      246を読んで、三茶(彼の仕事場)と大森(育ったところ)に行きたくなりました。ミーハーだなあ。
      竹中久美子さんも本当におもしろい。色々本を読んでみたいです。
      う〜ん、他の話で忙しすぎて本の話まではしてなかったかも。
      カリフォルニアに帰ってきなさい!

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