母の洋服は捨てられなかった、と書いてある。
父の洋服は捨てたのだろうか、当然捨てるしかないのはわかるけど、それも悲しいなあ、などと複雑な気持ちになってしまった。
父の洋服はいつも近所の大型スーパーで 調達していた 今でもこの売り場の横を通るのがつらい |
友人のSさんが言う。
「私の父に対する気持ちは小学生の作文で原稿用紙半分ですむようなもの。
『私のお父さんはとてもいい人です。だからお父さんのことが大好きです。お父さんが死んでしまったら悲しいです。』というような。
母に対する気持ちは20枚にはなるわね。複雑な気持ちが絡み合っていて、とてもとても簡単に書けるものではないのよ。」だそう。
持つべきものは賢い友人だ。
う〜む、それだ。
父にも母にも愛情があるのだが、母への愛情は単純だ。
父への思いとは違う性質のものだ。
懐かしいのだが、怒りや腹立ちがなかっただけクリーンな思い出だ。
だから、明るい光と共に思い出し懐かしみ、その思い出は時間と共に遠くなっていく。
父に対しては違う。
子供への愛情は深いが依存心が強かった父には、私や姉に対する境界線というものがなかった。
私はそんな父にいつもイライラさせられていた。
なんで社会性にこんなにも欠けていて私や姉が後始末をする羽目に陥ることになるのだ、
なんでヘルパーさんを受け入れないのだ、
なんで言いたい放題なんだ、なんで自分の心配事を私にぶつけるのだ、
ともう父からのストレスで憤死しそうになることが毎日のようにあった。
それでも父が死んだら、と思うとそれだけで涙があふれる毎日だった。
母への愛情と比べると、なんというかクリーンな愛とドロドロの愛の違い、のようなもの?
あの時自分の怒りが抑えられなくてホームの父の部屋を出て行った、あの時父に厳しい言葉を投げつけた、あの時、あの時、と延々と後悔と共に思い出す。
全ては父が私に対して境界線をひいて接することができなかったからだ。
だからその時その時の私を不幸な気持ちにさせたのだろう。
父のことを思い出すたびに、自分も息子たちに対してちゃんと境界線を持って接することができないといけない、と思う。
それはむずかしいが人生の最後の成長段階なのかもしれない。
子離れできない状態と、誰かへの依存心が強い状態は似ているのだろうか。
ちなみに猫に対する愛はただただ与えればいいものだから、クリーンでシンプル。
ノミ問題が完全に解決するまで、アイドルとタイタンは次男とマリーの寝室に入れない。
2匹は私がサンノゼの家で預かる、と提案したのだが、それでは猫たちがかわいそう、と二人が拒否した。
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