日本滞在が終わりに近づいてきていて、父の将来、次男の結婚式の準備、サンフランシスコに買ったコンドーの契約、と考え始めると憂鬱になる事がたくさんある。
次男の結婚式は11月の終わりにあるが、その時姉が日本から来て5日間滞在する。
父がホームに入居して以来、姉がこんなに長い間京都を留守にするのは初めてだ。
アプも1週間預けられる。
最近の父は不安になって、『娘を呼んでください』とスタッフに頼むこともあるようだが、私や姉が行ってもすぐその娘だとはわからない。
顔をしっかり見て誰かということを認識したい、とも思わないようだ。
話しているうちに懐かしい誰かだとわかり、なんとなく娘がいたなあと思い始める。
そして自分に一番近しい誰かがそばにいる、という安堵感を持つ。
認知症は昔痴呆症と呼ばれていたが、だからといって父は痴呆になったわけではない。
昔と同じではもちろんないが、知性は残っているのだ。
以前の父と同じ話し方をし、同じ冗談を言う。
父の頭の中にはタンスがあると仮定しよう。
タンスの引き出しの一番上には幼い頃の思い出、
二番目の引き出しに戦争中の思い出、
三番目に結婚してからの思い出、
四番目に娘たちが生まれてからの思い出、
五番目に母を介護していた頃の思い出を入れていたと考えてみよう。
今父は、上から二番目までの引き出しの中身をクリアに思い出すことができる。
が、三番目より下の引き出しはかなりごちゃごちゃになっている。
だから父の父、私の祖父のことを聞くとしっかり覚えている。
なのに、母の名前が思い出せず、自分の子供は何人いたかわからない。
ワイワイ広場の楽しさだけは覚えていて、『何か楽しいことがあったけど、あれは何曜日かのう。』と聞く。
声も張りがなくなって、痩せて元気のない父を見ていると、脱水症状なのだろうか、と思ったりする。
それともこうして少しずつ弱っていき、老衰で死ぬのだろうか。
それも判断できない。
だからと言って、父を1日も長く生きさせてあげることがいいことなのかどうかもわからない。
ただ枯れていく父を見守るしかない。
痛い思いや苦しい思いをせず、家族が最期まで会いに来てくれて、安心感を持ちながら死を迎える、というのが父の一番の幸せなのだろう。
次に日本に来るのは年末だ。
もう父を家に連れて帰って一緒にお正月を迎えることはできない。
来年の今頃父は言葉も忘れて、ベッドに虚ろな目をして横たわっているだけかもしれない。