92歳の父は突然小さくなった。
わいわい広場で隣に座る衣笠(仮名)さんと同じぐらいの体型だった父は、知らぬ間に衣笠さんの3分の2ぐらいになっている。
父の好きなヤクルトをあげても、飲み始めると嚥下に不安があるようで、吐き出そうとする。
つまり栄養状態が悪いのだろう。
一日中不安材料を見つけては、その不安を呟いている。
その呟きも聞き取りにくくなりつつある。
父の好きなヤクルトをあげても、飲み始めると嚥下に不安があるようで、吐き出そうとする。
そして詰まった詰まった、と咳き込み続ける。
身体を起こしてあげて自分が納得するまで、詰まっている、と訴える。
自分の不安で自分の具合を悪くしてしまうのだ。
ついこの前までは、母が死んだかどうかはっきりとはわからなかったようだ。
昨日の父は私が懐かしい誰かだというのがわかるけど、やはり名前が思い出せなかった。
今日の父は私の名前が思い出せなかったが、夫の名前を思い出すことができた。
『あんたの婿さんは、器用で人間性が奥深いなあ。』と父特有の話し方をする。
ついこの前までは、母が死んだかどうかはっきりとはわからなかったようだ。
生きていないかもしれない、という恐れを持って『女房殿は死んだかのう。』と聞く父だった。
でも今は、母の死がやっと父の脳に刻み込まれたようで、死んだかどうか聞かなくなった。
今日、父は『ワシは女房が好きで好きでたまらんかった。』と母が死んだことを前提で話すのだった。
『でも早よ死んで、かわいそうになあ。』と涙を浮かべる。
なのに、私が来月次男が結婚する、と話すと「あんたもおばあちゃんになるかもしれんか。ははは。」と笑うのだ。
本当に父を見ているとまだらボケという言葉がぴったりだ。
いや、実はまだらボケしているのは私かもしれない。
この写真は大事なハンコの隠し場所がわからなくならないように、撮っておいたものだ。