2016年6月28日火曜日

看取るということ1/3

父は自分が死んだことがわかっているのだろうか。

6月19日の父の日、姉と私は朝昼夕方と3度に分けてホームに行った。夕方行った時父の足は少しチアノーゼが出ていたが、まだまだ大丈夫そうだった。何故なら父はシャツを脱ごうとして、ものすごい力でスタッフや私たちをはねのけたからだ。とにかく父は私たちが何度シャツを着せてもすぐまた裸になってしまう。身の置き所がないような仕草を続ける父を見るのがかわいそうでたまらなかった。

こうしてシャツを脱いでしまうことを繰り返した

看護師さんが酸素量を測ろうとしても父は強く拒否した。血圧、脈は正常。まあ大丈夫だとは思いますが、なにしろ高齢なのでスコンと逝ってしまわれることもあります、ということだ。でもこの父の力強さを見てまだまだ数日は大丈夫だろうと私も姉も思った。

これから毎晩交代になる可能性もある、と思いその日は私が泊まり込むことにした。水曜日に関空に到着してまだ4日目。眠かったが、イライラと身体を動かす父を撫でてあげたり、ブラシで髪をといてあげたりしながら横で見守った。そして時々父に話しかけた。父の耳の中に補聴器を入れると父は『補聴器があるということ』に反応し、触ろうとする。わけがわからないが、自分にとっての何かだということは感じるようだ。触ると引っ張って手の中に入れて離さなくなる。それを避けるために父の耳から3センチぐらいの所で、父にかろうじて何かが聞こえるように距離を保ちながら話しかけた。話しかける言葉はわからないようだったが、一応父は少しだけ反応は続けるのだった。

夜中の2時43分。疲れたので少しだけ横になろうと折りたたみベットに寝転びながら父を見たのが、生きた父を見た最後だった。臨終が近くなると下顎呼吸が始まる。それは見間違うことないガクンガクンと顎の動く呼吸だ、と聞いていたのでまだまだ大丈夫だろうと思ったのだった。

ハッと気がつくと30分近く経っていた。父を見ると動いていない。寝ているのかと近寄ると目も口も開いたまま動いてなかった。信じられなかった。ずっとすぐ横にいたのに、ほんのちょっと離れたその隙に死んでしまうはずがない、と思い父を呼びながら顔を撫でたが反応はない。

誰かを呼びに行った隙に父が生き返るかもしれない、だから今父を一人にしてはいけない、と思いしばらく父を撫でてみた。父の死が近いのはわかっていたが、今であるはずがなかった。

しかし、その考えは間違いだった。

ホームが用意してくれた簡易ベットに、家から
シーツや枕などを運び込んで使った

父はなんで私に黙って死んでしまったのだろう。