毎朝ホテルのレストランで同じものを食べている。
去年たまたま長く宿泊し、このホテルのプラチナ会員になったので、ビュッフェの朝食は無料である(2300円相当)。
なので、行きたくなくても毎朝行く。
行くと同じものを食べる。
イタリアンサラダ、プロシュートハム、ミニパンケーキとミニクロワッサン。
今朝は隣にシニア女性が4人座って、おしゃべりに花が咲いていた。
耳に心地よい関西弁が間断なく聞こえる。
私は早食いであるので、15分で食べ終わって席を立つ。
隣の女性たちが私に、「すみませんね、うるさかったでしょ?」と言う。
「いえいえ、関西弁が聞こえてきて嬉しかったです。関西から来ているもので。」と答えた。
そうなのだ。
やはり食事を一人でとるのは寂しいものなのだ。
毎日のように友人たちに会った。
友人は、私とのおしゃべりには中毒性があるのか、しゃべらない日はなんとも寂しいと言ってくれる。
私も夜になると寂しい。
なので東京タワーを見て、胸が苦しくなるほど悲しくなるのだ。
夕方5時過ぎに撮った写真で、もうこの暗さ。
昨日は、日曜日で誰にも会わずにぼーっと過ごす日にした。
朝のうちに、銀座三越に歩いて行き、お昼と夜のお弁当を買う。
毎晩部屋で、一人黙々と食べるんである。
なかなかおもしろい番組がないので、テレビはつけない。
夜寝る前に、iPadでネトフリを見る。
日本にわざわざ来て、この生活。
なんの意味があるのだろうか、とネガティブ思考に陥る。
結局人間は、誰かのために何かをしている時に充実感を持つことができるのだろう。
なので、介護をしている時は辛くて辛くて、一日も早く終わってほしいと思っていたが、あの頃は充実感があったのだろうか。
いや、それは充実感ではなかった。
(多かれ少なかれ愛から来る)使命感、それだけだった。
そんなことを考えながら、三越銘菓百選売り場で今ハマっている栗蒸し羊羹「月よみ山路」を探す。
4本残っている!
満足感と罪悪感はあるが、買い占めた。
朝イチでこの棚の前に来た方の気持ちが痛いほどわかる。