こういう状態が断続的に3日間続いた。そうすると考えることが『もし自分が突然死んだら』ということだ。
それは困る。見られると困るゴミが多い。
だから物を捨てることにした。
まずはベットサイドテーブルの下にある4つのグリーンの箱。この中には捨てられないものが入っている。でも今日は捨てるのだ。
この辛子色のお財布は長年重宝した。中に間仕切りが多い上、柔らかいし色も良い。いつかまた使うかもしれない、と取っておいたがもう諦めよう。
iPhone 4の箱が出てきた。なんと中にはiPhone 4が入っている。これは売れば良かった。付属品ももう使わない。
バックを買った時についてくるダストバック。こういうのが捨てられない。茶色い小さなポーチは捨てよう。ダストバックはどうするか。う〜ん。今日は思い切って捨てるぞ!
子供が中学校で書いていたジャーナル。これも捨てる。
5年ほど前に買ったティファニーの指輪が入っていた小さな箱。一生使うことはないのに、ティファニーの箱って捨てるのがもったいないのよね〜。でも、思い切って捨てる。
これは、長男が生まれた時、記念に父が買ってくれた時計。小さいからこれは取っておくことにする。しかし、他のガラクタと一緒に取っておく意味はあるのだろうか。そもそも思い出の品というのはどんな意味があるのだろうか。『あ〜、これは・・・』と懐かしむことの意味は何?
深く考えないことにする。
銀座の伊東屋で買った0.7㍉のボールペンの替えインク。多分使うことはもうないと思う。ゴミ箱。
なぜかかわいいと思って百均で昔買ったキティちゃんのビニール袋。下はメガネケース。メガネケースの方は一つだけ取っておこう。キティちゃんは捨てる。
中学生の時から使っている辞書。柔らかい表装が使いやすい上、コンパクトなサイズは通訳の仕事をする時に便利でよく使った。だが、今はスマホを使うからもういらない。思い出の品だが、これは捨てよう。
壊れた万歩計。首にかける紐類。ニューヨークで買ったキーホルダーなど。今日は捨てられる。
今日から毎日1時間ずつ片付けをしよう、と軽い気分で帰宅する。鼻歌が出てくるような明るい気分だ。
寝室に入ってこの惨状を見るまでは。
教訓。
家を出る時はとりあえず片付けよう(端っこに寄せておこう)。
家を出る時はとりあえず片付けよう(端っこに寄せておこう)。