2015年4月25日土曜日

夜救急病院に行く

年を取ったら今の家で暮らすのはむずかしい、とつくづく感じる出来事があった。

我が家の裏庭はとても小さい。もちろん日本だと大きい方だろうが、アメリカでは箱庭と言われるようなサイズだ。

これが裏庭のサイズ

横庭が少し

なのに、裏の家の大きな煙突が見えないようにオークの木を2本植えた。当然オークは巨木になる。煙突は見えなくなったが、巨木は石塀を持ち上げて、少しずつ壊し始めた。

石塀


石塀に入り始めたひび
オークの根っこが影響しないように処置はしていたが、
やはり影響が出てきた

だから根っこの処理をすることにした。その前に準備が必要だ。夕方枝を切り落として家に入ったのが7時。右手の人差し指で、痒い右目をシュッと軽くこすった。30秒後に右目が痛くなり始めた。人差し指についていた樹脂でも入ったのかとお水で目を洗うがやはり痛い。シャワーに入って徹底的に洗うことにした。が、それでもものすごい痛みは一向に良くならない。

蒸留水で何度も洗い続けたが、この痛みは尋常ではない。だが、8時だ。もうお医者さんのオフィスは開いてない。救急病院に行くことにした。ゴールデンステートウォリアーズというバスケットボールチームのプレイオフをしている最中だが、夫に連れて行ってもらうしかない。

車で15分の病院に行き、受付、バイタルチェック、チェックイン(まず50ドル支払い!)救急処置、と4つの段階があった。救急処置で目薬を入れてもらった途端に痛みがなくなる。看護師さんたちは皆陽気で、アメリカの病院はリラックスするなあと毎回思う。

病院の救急出入り口

1時間ほど待ったあと、Nurse Practionerというお医者さんと看護師さんの中間のような立場のスタッフに診察してもらう。目の中をオレンジ色の液体で着色して傷の有無を調べると、角膜に傷があるのがわかった。

角膜は指や歯に比べると神経の密度が300倍から400倍もあり、少し傷がついただけでとても痛い。それでも新陳代謝が非常に活発な部位だから、時間単位で新しい細胞ができるのだそうだ。抗生物質の入った目薬で24時間から48時間以内に治るということで、目薬をもらって帰宅したのは10時だった。

病院では応急処置をしてくれた看護師さんに、「ここまで運転してきたの?」と聞かれた。「まさか、目も開けられないのに。」と言うと、看護師さんも「そうだよね、あ〜、見えないから、運転できない〜〜」と車に乗ってハンドルがつかめないふりをして笑っている。

夜の病院の廊下は怖い

笑っていられないな、と思った。今は夫がいるが、一人暮らしになった場合、こういうことは全部自分でしないといけないのだ。勿論夫の役割は車を運転するだけで、あとは診察室にも自分一人で入るのだが、ふと年を取った時のことを考えた。胃カメラを撮った時も、腎臓結石があった時も同じことを考えたが、体が弱っている時長距離を運転して病院に来ることはできない。来れたとしてもお医者さんと英語で話すのは億劫だろう。

10年以上前から通訳の派遣事務所に登録しているので、病院やリハビリに通う日本人や台湾人の患者さんに付き添って行く仕事が入ることはある。お医者さんやテクニシャンの話を通訳してあげるが、その時は自分が元気だし、iPhoneの辞書も使えるので問題はない。が、70歳80歳になった時どこまでその気力が残っているだろうか。

電車やタクシーで病院に行くということはこの地ではありえない。子供たちには頼りたくない。となると、アメリカで生活するのはとてもむずかしい。息子だって家庭もあり仕事もあるだろうし、年老いた母親を夜病院に連れて行って数時間も一緒に待つ、などということをさせたくない。診察室にも一緒に入ってもらう必要があるだろう。なにしろ今だって微妙な症状を英語で表現するのはむずかしい。

昨夜だって目の状態を表現してください、と言われて言葉に詰まった。目も開けられない、ヒリヒリする。どのくらいヒリヒリするんですか?と聞かれて考え込んでしまった。日本語なら言える。

『七味丼に目玉を落とした感じです。』

そんな丼があるとは思えないが・・・