が、実際には7割以上が病院で亡くなる 。
父の最期はどこになるのか、と思う。
勿論自宅で死なせてあげたいけど、それは無理だろう。
帰宅しても数分後には病気になりそうだ、不安だ、と自分からホームに帰りたがるのだから。
だとしたら、父はホームで最期を迎えたいのだろうか。
選択肢はそれしかないような気がする。
ただ父の場合病院にいるのが一番安心できるようだ。
病気を一番恐れている父だから、当然といえば当然だろう。
父はもう1年もつのだろうか。
このところ痩せてきて体重は41キロを切ったようだ。
身長は163センチ(縮んだが)。
食事もちゃんと摂らないことが増えてきた。
姉が訪問しても会話が成立しない。
帰る時には、寂しいから帰らないでほしい、と言う。
認知症が進行するだけで、まだまだ生きることはできるのだろうか。
日本語のクラスを担当してくれないか、と今日電話がかかってきたが、とにかく今は3ヶ月のクラスを遂行できるかどうか確約できない。
5月にまた話すことになったが、全く先が見えない。
クラスを引き受けてもいいものかどうか。
やはり父が生きている限り、いつでも日本に飛べるようにしておいた方が安心だ。
勿論死に目に会えるなら、それにこしたことはない。
父の最期にはできればそばにいてあげたい、とは思う。
でも、やはり会えなくてもそれは仕方ないだろう。
繰り返しになるが、死に目に会いたいというのは父のためだけではなく、父が死んだあとの自分のためでもある。
生きている間に、少しでも穏やかな時間を一緒に過ごしておいてあげたい(とは思うのだが、時々それもむずかしい)。
最期の瞬間、そばにいてあげられなかったとしても、いずれはまたどこかで会えると思いたい。
それは天国と呼ばれるところなのか、雲の上なのか、お花畑なのか。
呼び方は色々あるだろうが、父とも母とも祖父母とも会えるのだろう。
2012年、母の死後1年半たった頃、父は肺炎にかかり生死をさまよった。
熱で真っ赤な顔をした父を病室に残し、後ろ髪を引かれる思いで帰宅し洋服を着たまま寝た。
翌朝父は奇跡的に回復し始めた。
前の晩母の夢を見たそうだ。
母について行こうとしたら、母を見失ったと言う。