2020年2月21日金曜日

改姓

姑は戦後日本からコロラドの再従兄弟(はとこ)に嫁いで、7年後夫を交通事故で失った。



その8年後に再婚するまで、亡夫の親や9人の義兄弟たちと大家族農家で子供4人を育てた。



姑は本当にすごい。



大声で話し、ピンクのTシャツに赤いズボンを履いてパンチパーマをかけている姑は、怖いもの知らずだ。



日本では親戚の誰もが自分と一緒に歩くのをいやがる、と姑はいつも言う。



日本でのレストランでは喫煙者に『タバコを吸うのをやめなさい!』と威嚇してやった、と自慢する。



職場では気に入らない同僚に『あんたは皆から嫌われてるよ。性格悪いね。あんたの母親も性格が悪いんだろうね。』と言ってやった、と胸を張る。



言葉はきついが悪い人ではない。楽しい人でもある。



が、いつも自分が一番正しいと確信している姑を、私は友人として選ぶことはないだろう。



決して。



姑に何を言っても、勝ち目はない。



さらりとやり過ごすしかない。



そしてこの姑と、夫より13ヶ月年上の兄 と11ヶ月年下の義妹1はそっくりなのだ。




この3人が怒り狂った。



12月末に長男が入籍したことを、長男も私の夫も(夫の)母親や兄弟姉妹に報告していなかったからだ。



ふとしたことで長男とサキの結婚を知り、報告されていなかったことに傷ついている、というメッセージが義妹1からに来た。



先々週はサキと長男が私の誕生日ランチを用意してくれた


私がすぐ長男に連絡し、長男が入籍報告のカードを送った。



そして、このカードがコロラドの親戚たちに新たな怒りをもたらした。



長男が去年、私の旧姓に改姓したことが明らかになったのからだ。



姑、兄、妹1が爆発した。



何故なら彼らはKで始まるアルファベット8文字の苗字を誇りに思っている、なのにその苗字を継ぐ長男が改姓してしまったのが理由だ。



この40年間私は姑、義兄、義妹1から彼らの苗字がどれだけ由緒あるか、日本では皇族に近いような家柄(勿論デタラメ)であったか、ということを呪文のように繰り返し聞かされていた。



日系一世二世に多いこういう全く根拠のない家柄自慢。



実際この話をすると、日本から出張で来た夫のいとこ(同じ家系)は『一体どこからそんな話が出てきたんだ!』とびっくりしていたが、家柄自慢は彼らの心の支えなのだろう。



特に姑と義兄は妄執的でさえある。



義兄に至っては結婚披露宴テーマは家柄のことであり、家紋を文化刺繍で作らせ会場に置いた。



苗字+一族という文字を胸に大きくプリントしたTシャツまで作り、私たちにも着るようにと送ってきたりしたのも義兄だ。



幸いなことに私の夫はこれに無関心だった。



それどころか、自分も私の旧姓に変えようかなあとなどと言うぐらいだ。




次男は4年前、長男は去年改姓手続きをした。



それ以来、アルファベット4文字の苗字で人生が変わるほど楽になったと言う。



元々の夫の苗字はアルファベット8文字で、姓を名乗ると必ずスペルを教えてください、と言われる。



そして、この苗字をアメリカ人はまず発音できない。



例えば古賀山という苗字だとケイ・オー・ジー・エー・ワイ・エー・エム・エーとスペルを毎回毎回言わないといけない。



それもなんども聞き返される。



ところが私の旧姓の4文字だと簡単だ。



そして発音もしやすい。


サキ母曰く、サキは仕方ないから料理する(私と同じ)が、
長男はお料理好きだから料理するということ


次男が4年前に改姓した時、姑、義兄、義妹1は激怒した。



義兄は次男に向かって「お前の母親が無理やり改姓させたんだろう」と私の目の前で言い放った。



次男は「いや、自分自身の決断」と返事していたが、彼らは納得しなかった。



ちなみに私の両親は苗字に全く執着がなく、私の代で苗字を受け継ぐ者がいなくなることを気にもしていなかった。



今回長男が改姓したことが明るみに出て、姑たちの私への怒りは新たな段階に入ってしまった。



なぜなら義兄には子供がいず、義妹たちは結婚を機にそれぞれの夫の苗字に変えたからだ。



つまり、家族の中にK姓を名乗る男子がいない(従兄弟の息子にはK姓がいる)。



何よりも自分の息子(私の夫)の長男が後継であるべき、と騒いでいた姑が怒り狂っている。



夫に電話してきて、私とサキを責めた。



長男や夫を責めずに、私とサキを責めたところがポイントだ。



怒りは嫁たちに向かうのである。



いわく嫁たちはK姓の高貴さと歴史を理解していない、なんと勝手なことをするのか。



長男がこれに対して怒りを爆発させた。



小さい時から何もしてもらったことがない親戚から、どうしてサキが責められないといけないのか。



何かをしてくれたのは、日本の親戚や血のつながりがない伯母や叔父たち(姑再婚相手の連れ子たち)ばかりだった。



今回結婚報告のカードを親戚に送った際も、おめでとうという返事を送ってきたのは、日本の伯母さん以外ではこの血のつながりのない親戚だけだ。



血の繋がったコロラドの祖母や伯父叔母からは一切無視されている。



彼らのドラマにはもう辟易してる!と言う。




先週末サキ母ともう一人の友人Mとランチに行った。



その時、このことでサキは数日間泣いて落ち込んでいた、ということをサキ母から聞いた。



上記の長男の怒りについても、サキ母からの報告だ。



なんとまあ、バカバカしいと二人は苦笑いする。



そしてここは夫が立ち上がらないといけない、と言う。




夫は苦手な義兄や義妹1と言い争うのはいやなので、長年何か問題が勃発しても必ずだんまりを決め込んでいた。



私のことはともかく、なんで息子たちを守ろうとしないのだ!とサキ母と友人Mが言う。



私も同じ考えだし、今回は立ち上がることにした。

食後はおばさん(おばあさん?)3人で若い子たちが集まるBOBAカフェに行った


姑たちに縁切宣言をするか?それとも夫に縁切宣言をするか?




いや、もっと建設的なことをすることにした。




サンノゼ裁判所に行こう。

私も旧姓に戻すのだ

2020年2月18日火曜日

憂鬱の原因

このところ憂鬱だ。

憂鬱の原因はいくつかある。ブログには書けない憂鬱も2つ3つあるが、他にもワンサカと憂鬱の原因があり、今年は大殺界か!と思うほど。

小さな憂鬱は、さっきキッチンの棚を拭き掃除している時、マグカップ類が10個ほど落ちて壊れてしまったこと。

大好きなカップがことごとく壊れた

さて、以下が他の憂鬱リスト。

*サンフランシスコのマンションは売りに出したものの、数人が見に来てはくれたが買いたいという人はまだ現れていない。オープンハウス禁止という管理組合の規則があるので、不動産業者とアポイントメントを取らないと見られない。売れるまで時間がかかるかもしれないのだが、その間にもローン、管理費、固定資産税は毎月払わないといけない。マンションが売れるまでは、次男とマリーがローンの支払いをしている。

*マリーが以前より忙しい職場に転職し、朝はヒロと過ごす時間が全くないまま出勤。夜もほとんどない。次男がほぼ一人でヒロの世話をしている。まあ、これは転職前とほとんど変わらないと言えば変わらないのではあるが、一人で育児をしている次男を見るに見かねて私が手伝ってしまう。つまり、相変わらず私の負担は限りない。

毎夕、ペダルと補助輪のない自転車の練習をしている

*水曜日にヒロを抱いて階段を降りている時、ソックスを履いていた足を滑らせて転倒した。ヒロに怪我をさせてはいけない、ととっさに守る体勢をとったせいで尾てい骨と後頭部を打った。そのせいか毎日めまいがする(ような気がする)。

階段にはその後滑り止めテープを貼った


*1月9日に追突事故で後部にダメージを受けた車はいまだ修理工場にある。2月3日受け取り予定が2月10日になったが、当たり前のようにまた延びて、今のところ早くて2月19日受け取りと言われている。が、信用できない。アメリカでは当たり前のことだが。

*大きな憂鬱の理由は、義理の仲との軋轢だ。今私は選択を迫られている。いや、選択を迫っているのは自分自身の心だ。夫の母親、兄、妹に縁切宣言をしてもいいだろうか。それとも、情けない夫に縁切宣言をするべきか・・・

このことに関しての詳細は次回。

なんだか毎日肩を落として歩いている。そんな私の姿はよほどかわいそうに見えるのだろうか。

今日See's Candiesに行ったら
普通は1個しかくれないサンプルを、4つもくれた!

2020年2月1日土曜日

ステージング・ビフォーアフター

持ち時間は2時間。ステージングをしてくれるデザイナーが来るまで、私と夫に残された時間は2時間だった。昨日の夜遅くサンフランシスコのマンションに到着した、私と夫。今朝は7時に起きて最終的な片付けをする。

市場の動向を考えると、2月早々売りに出すのがいいだろう、という不動産業者(エージェント)のアドバイスに従って、来週売りに出すことにした。その前にすることは限りなくあったのだが、やっと最終段階に入った。

クローゼットを空にして、キッチンのキャビネットの中、冷蔵庫の中、シンクの下、お風呂の水滴、ガラスの汚れなどなど最後まで掃除が必要なところがたくさんある。

6時に起きるべきだった。7時から2時間ではとても完璧に綺麗にすることができない。

9時にデザイナーとエージェントが来て家具などを搬入し始めたら、私と夫はマンションを出て3時間ぐらい時間を潰さないといけない。朝ごはんなんぞその間に食べればいいのに、夫はわざわざサンノゼから持ってきたシリアルにパックのミルクを注ぎ、これも持参のブルーベリーまで入れて食べている。

ステージングのあとは写真撮影もあるので、水滴すら残したくないのに・・・


なんで、こんな時わざわざブルーベリーをざるに入れて洗うのか?手の平に置いて洗えばいいのに!このざるはどうやって乾かしてどこにしまうんだ?そもそも今日1日ぐらいブルーベリーは我慢できないのか!と心の中で夫に文句を言いながら、シンクを磨く。

が、夫も仕事を休んでノンストップで働いている。文句を言ってはいけない。心の中で毒づいてはいたが声に出しては言わない。

そういえば、アメリカでは『家のリモデルをするカップルがいなくなったら、離婚専門の弁護士は商売上がったりになってしまう』と言われる。『リモデル』という言葉を『家を売りに出す』と置き換えられそうだ。

ふと夫の足元に目をやると、靴を履いたまま作業している。なんで部屋の中で靴を履いているんだ!と頭に来る。「なんで土足なわけ?!!」とイラついた声で言う私。

夫は夫で、お金がかかってもキッチンのキャビネットの不具合を直さないといけない、と主張する私に「もうこれ以上お金をかけたくない!」と怒りの表情と低い声で応じる。ここでちょっとのお金をケチることで、マンションを安く買い叩かれたりすることをこの人は知らないのか!ケチ!と目の前が真っ暗になるほど腹が立つ。

極めて不穏な空気が流れる。『もうこれ以上この人とはやっていけない。マンションが売れたら離婚も視野に入れて将来のことを考えよう。』と思いながらシャワーのガラス戸を磨く。

9時になった。エージェントが来て、デザイナーが来て、トラックが到着して、とステージングが始まる。いずれ離婚しよう、とさっき決めたばかりの夫に「朝ごはん食べに行く?」と声をかけて、二人でカフェに行く。




この夫がストレスを抱えながら仕事をしてくれているから私も日本に遊びに行ったりできるんだなあ、と少し殊勝な気持ちになりながら歩く。

このマンションを売ったら、大きなローンもなくなって夫もストレスが減るだろう。とにかく、私たちの年齢でジャンボローン(と呼ばれる)を抱えるのは夫にとってものすごい重荷だっただろう。イラついて悪かったなあ、などと反省する。

3時間後部屋に戻ると、部屋の中は一変していた。

まず、ダイニングスペース。

ビフォー

アフター

書斎と呼んでいた小さなスペース。


ビフォー

アフター

私と夫が泊まる時使っていたゲストルーム。

ビフォー

アフター
違う角度から


ゲストルームのもう一面の壁にも明るい色の絵がかけてある。



リビングルームはこんな感じ。



次男とマリーが使っていたマスターベッドルームもカラフルなクッション、観葉植物、絵、ランプで見違えるようになっている。。

ビフォー

アフター

マスターベッドルームのもう一面の壁

キッチンにも明るい色の小物があふれている。



装飾は私のテイストではないが、たくさんのランプや壁にかけた絵で全体が明るくなって魅力的になっている。やっぱりデザイナーにお金を払って良かったよね、と言うと夫も同意する。それまで、$2000以上も払う必要があるのか、と渋っていた夫も見違えた部屋に嬉しそうだ。

写真撮影は終わったが、明後日部屋を見たいと言う人がいる、とエージェントが言ってたので、完璧に綺麗にしよう、とキッチンやバスルームの床に落ちていたゴミを掃除して帰ることにした。

ダイソンで3分もあれば終わりそうだ。ところが朝ダイソンを使った夫がその後充電していなかったらしく、掃除し始めた途端に電池切れした。

カッと頭に血がのぼる。

怒りは今日のマックスに達した。

使ったあと、なぜ充電しない!
充電しておくのは常識だろうに!
やっぱり離婚だ!
もうこれ以上絶対無理!

なぜ脳の血管が切れそうなほど腹が立つのか、自分でも不思議だ。

パワ ーof ダイソン