2019年9月30日月曜日

住宅事情 4 叶わぬ恋

参っちまった。もう恋をすることなんて二度とないだろうと思っていたのに。

恋心はある日突然やってくる。

我が家のある場所10キロ四方で一番安い家は1.3億円ぐらいだろうと思う。そこは学校区が悪くはないが、次男とマリーがヒロを行かせたいところではないので、やはり希望の学校区内に家を探していた。が、そもそも1.5億円どころか1.3億円だって、いや1億円だって彼らは払えないのだ。

私と夫も払えない。サンフランシスコのマンションを売って頭金の足しにするとしても、次男たちは巨大なローンを借りない限り払えない。が、託児所に二人預けるだけで$5000かかるシリコンバレー。どうやって億単位のお金を工面するのか。

幸せな子供時代を送っていない(と言う)マリーにとっても、
自分の家を持つことは大きな夢のようだ


冷静に考えるとどうしても無理なのだ。だが、家がほしいと思ったことのある人にはわかってもらえると思うが、今買わないと値段はもっと上がるのではなかろうか、この家を買わないともう二度とこんな家は出てこないのではなかろうか、と冷静にはなれないものなのだ。

そんな家を今日私は見てしまった。次男たちが好きなゴルフ場のある地域、この地域のことを私は知らなかったし興味もなかった。なのに、今日行ってみたオープンハウスでこの地域に恋をし、そこにあるこの家に恋した。

昨日は5軒家を見たのにもうその5軒なんかどうでも良くなった。今日見た家の写真を一挙公開します。

一応6軒目。延床面積2695(250平米)、土地面積14520(1348平米!!408坪!)、築57年。

家の幅が広すぎて写真に収まらない

裏庭が広すぎて家具がおもちゃに見える


普通ならこれが裏庭のサイズだが、これはサイドヤード(家の横庭)

とにかく広大な庭

この庭の維持費はすさまじいだろう

ダイニングルームからキッチンを見たところ
いずれリフォームする必要はありそう

さて、私が恋したのは裏庭と家の内装もだが、この In-law suite/Granny suite(日本ではグラニーフラットと呼ばれるらしい、いわゆる離れ)おばあちゃんのための部屋、あるいはメイドの部屋、あるいは義理の親の部屋、という部分。

車庫を隔てて増築された部分だが、寝室、キッチンと食卓になるカウンター、洗濯室、バスルーム、それに大きなクローゼットがついている。



小さい方のドアからは庭に出られる
大きなドアは奥行きのあるクローゼット

キッチン部分と裏庭を見渡す窓

バスルーム

廊下部分に収納棚

専用の洗濯室
が、気になるのは値段である。

なんと$1.875M、2億円ちょっと・・・

これはPalo AltoとかMountain Viewなどのサンフランシスコにもっと近い街に比べると半額ぐらいなのかもしれない(いや、全然見当もつかないが)し、あら、安いわね、と感じる人もいるだろう。が、私には全く手が届かない。いや、次男とマリーも今の倍以上のお給料をもらわない限り手が届かないだろう。しかも、固定資産税だけで毎月$2000を超すことになる。

計算してみよう。

家を買うには頭金を20%入れないといけない。つま$り379K、4100万円が必要ということだ。80%をローンにする。3.8%の利子として毎月の支払いは$7000。それプラス固定資産税が$2000。家の保険などを入れて毎月ざっと100万円。

いや、計算するまでもないのはわかっています。わかっているけど、もしも・・・、もしも・・・と考えるのは楽しいでしょ?いいよね?それぐらい楽しませてもらっても。 バチ当たらんよね?

それにもしかして年を取って一人になり、一人暮らしが不安になったら『グラニーフラット』に住める?とふと甘い考えがよぎる。年老いた親と住むこと、そして介護がどんなにつらいことかわかっているから、自分の子供には絶対同じ苦労をさせまい、年を取ったら老人ホームに入ろう、といつも思っているにもかかわらず、こういう時つい本音が出るのだろうか。

この家ごっつぅええよぉ〜、と次男にテキストメッセージを送った。写真を見た次男、ワオ、すっごい裏庭。車もたくさん駐車できそうだしいいなあ、という返事。

ほら、このGranny suite(In-law suite)を見て!とグラニーフラットの写真を送ると即レスが来た。

人に貸したらいくら入るかな?
だそうです

2019年9月29日日曜日

住宅事情 3 オープンハウス巡り

街が完全に様変わりしたなあ、と思う。シリコンバレーのことだ。

私が初めて渡米した1979年、サンノゼ空港から車でダウンタウンを走っている時、頭に浮かんだ3つの印象は『空が青い、屋根が赤い、ポッキーを買えるお店がない!』だった。

ダウンタウンはまだ舗装されてない道が多く、高層ビルもなく、街角には娼婦が立っているのがサンノゼという町だった。

将来のシリコンバレーになるとは夢にも思わず、こんな田舎で楽しいことなんかあるのだろうか、と鬱々とした日々を送ったあの頃。1ドルはまだ239円だった。

なのに、今は高層ビルが 建ち並び、高級車が連なって走り、お金持ちがゴロゴロしている。

そして電気自動車も増え、高速の渋滞時周囲は見渡す限りテスラばかりだった


そして何よりも変わったのは不動産価値が高騰したことだ。

私たちが1985年に$129Kで買った3LDKの家の価値が上がり始めた頃は嬉しかった。不動産の高騰に関する記事が新聞の一面を飾るようになり、まだまだ上がる、いずれ現在の2倍になる、と書いてある。信じられなかった。が、嬉しかった。

当時の家から歩いて行くことができたトレイル

確かに家の値段は上がり続けた。どんどん上がった。最初は嬉しかったが、実はこれは憂うべきことだと気がついた。つまり息子たちが家を買うことができないということだ。特に子供ができて学校のことを念頭に、少し広い家が必要になった次男たちにとっては大問題だ。

長男はサキ母の家でサキと3人で暮らしていて、サキ母も長男と一緒に住み始めて、いろいろなことを長男に頼れるようになった、と喜んでくれている。このことは後日書くことにして、今日はあちこちのオープンハウス巡りをした ことについてメモしておきたい。

次男とマリーの希望は、まず家は古くてもいずれリフォームすることを念頭に土地の広さを最優先し、車庫は3台の車を納めるスペースがあり、庭が広いこと。プールなし。ゴルフ場に近い地域(ゴルフをするわけではない)で、静かなこと。つまり早い話サンフランシスコのマンションとは対照的な物件を探していると言えよう。

毎日夕方ヒロを連れて近所の家を見ながら歩く二人


週末でサンフランシスコに帰っている次男たちの代わりに、家巡りが大好きな私が不動産業者である友人Mとオープンハウスを廻る。いくらぐらいでどんな家が買えるのか下調べをしておきたい。

1軒目。延床面積1844平方フィート(171平米)、土地面積9334(867平米)、築45年、$1.29M(1億3900万円)。

1軒目は玄関が南向き、 リビングや裏庭は北向き

リフォームは必要だが、とりあえず住めそうな状態。だが、オープンハウスをしていた不動産屋さんによると、この値段は購入希望の人たちが競り上げることを見越してつけた値段で、月曜日の12時が入札締め切り、一番高い金額をつけた人が競り勝ち購入することになるそうだ。

2軒目。延床面積2190(203平米)、土地面積9975(926平米)、築45年、$1.345M(1億4580万円)。


内装は『奥様は魔女』の時代で止まっている感じ。汚れたカーペットや猫の毛がこびりついた家具、淀んだ空気、リビングを見ただけでサンキューと挨拶をして家を出て深呼吸する。

全面的なリフォームなしで住むのは不可能

最初っからとびっきりのステッカーショック(値段の高さに驚くこと)を受けた。この家を住める状態にするには少なくともリフォーム代として2千万円はかかるだろう。息苦しくなった。

一旦帰宅して冷凍庫からチョコレートでコーティングしてあるアイスクリームサンドイッチを取り出す。


シュガーショック療法

2019年9月23日月曜日

住宅事情 2 親と同居

バークレー方面にあるTokyo Fish Marketにお刺身を買いに行き、朝9時台にサンフランシスコに向かってベイブリッジを渡る時、この美しいサンフランシスコの街にあるマンションを売っていいものだろうか、と少し心が揺れた。

橋からのこの景色が好きだ。

どこまでも青い空
コイットタワーやゴールデンゲートブリッジがきれいに見えた朝


が、この景色を楽しむために不動産をキープすることは代償が大きすぎる。次男とマリーからは毎月住宅ローンを払ってもらっていたが、なにしろカリフォルニアは固定資産税が高い。マンション1戸を持つことで毎月数万円の固定資産税、それ以上の管理費、数千円の地域の税金、維持費などなど私たちの出費も大きく、夫はマンションを買って以来、ストレスで押し潰されそうだといつもぼやいている。

昨日は久しぶりにサンフランシスコに家族で集まって次男誕生日の食事会をした

この前まで次男とマリーはPalo Alto(パロアルト)というサンフランシスコとサンノゼの間にある街で働いてた。Palo Altoにある彼らの会社までサンフランシスコのマンションからだと南に80キロ、サンノゼの我が家からは北に向かってその半分の距離だが、北向きの渋滞の方がずっとひどい上、ヒロの保育所が通勤途上のDaily City(デイリーシティー)にあることは、彼らがサンフランシスコに住みたい決定的な要因だった。(マンション購入時次男はサンフランシスコで仕事、マリーはサンフランシスコで学生)

なのに、ヒロの託児所が我が家のそばに変わり、次男とマリーの職場がMountain View(マウンテンビュー)というPalo Altoよりもっと南に変わったことで彼らはサンフランシスコに住む必要がなくなった。

我が家でウィークデー同居するようになって、マリーは自分がいかにカントリーライフをエンジョイする人間であるかわかったということだ。次男はとにかく家がほしい。それも自分が育った我が家のある地域が学校区もいいことで、ターゲットは親の家のそば、と決めた。マリーも全く依存はない。

マリーはマンションではなく、裏庭のある家に住みたいのだとか
(左の二人マリー姉と姉婚約者は婚約者の両親の家に同居)

マリーは我が家に完全同居でもいいそうだ。どこであろうとどんな家であろうと、次男を信頼しているので、彼の決定に任せるということ。それに我が家の近所なら私の作った夕食を月曜日から金曜日まで仕事のあと食べに来れるから、というのがマリーが我が家のそばに住みたい大きな理由らしい。

サンフランシスコのマンションを売ることで手に入るお金(マイナス住宅ローン)を頭金の一部に充てて、次男とマリーが預金をはたいて残りの頭金を工面し、そして住宅ローンを借りて家を購入したら、今後30年かけて返済していくという形になる。

その件が落ち着いたら、次は長男とサキを援助したい
(現在彼らはサキ母の家で同居)

シリコンバレーは住宅価格が高騰しすぎて、親の元に帰って子育てをする若い夫婦が激増した。この辺りにはもう affordable つまり手の届く価格の家がほとんどないのだから、それも仕方なかろう。この世代はブーメランジェネレーションと呼ばれるが、親の家で同居し自分が以前使っていた子供部屋を使う。そして、中には子供が皆親の家に住みたくて、兄弟間で子供部屋の取り合いになったりするそうだ。

しかし完全同居になるということは・・・

夕食のために週7日ここまでの下準備をするということになるんか?

2019年9月21日土曜日

住宅事情 1 サンフランシスコのマンション

老後はサンフランシスコで暮らす予定だった。友人たちにもそう宣言して、ええ〜っ、近いとはいえ今までのようにちょくちょく会えなくなるんだ、と残念がってもらってもいた。でも、京都で神社仏閣を訪ねながら歩き回ったり、東京で地下鉄を乗り継いでおいしいものを食べに行ったり、というのとはちょっと違うとわかった。サンフランシスコは私の老後を充実したものにしてくれるはずだったのに、どうも計算違いがあったらしい。

サンフランシスコで仕事をする次男と学校に行くマリーが住むために、そしていずれ私と夫が住むために、と2014年5月末に購入契約し、2016年2月に引き渡され次男とマリーが住み始めたマンション。翌年夏にはヒロが産まれ彼らはここで3年半生活した。

もちろんニャンズも


そのマンションを売りに出すことに決めた。

このマンションの鍵を渡された頃、地域はまだまだ開発途上でお店もほとんどなかったのに、つい最近Chase Centerというアリーナがオープンし、バスケットボールチームが移転してきた。日々有名なエンターテイナーのコンサートがあり、スーパーやレストランも続々とオープンし始めた。

地下鉄も来年(再来年かもしれない)開通し、マンションから歩いて5分で駅(この駅は地上)に着き、そこから6分でユニオンスクエアに到着する予定だ。

やっと便利になって充実した老後生活を始められそうになった途端に気が変わった。私はサンフランシスコに住むには年を取りすぎているようだ。いや、問題は年齢じゃなく私という人間がサンフランシスコに合ってないとようやくわかった。

サンフランシスコは常にどこもが工事中という感じ


このところサンフランシスコは危険になってきたと思う。必ず携行するように、と次男から渡されたペッパースプレーをとっさの時使える自信がない。そして、不動産価格を吊り上げられ住みにくくなった街では、元からいる住人やお店のスタッフの多くからなんつうか殺伐とした雰囲気を感じるようになった。住民の気持ちにはとても共感できる。同じ立場にいたら私だって苛立つだろう。

それもあり、ここは老後生活を過ごす場所ではないと思い始めたのだ。

つい数日前も住民の無料巡回バスに乗ろうとしたら、
危険人物がバスを待つ人たちに絡み始め、警官が出動した


この街は京都や東京の住みやすさとは違う。まだまだ多くの人々はフレンドリーだが、街自体がもう私を拒絶し始めている。サンフランシスコは30代ぐらいまでなら住めたかも?と思ったりする。いや、もう少しいけるか?40代?

横断歩道のカウントダウン14で軽〜く横断できる年齢までかも

2019年9月7日土曜日

リブート

京都の四条河原町にある高島屋の中の通路を歩いていた時だった。通路角を向こうから曲がってきた人の良さそうなおばあちゃんにぶつかりそうになり、スミマセン!と謝ろうとしてハッと気がついた。

それは等身大の鏡に映った私だったのだ。

今朝おばさん体型の特徴という記事を送ってきてくれたYりさんとは、体脂肪や血糖値などが同じなのでお互いにいつも食生活の改善、運動をしよう、とハッパを掛け合っている。(が、二人とも長続きしない。)

Yりさんの送ってくれた記事(イラスト)によると、太った中高年の特徴は以下を含む。

  • 体重は増えているのに頰など顔はこけやすい。
  • 背中や肩に厚みがある
  • 筋力が落ちて全体的にブヨブヨ
  • 腰回りが太い
  • お尻や膝上、足首に余分な脂肪がつく

こりゃ私だ!

その上ここ2年で眉がなくなりつつある。人が良さそうに見えたのは眉がなかったのも一因なのだろう。昔なんて志垣太郎(古い)眉だったのに、今やポソポソとかろうじて少しはえているだけで、これがとても老人くさい。そして一番の問題は髪だ。毎日シャワーのあと排水溝を掃除すると20本から30本ぐらい抜けている。

1歳の時の私の写真の裏には
真知子巻きをして潮干狩りに来た、と書いてある
幼少期から数年前までは一貫してこのように髪が多かった


だからROGAINE(毛生え薬)を始めた。眉も去年からしっかりペンシルを入れるようにしている。

しかし考えてみると一番の問題は髪ではない。髪はなくても生活はできる。

半年後の写真をお待ちください
(薬が額に垂れてこないように、手ぬぐいを巻いて塗布する)

問題は脳だ。昔々スーパーに行くのに20個ぐらいの買い物リストは簡単に記憶できていたし、メモを取ったことはなかったのに、今やリストの項目が2つになると忘れる。(1つでも思い出せないことがある。)

リストがあっても効率的にお買い物ができない。スーパーでは何度も何度も同じ棚に戻ったり、食品を目指して歩く途中で他の食品に気を取られて、結局必要だったものを忘れて帰る。帰宅して『ああああああああ』と思うことが多い。

髪よりも眉よりもほっそりした腰よりも、ほしいものは一つ。

20代の頃のアルゴリズムを入れ直して
再起動してほしい