母がいつも入院していた病院 なんで父より先に死んだのか、といつも思う |
父のホームでのワイワイ広場に行くことにした。
以前は日本に帰ると必ず父を連れて行ったものだが、部屋の熱気やお手伝いをすることで疲れてしまうので3月の帰国からはやめた。
自分の体調を崩すと父のところにも行けなくなるからだ。
が、そうすると父はなかなか行かないらしい。
スタッフが声をかけてくれても頑なに拒否するか、行きたい時にはスタッフが忙しい。
先週は行きたかったのに、スタッフが忙しかったらしくて行けなかった、と1週間たっているのに父は言い続ける。
こういうことは覚えているのだ。
これがまだらボケなんだなあ、と感心する。
久しぶりのワイワイで、父はドーパミンが出ているのがわかる。
もう笑顔が止まりませんという顔だ。
エクササイズは『東京音頭』に合わせてする。
父の声は大きいので、先生に皆のリーダーになって歌ってください、と言われて嬉しいようだ。
部屋に帰ってからも楽しかったと言い続ける。
こんなことならやっぱり毎週来てあげれば良かった、と後悔する。
一緒に1時間ほど歌うと、父はどんどん活性化しているのがわかる。
東京音頭は支那事変の時よく流行った。
日本が世界から厳しいことを問われた時代だったから、ああいう音楽が流行るのだ、と言う。
その辺は記憶も曖昧なのだろうが、父は真面目な顔をして言うので、本当かもしれない、などと思ってしまう。
千頁以上もある分厚い歌の本をめくって色々一緒に歌ってあげる。
こんな歌もあった。