2025年6月20日金曜日

猛暑の中家を片付ける

毎日とんでもなく暑い‼️


6月なのに、連日35度。


その暑さの中、京都の家の片付けをしている。



昨日はアルバムや書類を整理

階段下には工具類がびっしり


比較的広い家なので、そう多くないように見えるが、やはりまだまだ物がある。


しかも、姉はすでに引っ越しているので、モノは生活必需品ではないモノ。


地下室から物を持って上がり、それをゴミに出すのも一苦労。


アルバムも1枚1枚写真を保存するわけにはいかないので、ページ毎に写真を撮った。


結局写真に見入ってしまい、時間がかかる。

戦争中台湾にいた若き父


蚊に刺されてあちこちが痒い。


40年前‼️姉の写真が載ったCanCamという雑誌も出てきた


家具以外にも細々としたものが多い。


ゴミ袋に入れるもの、とっておくもの、と仕分け作業に時間がかかる。


押入れには物が詰まっている。


これを私が滞在する1週間で、姉と二人で片付けるのは無理だなと思いながら作業を続ける。


姉は毎日地下鉄で実家に帰って来る。


姉と一緒に作業している時は、ずっとおしゃべりしている。

35年以上前、姉の職場の男性30人と
海に行った時の写真も出てきた
当時はこんなジーンズ(右端私)が流行っていた‼️


作業4日目からは、午後の休憩に姉のマンションがある地域に行くようになった。


烏丸蛸薬師にあるベローチェに連日行き、コーヒーゼリーを連日食べる。

吹き抜けのある広いベローチェ



早朝から一人で片付け、姉が来ると一緒に捨てるものの分別。


夕方以降は、姉がメルカリで売った家具を業者が引き取りに来る日も多い。


一人で作業している時はつまらない言葉の切れ端が、延々と頭の中でリフレインしている。


押し入れの中の物を黙々とゴミ袋に詰めながら、頭の中では言葉遊び。


外はバケツを引っくり返したような雨が降っている。


「土砂降り・・・バケツを引っくり返したような雨・・・バケ・ホーダイ・・・」


が、もうそろ京都を出る。


まだまだ捨てるものも多いし、残りは姉一人でできるのだろうか。


なにしろ今年の夏は更に酷暑になりそうだ。


そんな暑い中、姉と5月にも行った大丸隣のお寿司屋さんでちらし寿司を食べた。


飲み物に烏龍茶を頼むのは、
井之頭五郎さんの影響デス

2025年6月12日木曜日

毎日診察室

 日々があっという間に過ぎる。


6月3日の夜コロラドからサンノゼに帰り、10日の夜成田着。

16時40分発のフライト
サンフランシスコ空港に向かう高速には霧がかかっていた


滑走路は今まで見たこともないほどの大渋滞だった


昨日は成田のホテルから京成スカイライナー→日比谷線で築地の手外科に行ったあと、池袋のホテルにチェックイン。

全館リニューアルがすんだばかりの定宿


今日の午前は大泉学園の皮膚科に行き、午後は池袋の形成外科でマレット指を診察してもらう。


明日京都に移動。


京都の家の片付けをするために、1週間実家に滞在し、その後東京に戻り3、4泊したあと帰国、というスケジュール。


それにしても、今回驚いたこと。


何もかもがめちゃくちゃ値上がりしている‼️


5月にはここまで値上がりしていなかった。


いつも買っていた1個180円だったパンが300円に、800円だったお弁当が1100円にというふうに、一気に高騰している。



いや、いつもカリフォルニアで食べているピーツのピーチベリースコーンは1個4ドルする(チップ込みで)。


それに比べると300円のパンは激安と言えよう。


が、日本は今まで何もかもが安かったから、この突然の食べ物の高騰には驚いた。


もう買えない、と感じる。



さて、今回は池袋のホテルに滞在している、と書いた。


東京で遊ぶことを覚え、東京に年に何度か滞在するようになって18年。


最初の数年間は銀座に泊まっていた。


その後四ツ谷、麹町、御茶ノ水などのホテルを転々とした。


それから、民泊を利用するようになり、市ヶ谷、神楽坂、石神井公園、などを楽しんだ。


が、最終的に私はまた池袋に戻ってきた。


友人たちが皆、私に池袋は似合わない、と言う。


若者、雑踏、ある程度無秩序の街だ。


でも、昨日久しぶりに池袋で半日を過ごし、楽しいと思った。


京都でも、実家がある住宅街よりも、繁華街に近い姉のマンションに泊まる方がずっと充実した日々を過ごすことができる。


クリニックも無数にある。


もし老後を京都で過ごしたら、、、


今日みきみぃさん、来てはらへんな
病気なんやろかと噂されそう