2024年9月28日土曜日

マニトウ インクライン

安土城の天守までの高さは46㍍で、石段400段あまり(結構厚みのある石多し)。


ここに登ることは思ったより簡単だと思った。

ふもと

天主


途中で何度も立ち止まって写真を撮ったりしても、20分あまりで天主跡に到着。


普段家の近所の坂道を歩いているおかげだろう、と慢心していた。



なので、次男から、今度一緒(夫も)にマニトウ インクライン(Manitou Incline)に登らない?と誘われた時、思った。


「ヨシ、私がまだ丈夫な足腰を持っていることを見せるチャンス!」


YouTubeでも多くの動画が見られる(ここをクリックすると紹介の動画が見られます)。


まず、自分が友人と登ってくる、と試した次男。


30分以内で征服するアスリートもいるが、普通は1〜3時間かかる。


毎日マラソンをしている友人Aは、麓からトップまで48分。


次男は78分かかったということ。


昼前に麓を出発したので、暑くて思ったより時間がかかったようだ。


写真を見てびっくり。


ふもと

思い出したのだが、ここコロラドはスタート地点で既に高地なんだった。


調べてみた。


The base elevation is 6,530 feet, while the summit elevation is 8,500 feet — resulting in an elevation gain of just over 2,000 feet!


スタート地点でなんと標高1959㍍、つまり2キロ近い❗️


頂上から見下ろしたところ


ここに山小屋があったら、高山病にならないよう、カレーライスを食べながら身体を慣らそうとする人が多いだろう(富士山か!)。


終点は標高2550㍍‼️


実際、富士山の五合目と同じくらいの標高である。



せっかく誘ってくれたが、ノーサンキュー。

いつの日か、機内から見るだけで充分デス

2024年9月25日水曜日

姑の壮大な歴史

コロラドは突然朝晩寒くなってきた。

今年初めての冠雪


次男一家がコロラドに引っ越したために、 数年連絡し合わなかった夫の兄妹たちと、また交流するようになった。

Park Meadowモールの駐車場で、うろこ雲に気がついた


姑とは色々とあったが、1月には92歳。


もうお互い先が長いわけでもない。


義妹たちとも気持ち良く付き合いたいが、どうも私の心の底にはまだ少し垣根がある。


唯一今後も関わりたくない、という気持ちが拭えない義兄夫婦は、アリゾナに引っ越した。


なので、顔を合わせることもあまりない。

次男は2017年型トヨタ・タコマを運転中(幹線道路)
突然ブレーキが効かなくなる、ということがあった
修理工場まで牽引(修理代$1800)


姑は薬一つ飲むこともなく、健康である。


歩行は長距離に限りサポートを必要とするが、それでも足の痛みも何もなく、なによりも認知症には程遠い記憶力の良さだ。


そして、その記憶がしっかりしている間に、姑のいくつかの歴史的体験を書き留めておきたい、と思った。


なので、また東京ベーカリーに、一緒に行き話を聞くことにした。


これには夫の兄妹がとても関心を持っている。


が、姑はあまり英語が話せない。


家族は誰も日本語を理解しない。


なので、ファミリーヒストリーとして私が記録しておき、息子たちに伝えてもいいな、という思いがある。


書き留めておきたい記録は、姑が満州から一人で引き揚げた時のこと、初めて渡米した時のこと。


そもそも姑と夫以外の兄妹たちは、自分の家系がとても高貴なもの、と信じていて、そのことばかりに焦点を置き、実際の歴史は殆ど知らない。


特に満州から引き揚げた時、姑はまだ子供だった。


母が生きていた時、藤原ていさんの「流れる星は生きている」を毎日少しずつ読んであげたのだが、これがとても感銘深い本だった。


姑もたった一人で、満州からどうやって日本に帰ったか、という壮大なストーリーがある。


それを今私が書き留めて、今後何度も姑にインタビューを重ね、史実をチェックし、と時間をかけて記録することにした。


史実チェックだけで、膨大な時間がかかりそうだが、これが思いの外おもしろい。


姑が満州から北朝鮮を通過し(当時はまだ朝鮮人民共和国で、北朝鮮と韓国に分かれていなかったが)、どうやってたった一人で広島に帰り着いたか。


いつかここに書きたい。


勿論藤原ていさんの足元にも及ばないが、史実に基づいたストーリー。


それまでは、コロラドの寿司屋さんの、濃い濃い味の巻物の写真でお茶を濁したいと思う。


ま、私のストーリーでは
「流れるスシは生きている」レベルだろうが

2024年9月20日金曜日

トレジョのミニトートバッグ

トレジョ(トレーダー・ジョーズ)のトートバッグはアメリカでも日本でも人気がある。


左が大きいトートバッグで、以前はどこのトレジョにもあったが、今はあまり見ない。


小さいトートバッグは大人気の限定販売品で、プレミアムがついてヤフオクやメルカリでも販売されている。


小さなトートバッグは、年に2度ほどお店で販売される。


ちょうどパソコンが入る大きさ

両面に外ポケット付き
日本の買い物バッグと比べると2周りほど小さい


その限定販売が9月18日の朝8時から、という情報を得たので7時45分に夫と行ったら、もう行列ができていた。



しばらくすると、店員さんがお店から出てきて、お一人様5つまでです、皆さんに行き渡るだけの数が充分あるので、大丈夫ですよ、と説明がある。


このバッグは、アメリカでも日本でも場合によっては高額で転売されるらしい。


私はこの大型版トートバッグが好きなので、小型があると聞いて以来ずっとほしかった。


家族連れで来た人たちも含め、どの人(子供)も腕に5つ抱えてお店を出てくる。


夫と私で10個買った。


その後姑を東京ベーカリーに連れて行く約束をしていたので、50キロほど運転して姑が住む義妹のを家でピックアップ。

東京ベーカリー前の道


そこからまた20キロほど離れたところにあるベーカリーに、まず姑を連れて行く。

持ち帰り用のパンやサンドイッチとコーヒー
(はっきり言って日本で食べるパンとはかなり違う)


食後買い物に行きたいという姑を、朝行ったトレジョとはまた違う姑の家の近所にあるトレジョに連れて行く。


そこにはまだトートバッグが残っていた。

1つ$2.99


コロラドで家族に、そして日本の友人へのお土産が買えたと思うと、大きな達成感がある。


なにしろ、毎日毎日食事作り、片付け、孫と遊び本を読んであげて寝かしつける、という単調な日々。

右は先日7歳になった孫の靴、左が私の靴24㌢

夜は私のベッド横で、7歳と4歳の孫ズが寝る
4歳の方は寝たあと、子供部屋に移す


トートバッグ三昧の一日の終わりに、孫1のために注文していた、ゴーグルと革手袋がアマゾンから届く。


ゴーグルはこんな感じで7歳児の目をちゃんとカバーする
革手袋もピッタリ


が、トリクシーがこの革手袋を気に入ってしまって、数分後には裏庭に持って行き、クチャクチャになっていた。


次男はトリクシーがかわいくてたまらないので、ヤレヤレという顔はするものの、トリクシーを裏庭に連れて行きシャワータイム。

ぬるま湯でシャンプーしている間、大人しく立っているトリクシー


私はその間、孫1のバックパックから宿題を出して、一緒に終わらせる。


バックパックから、黄色いポストイットが出てきた。


女子クラスメイト・ハナちゃんから孫1への、「Your (You're)  funny」というメッセージである。


幼少時、おもろい男がモテるのは万国共通である

2024年9月17日火曜日

ベビーシャワー

コロラドにいる。


また、孫ズの世話と夕食の支度を手伝い、孫#1と寝る日々だ。


そして、毎朝モールに出勤して(月から金)、歩く。


歩く前にノンファットデカフェラテを飲みながら、朝食(食べるものは持参)。



今朝持ってきたものは、朝焼いたタピオカパン


カフェラテはチップ込みで6ドル以上なので、毎朝は辛い。


が、コロラドに来ている間だけ、と言い訳して飲む。

アメリカではデパートが開店する時刻はマチマチ
今朝は9時53分


週末、孫#3ベビーシャワーがあった。


ベビーシャワーとは、妊婦の友人や職場の同僚たちが集まって、妊婦のために催されるパーティのことだ。


私も長男の時は職場の同僚たちが、次男の時はママ友たちが10人近く集まってくれて、楽しい時間を作ってくれた。

ランチも用意されていたのだが、何よりも美味しかったのがこのトマト
なんという名前なのか忘れたが、とびっきり美味だった


今回のシャワーもよく考えられていて、かなりの時間が準備に費やされたことがわかるものだった。


アメリカ人は、こうしたパーティでの余興などのエンタメ作りが上手だ。


私が思いつくゲームなんて、記憶スケッチぐらいのものだが、主催者たちはおもしろいゲームをいくつか用意しておいてくれた。


まずは、木製のサイコロにカラーマーカーで色々な絵を描き入れる。


いずれ、生まれた赤ちゃんが大きくなった時、このサイコロを使って家族でゲームをすることを想定してあるのだ。



次に、15種の生き物の名前が載ったリストを配られた。


リストの名前は例えばBear、 Fox、 Snake。


その下にはやはり15種類の赤ちゃん動物の名前のリストがある。


Bearの赤ちゃんの名前はCubと呼ばれる、というように、英語では動物の赤ちゃんの呼び名がそれぞれ違う。


これは日本人の私には完全にお手上げだったが、アメリカで育った参加者たちにも難しかったようだ。



次はベビーフードを食べて、何の味か各々紙にメモするゲーム。


5つのうち私が正解したのはバナナ味のものだけ(あとは複数の味が混ざったもので結構難しい)。


カリフラワーやら、とうもろこしやら、私には味の違いがわからない。



そして、粘土を一つずつもらい、赤ちゃんを作るというプロジェクト。


私はこういうことをする時、全く根気が続かず、とにかく早くやっつけてしまいたい、という思いが勝ってしまう。


多くの参加者がいくつもの粘土の塊をくっつけて、じっくり時間をかけて作るのに比べて、私は究極の手抜き。



そして、2,3分たった頃には、「もうイイや」となる。


小さい頃から、とにかく何においても根気のなさが自分の悪いところだったと、改めて思い出した。

粘土をなめらかに整えよう、ともせず、
あちこちを爪で押すだけという怠惰さ

そして、私のこの気質は息子にも遺伝しているらしい。


彼もあっという間にすませてしまう。


じっくり見てやっと、赤ちゃんが毛布にくるまれているのがわかる


他の女性たちは、こうして細部まで時間をかけてきれいに作る。

なめらかになるまでキチンと整えられた
一等賞を獲得した赤ちゃん


そして、夫の作品を見ると混乱する。



ワラジ?


2024年9月7日土曜日

クリスマスストッキング#3

次男と孫ズが3泊し、ぞろぞろと帰って行ったと思ったら、70時間後また次男が仕事がらみで我が家にUターンしてきた。


孫ズが来ると、長男とサキが公園に連れて行ってくれる(これでどうにか1日は潰れる)。

真ん中ピンクのシャツがサキ、その左側長男、右端が次男

孫ズを遊具に乗せて両側から押す息子たち
(黒の帽子、グレーT、ダークジーンズでまるで双子)


次男一人で来ると孫ズの世話をしなくていいのだが、今度はマリーが仕事と子供2人の送迎や世話で大変だろうなあ、と気になる。


我が家と次男家族の家は1550キロ離れている。


日本国内で言えば、秋田市にぎわい交流館から佐世保市体育文化館までの距離(余計わかりにくい?)ぐらいだ。


孫ズは猛暑の中プールを楽しみ、夜は熟睡。


夜は私の寝室で寝たいと言う二人
私は安眠できない3晩だった


思えば4年前は、次男一家が4人で我が家に半年住み、2020年6月に我が家から歩いて行けるところに家を買い、2023年末にはコロラドに引っ越して行った。

我が家に同居していた頃、孫1は2〜3歳で手がかかった


いつも思うのだが、息子たちは親がもう年をとって色々なことに対処する体力がなくなってきていることが、想像できないのではないか。


姑が言う。


車の運転を一昨年(89歳の時)やめて以来、まるでJAIL(牢屋)にいるみたいよ、と。


娘夫婦と同居はしているが、彼らも孫の世話があり忙しい。


姑の住むところには、ベイエリアのように、近所に(車で10分以内)和食材のお店やベーカリーがあるわけでもなく、歩いて行けるお店は皆無。


数年前に東京ベーカリーというお店ができたが、ここに行くにも姑の住むところから車を15分ほど運転しないといけない。



お店はモダンな造り

パンは$43だが、チップが15%で一気に高くなる
(気がする)


運転していた頃は、車で5分のターゲット(ニトリのような大型店)やスーパーに行ってたのに、それすらできなくなった。


今はまるで牢屋にいるみたい、という姑の気持ちはよくわかる。

姑は中距離以上を歩く時、誰かの補助が必要


私だって、コロラドで車が使えない日はまるで牢屋にいるみたいな気分になる。


なにしろ、サンノゼの我が家と違って、次男の家の周りは歩いても歩いても、人っ子一人すれ違わない。


なので、出かけると言えば車の運転は必須。


やはり日本がいいが、かといって家族はアメリカにいる。


この堂々巡りの悩みは数年続いているが、そろそろ決断しないといけない締め切りが近づいてきている。



いや、もっと早急にやっつけないといけないものがある。


孫#3のクリスマスストッキングである。


10月初旬に生まれる予定の孫#3。


つまりクリスマスには#3のストッキングが必要だ。


Dimensionsというブランドのものなら、なんでもいいから選んで、とベビー母に任せた。


私の好みとしては、こういう色がはっきりしたものだ。

左がマリー、右がサキに作ったもの


が、彼女が選んだものはこれ。





う〜〜〜〜〜ん。


これはとても難しい。


クリスマスまでに間に合うとは思えない。


9月6日現在でこれ・・・


なぜって・・・


ババアには白糸が見えんのよ〜〜

2024年8月30日金曜日

コロラドからやっと帰ってきたと思ったら・・・

2週間ちょっとのコロラド滞在を終えて、サンノゼに帰った。


孫1の7歳の誕生日パーティが終わったあと帰ったのだが、最近は目が覚めた時サンノゼにいるのかコロラドにいるのか、すぐわからないこともある。


孫たちは新しい環境・人々に即馴染める性格なので、新学期2週目でも数人のクラスメイトを招待し、今年も裏庭に巨大な遊具をレンタル(レンタル料はマリー母からのプレゼント)

しかし子どもたちはほんのちょっと遊んだだけだった


新しい友人たちと夫の親戚も
7歳の孫へのプレゼントの中には、もあった😱


が、何よりもウケたのはバブルマシーン


思えば去年の夏は、ジャックさんによる「次男の家のリフォーム」最終段階の頃だった。


裏庭に小さな離れを作ってもらい、ティーンエイジャーになった息子たちはここで過ごすようになるだろうなと言っていた次男。

が、私は次男たちが数年後、またどこかに引っ越すだろうと感じていた


なのに、なぜ今年はコロラドにいるのか。


あのあと、突然気持ちが変わったのか。


起業するため?


自分の会社を興したい。


会社を辞めたあと、いくつかの会社から「うちに来ないか」と誘われた。


悪くない条件なので、心が動くかなと思った。


が、自分で起業するという気持ちは固まっているようで、オファーは全て断った。


「どこかの会社に加われば生活は安定するけど、それでは1年前と同じ。


自分の会社を作りたい。」



私は、次男に安定した会社に就職してほしいと思った。


かと言って彼の夢は応援したい。



ベイエリアで働いていた次男とマリーの収入から比べると、マリーの収入だけで暮らしている現在、二人に不安はあるだろう。


サンフランシスコの住人が自分のことを富裕だと感じることのできる保有財産(不動産は含まない)は、最低でも$4.4M(約6億円)だということ。(ちなみに日本での富裕層定義は純金融資産の保有額が1億円以上5億円未満、5億円以上保有する世帯は超富裕層と呼ばれる)


これが多くのベイエリア住民の感覚らしい。


全国平均では$2.6M(4億円足らず)ということ。


そんなベイエリアに次男夫婦は嫌気が差したようだ。


その気持はとてもわかる。


高額な保育料、固定資産税、車の維持費(ベイエリアはガソリン1ガロン=3.78㍑で約$5:コロラド$3前後)などなど。


私には富裕層に属したいという願望はないし、残りの人生で贅沢をしたいとも思わない。


たまに日本に行き、ヨーロッパにも一度は行き、美味しいものが食べられるぐらいでいい。


そして、時々孫たちに本を読んだりしてあげたい。


彼らは私が読むことを一番喜ぶ。


私が面白おかしく読むからだそうだ。


一緒にいる時はとんでもなく活発な男子たちだが、離れてみると微笑ましい。


そんなことを考えながら運動のためにモールを歩いていたら、スマホのメッセージ音が響いた。


次男からだ。


ちょっと休ませてくれや〜〜