Netflixの契約があり、家族アカウントで共有できるから無料で映画とか見られるよ、と長男に言われたのが数年前。
とはいえ、BSプレミアムのようなチャンネルがあれば、見たい番組はいくらでもありそうだが、アメリカで私が見たいと思う番組はほとんどないので、使うこともなかった。
そんな中、先週初めて2つの番組を見た。
何にでもすぐ影響される私は、それ以来その2つの番組のことばかり考えている。
一つはオードリー・ヘップバーンの人生に関してのドキュメンタリー。
これについては次回詳しく書きたいと思う。
さて、もう一つの番組。
これはDon't Look Upという、レナルドディカプリオ主演の映画だ。
ここからはネタバレになるので、結末を知りたくない人はここでサヨウナラ(^_^)/~
結論から言えば、というよりも結論だけを言うと、これは地球にエベレスト山ほどのサイズの彗星が衝突し、地球が滅ぶという話だ。
科学者であるレナルドディカプリオと、教え子の院生が発見するのであるが、この重大ニュースをメリル・ストリープ演じる大統領に伝えようとしても、自分の利益になることしか頭にない大統領(まるでどこかの国の前大統領のような)は、取り合おうともしない。
映画自体はコミカルなタッチでできていて、深刻なテーマも楽しんで見ることができる。
が、この映画を見た日から、最後の時間は誰とどう過ごしたいか、と考えるようになった。
このことが頭から離れない。
映画の中では、レナルドディカプリオは家族、そして教え子と教え子の友人と最後の時間を過ごす。
スーパーで調達してきた食べ物を食卓に並べて、お店で買ったパイでも悪くないよね、このコーヒーの味も・・・と、カジュアルトークの最中、最後の瞬間を迎える。
彼らにとって愛する人間と一緒にいられることだけが大事なのであり、当然ながら食べ物の味なんかどうでも良い。
そうだろうな。
最後の瞬間は体温のある者に触れていたいだろうな、と痛いほど感じる映画だった。
それは、家族、恋人、友人、ペット、など誰であろうが自分が一番大事と思う人間/生き物だろう。
そして、それ以外に大切なものというのは何なんだろう。
その時あなたが100億円持っていても意味はない。
美しい家で、美しい絵画や家具に囲まれ、高級なリネンに包まれていても、それらは何も意味を持たないだろう。
歳を重ねていくと、朝起きた時体のあちこちはパシパシしているし、目や耳の不具合は出てくるし、で若い時のように活動できなくなってくる。
私のような年齢だと、6ヶ月後に人類が滅びると言われようが、仕方ないと諦められるだろうと思う。
若い時は、お金がもっとあればxxができるのに、子供たちにxxを買ってあげられるのに、と思っていたが、そういう欲望もここ数年はなくなっていた。
バスルームをリフォームしていた渦中は、一つ一つの出来上がりに気持ちが揺さぶられたが、終わってみればもうどうでも良い。
夜中にベッドからそう遠くないところにトイレがある、それだけで充分だ。
最後の瞬間まで、人(家族や友人たち)を愛し、人から愛される毎日を過ごしたい。
そう思いながらも、最後の家族の集まりで、皆が最後に食べるものは何だろう、などと考えたりもする。
それはなんであろうと一緒にいられることにだけ感謝し、食べるものなんてなんでもいいのだろう。