このところ「悪貨は良貨を駆逐する」ということわざが何度も頭に浮かぶ。
悪い感情というのは、良い感情を凌駕してしまうのだろう。
そのスピードは思っていたよりもずっとずっと速い。
例えば、今まで毎日のように通ったスーパー。
安くて質のいいものが多く、従業員も感じ良い。
ある日レジでとても嫌な思いをした。
チェッカーさんがその日機嫌悪かったのか、客である自分は不当に扱われた。
そういえば、あの時も嫌なことがあったな、そういえば、去年もあったな、と段々悪いことを思い出し始める。
すると、この悪い思い出は良い思い出を圧倒していき、このスーパーは感じが悪いところだったんだ、という結論に変わる。
100人の善良な人の中に1人の悪人がいる。
悪人のパワーというものは、善良な人間を次々悪人に染めていくことが可能だ。
悪意は善意を駆逐するのだ。
それは自分が気づく前に、自分を侵食していく。
我が家は今8人が2㌔圏内で生活し、そこにMよさんという近距離に住む親戚が加わり9人単位になったと感じる。。
1月24日にMよさんと喧嘩して我が家に移ってきた長男夫婦と、私を含めた4人が先週久しぶりにMよさんの家で食卓を囲んだ。
少しぎこちない食卓だったが、Mよさんとサキの母娘関係改善に向けての一歩が踏み出せたと思う。
二人は7月からまずは別々にカウンセリングを受けることになった。
その後家族全員のカウンセリングに移行するのかどうかわからないが、そちらでも新しい一歩を踏み出すことになる。
母娘関係が少しでも改善するまでには、数年かかるかもしれない。
が、ここまで来れたのは、私のおかげだ、とMよさんが感謝してくれる。
そんなMよさんに私も感謝する。
カウンセリングは誰にとっても利益をもたらすものだと信じたい。
今回長男夫婦と同居することで、色々と問題が勃発。
お嫁さん二人の関係性が兄弟関係にまで波及する一歩手前で、長男夫婦が引っ越すことになった。
この数ヶ月があったことで、家族の結びつきというものはなんとも脆弱なものなのだ、ということが私にもわかった。
今までどんなに強い結びつきがあった家族も、簡単に壊れる可能性があることは私を戦慄させた。
が、これは人生の最終章という時期においても、自分自身を顧みる必要性を気づかせてくれることになった。
私こそ、自分の中に良い部分(良貨)を育てることが必要なのだ、という結論に結びついたのだ。
強い良貨として、悪感情(悪貨)を駆逐していくことができるようしていくことが、自分自身に残された課題なのだ、という気持ちが強くなった。
長男がいる生活は楽しい。
協調性を持つことは、一生をかけて学んでいくものなのだということもわかった。
つまらないことだが、毎晩お皿洗いをしてくれたサキは、洗剤容器を自分側に向けていた。
それがサキには使いやすい角度だったのだろう。
私には使いにくい角度だったが、別に大したことでもなく、こういうことも色々なやり方がある、というだけのことだ。