コロナ感染し自宅で隔離生活を送る夫を持つ友人Y子、夫のために毎日上げ膳据え膳していて、もううんざり!と言っていた。
Y子夫(68歳)はなんと21日間自宅検査キットで陽性が続き、22日目にやっと陰性になったそうである。
彼はパクスロビドを最初の5日間服用したから、一旦治ってリバウンドしたのかどうかはわからないが、21日間の隔離生活は辛かっただろう。
一方私は感染6日目に陰性となり、こんな記事もあったことだし今だけは再感染はないのではないか、と出歩いている。
いや、出歩いているなんて言葉は少し違うかもしれない。
出かけ先は主に3箇所。
和食材のお店ニジヤ、家から一番近くはないがオシャレな雰囲気が好きなピーツ、そしてTrader Joe's。
ごくたまにNordstrom Cafeに行くが、最近ガラガラ
あまりにも刺激のない生活に気分が沈む。
ついこの前までは、日本で毎日出歩き、美味しいものを食べ、おしゃべりをしていたのに、今は話す人と言えば孫ぐらいだ。
しかも、この前なんかヒロ(4歳10ヶ月)に英語の発音を直された。
Kindergartenの発音をキンダアガートン、つまりkindagartenと発音していたらしい。
こうして少し気を抜くと、言葉の真ん中辺りのRがちゃんと発音されていなかったことを、孫に指摘されてやっと知る。
やはり住みたいのは日本なのか、と考える。
息子たちは自分の生活でいっぱいいっぱいで、勿論親との会話なんか楽しまない。
リフォームのことになると話ははずむが、他の事では彼らの興味あることに私は全く関心がないし、反対も然り。
10年後、英語がスラスラ出てくるとは思えない。
そして、この全く刺激のない生活の中、ボケていくのは避けられないような気がする。
今日言葉を発したのは一度だけ。
朝ピーツに行ったが、スマホでコーヒーとスコーンを注文し、果物を買いに行き、買い物袋は持ってますか?と聞かれてYESと答えた。
このスコーンにもさすがに飽きた
認知症になる人とならない人の差は、食べ物や運動や脳トレよりも、会話があるかどうかだ、という記事を読んだところなので不安になる。
10年後には英語で会話するのもいやになり、話す人もいず、どんどん認知症が進行してしまうかもしれない。
その前に日本に移住すべきか?と毎日考える。
そして、東京や横浜辺りのマンションを賃貸できないか、とヤフー不動産を見ては夢見ている。
英語の会話はできなくなっていくのだろうが、日本語は一生大丈夫だろう。
父だって最期まで言葉は忘れなかった。
と考えながら、日本で買ったポケットティッシュのネーミングに感心する。
鼻セレブって!すごいネーミング!
って、これ前にも言った?