「ほら、彼女(私のこと)を見てごらん。注射針が歯茎に刺さっても頰の筋肉がピクリとも動かない。」と。心の中でつぶやく。『当たり前でしょ。日本人だもん。日本人はいちいち騒ぎませんよ。』と。
日本人は我慢強いのだ。日本人は偉いのだ。
が、アメリカではそれが仇になることもある。我慢することで大した苦しさではない、と思われたりするのだ。
一日中出る咳があまりに辛くて、これはただの風邪による咳ではない、これは死につながる咳ではなかろうか。肺の中は菌に侵されていて、その菌を四六時中空気に排出していて、家の中は菌だらけではなかろうか。肺の奥底から出る咳、数分おきにタンが出てこれは尋常ではない、と感じ続けていた。
でも、かかりつけ医との電話では普通の風邪、咳はそんなもの、と言われ続ける。そんなはずない、と思い続けながらも何もできない。レントゲンでは肺炎の症状はなかったんだし、咳止めの薬を飲むしかない、と言われる。
現在このあたりの病院の患者は半数がコロナ患者だそうだ |
実際コロナウィルスに感染しても、何もできることはない。ただ休むだけだ。が、頭の中にはなんども危険信号が灯った。コンコンという咳ではなく、ゴンゴンという濁音の咳。喉を引っ掻くように咳き込むから、喉も赤くなってきた。喉を麻痺させる塗り薬を処方される。喉は麻痺しないが舌先が麻痺する。一度使ってすぐやめた。対症療法しかないのだ。胸も痛む。
この6日目が最悪の日だったのだが、ここで私が踏ん張れたのは元々の免疫力があったせいかもしれない。でも私だってもう殆ど高齢者だから、危なかったのかもしれない。この日、最悪のポイントに達し、その最悪ポイントから4時間後ぐらいに突然悪化してventilatorつまり人工呼吸器が必要になっていたかもしれない、とMささんに言われた。Mささんのご主人は高名なお医者さんで、コロナウィルス有識者でもある。Mささん自身もコロナウィルス解説者としてCNNに出られそうなほど精通している。そのMささんに、次にかかったら危ないかもしれないから気をつけた方がいいわよ、と言われた。ビビる。
Mささんご主人によると、コロナウィルスは強力なウィルスで、一度かかったら免疫ができるかどうかはまだわかっていない、変異を重ねていく可能性もある、だから私がまたコロナ感染する可能性はあるかもしれない、ということだ。マジ、ビビる。
それを聞いて、シリコンバレーはロックダウン中だし、家事は少しさぼってもいいか、と思うようになった。なにしろ病気の間も夕食の支度をしなかったのはたった3日ぐらいで、あとは毎朝掃除機をかけ、猫の世話をし、午後2時になると夕食の下準備をする。夕方6時に家族がご飯を食べられるように、と午後5時には重い体をひきずるようにして階下のキッチンに毎日降りて行ったのだった。
騒がない私だから、家族は私の苦しさを把握してなかったのだと思う。もっとさぼってもいいのだ。もう年寄りなのだ。
だから昨日Mささんと話したあと、私はサボることにした。引っ越しの荷物が片付いていないのももう気にしないことにした。
Shelter in placeの規則を調べて引っ越しはできることを確認したあと、 先週末サンフランシスコのマンションの荷物を夫と次男がトラックで運んだ |
が、家事はサボることにしたが、庭の雑草は気になる。
雑草を抜きながら、両親ともにもう生きていないことを悲しく思いながらも安堵する。特に父がまだ生きていたら、と考える。アルツハイマー病で特養で暮らしていた父は、毎日会いに行って安心させてあげないと、不安になり私や姉に電話をしてくる人だった。そんな父にこういう状況の中会いに行くわけにはいかなかっただろう。そう思うと、今家族が施設にいる人たちはどんな思いを抱えているだろう、と同情する。親が心配だから会いに行きたい。でも、それは叶わない。その大事な親がコロナに感染し、呼吸困難に陥る。ICUに入り死に近づく。それでも会いに行けない。想像を絶する苦しみだと思う。
これから日本は、アメリカは、世界はどうなるのだろう。暗い暗い気持ちになる。暗い気持ちで雑草を抜いていてふと気がついた。
雑草と思い無心に抜いたこれ・・・ |
さっきから雑草と思って抜いていたのは、もしかしてカリフォルニア州のstate flowerであるポピー・・・道に咲いている花を抜くのは違法と言われている、あのカリフォルニアポピー・・・では?
私は隠れ犯罪者でもあるようだ |