日本に到着したのが、11月25日の夜、空港のそばにあるホテルに泊まり、翌朝東京に移動、朝9時前にチェックイン。
今回は搭乗日前日まで体調が悪かった。
日本に着いても、友人に会えないかもしれない、と誰とも会う約束はせずに来た。
前回5月も、あらかじめ誰とも約束はせずに日本に来たのだった。
こうして、年をとるということは体調が悪い日が増えるのか、あるいは喘息を発症したから体調が悪いのか。
多分喘息を飼い慣らすまで時間がかかるのだろう。
到着翌日、夫、夫の親友夫妻と和食ランチ。
特に日本で食べる蕎麦が美味しかったらしい
夫以上にリサーチをしてきた友人夫妻が、一番感銘を受けたのは、京都の旅館でのおもてなし、他にも一保堂の玄米茶の香り、川越の野菜、広島の平和記念資料館、だそうだ。
そして、日本の街全体の清潔感、治安の良さに驚いたということ。
しかし、彼らが日本を楽しめるのは白人夫婦であることも理由の一つである。
JR待合室でも、白人の彼らが椅子を探していると、日本人シニア女性が「どうぞどうぞ」と席を譲る。
日本のイタリアンなども美味しいことに驚いたそう
とにかく、この友人夫妻に目一杯日本を楽しんでほしくて、夫と彼らが帰国する日まで、私はテンパった毎日だった。
ルノアールの朝食の安さに驚く彼ら。
毎年のようにヨーロッパ旅行をする彼らは銀座に泊まり、毎朝美味しいコーヒーの朝食を楽しみ、どこのベーカリーに行ってもフランスやイタリアと同レベルのパンが楽しめることに感動した。
誰に頼まれたわけでもないのに、初来日の彼らに最高の思い出を持って帰国してほしい、と無理をした私は、彼ら(夫も含めて)が帰国した日の夕方から体調を崩した。
気管支炎なのか、怒涛の咳が押し寄せる。
しかし、今回はかかりつけ医から、「もしもの時のために」薬を一揃い処方してもらってきていた。
パクスロビドも!
その内の一つ、アジスロマイシン(抗生物質)を服用してもいいのではないか。
素人判断ではいけない、と思い、京都のA本呼吸器内科に電話してA本先生の意見を聞いてみたい。
が、日本で使える電話はない。
普段アメリカで使っているiPhoneは、eSIMをインストールし日本国内で使えるようにはしているが、電話機能がない。
30年ぶり?ぐらいに、電話ボックスに入りありったけの10円玉を入れ、A本医院に電話するも、受付の方に状況を説明するうちに電話は無情に切れた。
そうか、100円玉が必要なのだな、と2個ある100円玉を投入しかけ直した。
なんと、電話にはA本医師が直接出てくれて、もう状況を把握していた医師は「それ(アジスロマイシン)を飲んだらええし」という返事。
アメリカでは医療機関を予約するにも時間がかかり、かかりつけ医のオフィスに電話して、予約ナシでかかりつけ医と直接話せるなんてことはありえない!
感動に浸りながらホテルの部屋に戻ったら、R子さんからメールが来ていて、アジスロマイシンの服用の仕方についての注意点が書かれている。
ありがとう、R子さん!もう完治した気分になる。
その後、東京のけいさんからも電話があり、話しているうちにエネルギーが湧いてきた。
R子さん以外誰にも日本に来る、と伝えてなかったのにブログを読んで連絡してきてくれる友たち。
彼女たちに励まされ、一気に元気が出る。
よし、今日は羽田空港に、日本で使える電話を確保するため、SIMカードを受け取りに行こう。
そのために、古いiPhoneを持ってきている。
これを日本の電話専門の携帯にしよう。
山手線と京急電鉄を乗り継いで空港に行くが、喘息があるせいか途中で怒涛の咳の波が押し寄せてくる。
マスクはしているが、人前で咳をしてはいけない、と電車内やターミナル内では必死で我慢する。
その咳を我慢する方法とは、昔とった杵柄の手法だった。
30数年ぶりのラマーズ法