勿論今でも父のことを思い出すと涙が出て止まらなくなってしまう。
それでもやはり悲しみの質が変化してきている。
最初の頃の『慟哭』という泣き方ではなくなってきている。
私の外見は結構キツそうだし、喋り方もぶっきらぼうで相手に『直球を投げる話し方』と言われる。
だから『何事にも動じない、冷静、淡々としている』と言われるのだが、実はものすごい小心者だ。
私に比べると姉は落ち着いていて、言うべきことが言える。
前の投稿のコメント欄に『父が亡くなった時辛いコメントが入るのが怖いから、以前のブログにはコメント欄を設けなかった』と書いた。
これはどんなブログにも時々入る悪意を持ったいたずらコメントのことで、慰めるつもりでした善意のコメントのことではない。
ただ、善意のコメントでも人を傷つけることがないわけではない。
病院から連れ帰った母の遺体に会いに来てくれたケアマネさんだ。
脳出血で入院していた母だが、最終的には肺炎が死因になった。
お棺に入った母にケアマネさんは何度も話しかけた。
『悔しいね。本当につらい人生だったね。かわいそうに。よくがんばったね。でも悔しかったね。』
目の前が真っ暗になったが、こういう時私はワナワナするだけだ。
が、姉が(心の中で)キレた。
『もういいです。帰ってください。』と静かに告げた。
ケアマネさんは自分の何が悪いのかわからなかっただろう。
薬害で38歳の時に寝たきりになったが、本当に明るい母だった。
我が家はいつも笑いであふれていた。
姉と私はそんな母の人生を、そして42年介護してきた父の毎日を、悲しいながらも穏やかな最期だったことに慰めを見い出そうとしていた。
その気持ちを、土足で踏みにじられたような気がした。
多分過剰反応だったのだろう。
ただ小心者の私はストレスも受けやすいので、傷つかないように、とまずは鎧に身を固めてしまうのかもしれない。
それは父から受け継いだ気質だ。