父の本を数冊アメリカに持って帰ってきたのだが、今日その中の一冊を読み始めた。
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姜尚中の『悩む力』 |
読み進めていくと紙切れがはさんであるのに気がついた。
父が昭和1980年の8月に書いたメモだ。
この本は2009年7月に印刷されたものだから、父の認知症が始まっていることに私が気がつく少し前のものだ。
何かのタイミングでこのメモが数十年後にはさまれたのかもしれないが、見ると悲しみが襲ってきた。
これは私が最初に英語を習うためにサンノゼ大学に留学(遊学?)したあと、また違う学校に通っていた頃のメモだった。
父がいつ私の学費や生活費を送金するかという計画を書き付けたものだ。
私が能天気にアメリカで遊びながら生活していた時、父はどうやってお金を捻出するか悩んでいたのだろう。
当時は1ドルが227円だった時だ。
ドルが185円から260円まで変動することを想定して計算してあった。
父は不安だったのだろう。
9ヶ月だけアメリカに留学すると言って日本を出た私が、いつまでたっても帰ってこない。
このメモを父が書いた少しあとに、一時帰国した私は父と有楽町で待ち合わせたのだった。
どんな用事があって有楽町にいたのかはもう思い出せない。
が、その時の会話をはっきり覚えている。
その数ヶ月前にアメリカで初めてパーマをかけた私は、チリチリのアフロヘアにされて悩んでいたのだ。
父は有楽町の駅前で私に言った。
『銀座に行ってカツラを買おう。』
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有楽町駅、ここに立つと私と父の姿がいつも見える |
結局カツラは買わず、うどんを一緒に食べたあと別れた。
有楽町の駅前に立つ時いつもあの日の父と私を思い出す。
あの数日前に、父は私に会ったらお金の話をしようと思ったのだろう。
費用を捻出するのが難しい。
一体いつ日本に帰ってくるんだ?
と言うつもりだったのかもしれない。
が、父は言わなかった。
私の顔を見ると言えなくなったのだろう。
アメリカをエンジョイしている娘。
どうにかしてもうちょっとアメリカにいさせてやろう、と思ったのかもしれない。
父に対する申し訳ない思いと、父の愛を感じて涙が止まらなくなってしまった。
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東京滞在費5万円と書いてある |
そうだ。私も自分が死んだあと息子たちに私を思い出してもらうために、一冊の本にメモをはさんでおこう。
息子たちが母を思慕して涙するのは一体どんなメモなのだろうか。
が、問題があることに気がついた。
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彼らは本を読まない |