それは無念だろうなあと長い間かわいそうに思っていた。
今は違う。
親が生きている時に会ってこそ、という気持ちが強い。
死に目には会えなくてもいいと思うようになった。
だから父には少しでも一緒にいる時間を作ってあげたい、と思う。
特に最近の父は話していても、ファーファーファーと言っているように聞こえる。
何を言っているか推察するしかない。
別に目新しいことを言っているのではなく、いつもの父が言いそうなことを繰り返しているだけだ。
だから想像はつくし、会話は一応成立する。
だが、それに付き合うのは体力が必要だ。
とにかくこのファーファーファーと話し続けている父の横に、1時間以上座っているのだ。
勿論実際に要介護度の高い親の世話をしている人に比べると、介護どころか世話をしている、とも言えない。
それでも父といる間、頭の中では他のことを考えている。
このあと何を食べに行こうか、とかそんなことを考えたりしているのだ。
少し年取った親のことについて、ホームについて、介護について、と書きたい。
どうも毎回分析や結論を出したいと思うから、なかなかブログを書き続けることができない。
だから、今日からは結論どころか、あまり意味のない(いつも意味はあったのか?)エントリーが続きそうだ。
『あ〜、読まなきゃ良かった、時間の無駄だった。』という憂き目に遭うかもしれませんよ。