2020年4月21日火曜日

いつもと同じが幸せなのだ!

サンノゼ市のあるサンタクララカウンティ(郡)、このサンタクララカウンティの新型コロナ肺炎感染者数は、4月18日付のStanford Dailyによれば、公式発表数の50倍から85倍だろうということだ。日本語の記事はこちら。

4月1日までの推定感染者数は4万5千人から8万1千人ということ。私のような軽症者は多かったと思うし、検査を受けることもできなかったのだろうから、この推定感染者数は納得できる。このまま経済活動が停滞したままなのも困るが、ロックダウンを解除することによって、感染者数はまた増えるだろうから、しばらくは家から出られない状況が続くはずだ。

最近朝目が覚めると身体がど〜んと重い。楽しいことが何もなく、家から出るのは散歩に出る時だけ。

次男とマリーは我が家の近所(半径7キロぐらいまで)で家探しをしているが、
次男はヒロと毎日地域を散歩することで良さそうな通りを探している

夫がCostcoに行って5人分の食べ物を買ってくると、まず車庫で全てをブリーチ消毒し、冷蔵庫と冷凍庫に詰める。このまま秋になると今度は火事による空気汚染で家から出られなくなり、2、3日の停電は日常茶飯事になるのだろう。今年こそ停電に備えて対策を練っておかないといけない。停電で5人分の食材を全て廃棄するしかなくなる羽目に陥るのは避けたい。

日曜日Costcoの入り口にあった看板には、
品切れの物と在庫の物のリストがあった

今年こそ発電機を買おうと夫がリサーチしている。

5人分の食材で冷凍庫はいっぱい
車庫内にある予備の冷凍庫も満タン(ベーグルが多いが・・・)

とにかく、去年の今頃、いや、2月の下旬には想像もしていなかった生活が続いている。実際今頃は日本にいるはずだった。日本で眼瞼下垂のセカンドオピニオンを聞くために、2軒の形成外科医の診察も予約していたのだった。

なのに、出国できないばかりか(いや、できなくはないが)家からほとんど出ることもなく、ヒロの育児手伝いと家事に加えて、食料品の消毒や整理にも時間がかかる生活。夜ホッとする時間になると刺繍を始めることにした。クリスマスストッキングはマリーとサキにも作りたい。が、刺繍糸が足りない。普段$1もしないDMCの糸が今はAmazonで$10する。

もう無理はせず、シンプルなストッキングに徹することにした


だから刺繍も中断し、夜はコロナに関する記事ばかり読んでしまう。新しいウイルスなので、日々新しい情報が更新され、以前の情報が訂正され、と不安が煽られるので読まないようにするのに、それでも気になる。

とにかく、いつもと変わらない生活を送れるということはどんなにすばらしいことか、ということがしみじみと感じられる。食べ物があり、家族が健康で一緒に笑うことができる毎日は幸せなのだ。

今年も雨季が終わり暑い日々が始まった

庭のパラソルを開けると今年もいた〜

塀の上部分にコウモリ(去年と同じ?)が見えますか?
今年も同じコウモリに会えて、幸せ〜〜😑

2020年4月12日日曜日

せせらぎで遊ぶ

新型コロナウイルス感染症は、アメリカでCOVID-19あるいはSARS-COV2と呼ばれているが、ニュースを読むと毎日新しい情報が出てくる。今日のニュースでは、韓国で91人のコロナウイルス感染者が、回復したあと数週間後に受けた検査で、また陽性が確認されたというものだった。これはもう一度感染したということなのか、以前感染したウイルスが残っていてまた発症したのか、まだはっきりとはわかっていないらしい。ということは、一度かかると抗体ができて、あとは心配しなくてもいい、というわけではない可能性もある。

また、3月のグーグル検索では、『目が焼けるように痛い』などの目の問題に関するものが多かったということ。コロナ感染者が多い地域では、過去7日間目の痛みに関する検索が多かったらしく、これが初期症状の一つではないかという記事があった。

私の症状が出る前に、目の痛みで泣き叫ぶマリーを救急に連れて行ったと書いた。マリーはその数日前から目やにが出始め、その日は朝から目を開けることもできず、痛い痛いと叫ぶように泣いていたのだった。

救急病院でマリーは痛みが激しくて一刻も我慢できない、と泣き続けていたのだが、その時点で私には咳などの症状がなかった。私が咳の苦しさで救急に行ったのはその10日後。もしかしたら目の痛みで救急に行った時点で、マリーはコロナウイルスに感染していたのかもしれない。その後ほとんど無症状だったが、その可能性はある。

その1ヶ月後にベイエリアのロックダウンが始まったのだった。その日から生活が一変し、届いた小包は全て消毒し、外出はほぼしなくなり、なによりも変わったのはヒロの託児所が閉鎖され、毎日ヒロが家にいることだ。

が、生後8ヶ月から託児所に預けられ始めたヒロにとって、この両親と一緒に過ごす生活は次男とマリーにとっていい思い出になるのではないか、と思っている。数年後この期間を振り返り懐かしく思い出すことだろうと思う。

毎朝ストライダー(自転車にブレーキとペダルがない)に乗るヒロと散歩に出る次男

朝歩きに行く私は歩き終わる頃、次男とヒロと合流し一緒に帰宅する。こうして毎朝ヒロと二人で歩いた日々を、次男は将来ずっと慈しむと思う。

近所の小川をただただヒロと見つめる次男に、落ち葉を落として下流に流れていくのを見る、という遊びを子供は喜ぶ、と教える。私が子供だった昭和30年代、私は朝から夕方まで近所の和子ちゃんと一緒に川に行き、手拭いを使ってメダカをすくったものだ。何時間も何時間も飽きもせず熱中した。

ヒロは何枚も何枚も落ち葉を浅瀬に落として遊ぶ。なるほど〜、とうなずく次男。

ミレニアム世代ってシンプルな外遊びをあまり知らないのね

2020年4月11日土曜日

ロックダウンで変わったもの

ベイエリアがロックダウンされて3週間半になる。時々カフェに行きたくなるが、それでもそんなに不便を感じない。そもそも日本のように、ちょっと電車に乗れば神社仏閣や美術館やおいしいレストランがある、という地域ではない。

これは12月に訪れた上賀茂神社
こうしてバス、電車で簡単に楽しめる観光地がこの辺りにはあまりない
(サンフランシスコは別として)

外出はあまりしないが、毎日歩きに行くようにはしている。スーパーには時々行くが、友人たちに比べると私にはコロナに対する危機感があまりない。

サンノゼにある日本食品スーパー、マルカイの行列(2メートル間隔で並ぶ)
他にもミツワ、ニジヤとあるがどこも朝一番から行列ができる

一度コロナに感染したのだから抗体もできているし、などとついつい思ってしまう。今は抗体検査を受けて、プラズマ(血しょう)のドナーになるのもいいなと思っている。

米国立アレルギー・感染症研究所所長、ドクター・ファウチによると自分に抗体があるかどうかを検査し、確認できれば今後感染源にならないという免疫獲得証明書(Immunity Card)を携行することを政府が検討しているということだ。抗体のある人は職場にも復帰できる。こういう人が増えればロックダウンも少しずつ解除できる。(免疫がどのくらいの期間持続するかはまだわかっていない。)

私の症状の主なものは今まで経験したことのないようなひどい咳(空咳から始まった)、倦怠感、かすかな頭痛、嗅覚を無くしたこと(すっぱさや苦味などはわかったので、味覚は失っていないかもしれない)。症状が出始めたのは2月。熱がなかったせいか食欲はずっとあった。

とにかく世界は全く変わってしまった。失業者も増え、私の夫もリストラされる可能性が高くなってきた。無事マンションも売れたことだし、経済が盛り返すまでは必要なもの以外は買い控えしよう、という気持ちになっている。

ダウ株価暴落中に契約終了、
バイヤーが株価うなぎ上りの製薬会社の社員だったことが幸いした

ロックダウンはこうして、辛い状況を引き起こしているわけでもなく、私たちは普段とあまり変わらなく淡々と生活している。

激変したのはエンゲル係数と体重

2020年4月3日金曜日

デマとフェイクニュース

世界が一変した。3月17日からロックダウンが始まり、四六時中家族と一緒に過ごす生活にも慣れてきた。時々このメッセージが突然携帯に送られてくる。東京で有楽町線電車に乗った途端、スマホに突然送られてきた地震警報の音に似ていて、やはりドキッとする。




Shelter in Placeつまり、よほどの用事がない限り家にいなさい、というメッセージだ。5人が毎日家で3度食事するので、大量の食材が常に切れないようにしておかなければならない。朝ごはんはそれぞれ自分で作り、お昼はヒロの分は私が、そして夕食は毎日私が5人分作る。

Trader Joe'sの行列
食料品調達は夫の仕事になり、Costco、Trader Joe's、Whole Foodsに行く。Trader Joe'sはお店の前に長い行列があるが、緑色のテープで待つ人の立ち位置が決められていて、お店の中は混雑していない。3月初旬に消えていた冷凍食品もかなり手に入るようになった。以前のブログ記事にTrader Joe'sの空の冷凍食品棚の写真を載せたが削除することにした。こういう写真は人々の不安を煽り、フェイクニュースやデマを産む。私のところにも友人から、『これは友人からフェイクニュースじゃない、と言われて送られてきた情報』という前書きと共に送られてきたフェイクニュースがあった。

現在進行中の新型コロナウィルスに当局が適切に対応できなければ、世界的な食料危機が起きるとFAO(国連食料農業機関)、WHO(世界保健機関)、WTO(世界貿易機関)が警告を出した、というのはデマではないらしい。これを聞いて少し怖くなった。なにしろ我が家には今2歳7ヶ月の子供までいる。冷蔵庫と冷蔵庫についた冷凍庫、ガレージにある冷凍庫も常に満杯状態。裏庭で野菜を育てるべき?ヴィーガン生活?と全く新しい生活を想像する。デマやフェイクニュースに惑わされないようにしながら、パニックにならないよう早め早めに準備しておきたい。

長男がサキとサキ母と住む家に大量の食料品と日用品を届けた(玄関先に置いた)ら、
3人から喜びのテキストメッセージが届いた

アメリカでは無症状コロナ患者が多く、マスクをしない文化なので感染が日本よりも広がっていくと思う。私自身もコロナの検査もしていないし、治ったあとかかりつけ医にメールして、コロナだったかどうか調べたい、周囲の人間に感染させたかもしれない、と考えると不安だと相談した。が、救急で病院に行った(症状が出て3日目)時も、今の私の状態も検査対象にならないし、検査はできないということだった。

2月から3月にかけてのひどい咳は、99%新型コロナウィルスだったと思うが、もしかしたら1%のそうではなかった可能性を考えて、これからも感染しないように気をつけるべきだろう。今まではマスクをすると不快感を表す人もいたので、なるべく自然な感じでタオルを鼻と口を抑えるようにしていたが、アメリカでもマスクが推奨されるような風潮になりつつある。

アマゾンからの小包はほぼ毎週届く。ダンボールについたウィルスは24時間、プラスチックだと72時間生存するということなので(もちろんウィルスの数は時間と共に減っていくが)、届いた荷物はすぐにガレージに入れ、開けるのは24時間待ち、その後消毒して使う。

ヒロの洋服、おもちゃ、本なども全てオンラインで注文

一番心配なのが、私が誰かに感染させていないかどうかだ。潜伏期間中には友人3人に会って、一緒にご飯を食べて私の車に乗り会話をしている。その3人が感染していないことは確認した。また症状が出て3週間目には鍼に行っている。鍼の先生には症状を話してコロナの可能性がある、と言った。その時、咳や熱のある人に鍼を打つのは慣れている、とのことでマスク着用が条件で受け入れてもらえたのだが、やはり感染が心配だ。その旨を伝えるメールを送ると、先生からは大丈夫という返信がすぐあった。が、毎日同じ時刻に熱を測り毎週日々の熱の変化の報告をしてほしい、ということだ。鍼に関しては次回詳しく書きたい。

そうか。やっぱり新型肺炎と呼ばれる病気。回復後はしっかり体力を保つために運動と食事と睡眠が大事。これが今回学習したこと。そういえば今回学習したことがもう一つある。味覚も嗅覚もなかった時、食感がよく楽しめたものは餅アイスクリームだった。

これを毎日食べることにより新型肺炎が重症化しません
(こういうのがデマ)

2020年3月29日日曜日

私は隠れ新型コロナウィルス患者だったのだろうか 2/2

歯医者さんが私の歯の治療をする時、助手にいつも言う。

「ほら、彼女(私のこと)を見てごらん。注射針が歯茎に刺さっても頰の筋肉がピクリとも動かない。」と。心の中でつぶやく。『当たり前でしょ。日本人だもん。日本人はいちいち騒ぎませんよ。』と。

日本人は我慢強いのだ。日本人は偉いのだ。

が、アメリカではそれが仇になることもある。我慢することで大した苦しさではない、と思われたりするのだ。

一日中出る咳があまりに辛くて、これはただの風邪による咳ではない、これは死につながる咳ではなかろうか。肺の中は菌に侵されていて、その菌を四六時中空気に排出していて、家の中は菌だらけではなかろうか。肺の奥底から出る咳、数分おきにタンが出てこれは尋常ではない、と感じ続けていた。

でも、かかりつけ医との電話では普通の風邪、咳はそんなもの、と言われ続ける。そんなはずない、と思い続けながらも何もできない。レントゲンでは肺炎の症状はなかったんだし、咳止めの薬を飲むしかない、と言われる。

現在このあたりの病院の患者は半数がコロナ患者だそうだ


実際コロナウィルスに感染しても、何もできることはない。ただ休むだけだ。が、頭の中にはなんども危険信号が灯った。コンコンという咳ではなく、ゴンゴンという濁音の咳。喉を引っ掻くように咳き込むから、喉も赤くなってきた。喉を麻痺させる塗り薬を処方される。喉は麻痺しないが舌先が麻痺する。一度使ってすぐやめた。対症療法しかないのだ。胸も痛む。

この6日目が最悪の日だったのだが、ここで私が踏ん張れたのは元々の免疫力があったせいかもしれない。でも私だってもう殆ど高齢者だから、危なかったのかもしれない。この日、最悪のポイントに達し、その最悪ポイントから4時間後ぐらいに突然悪化してventilatorつまり人工呼吸器が必要になっていたかもしれない、とMささんに言われた。Mささんのご主人は高名なお医者さんで、コロナウィルス有識者でもある。Mささん自身もコロナウィルス解説者としてCNNに出られそうなほど精通している。そのMささんに、次にかかったら危ないかもしれないから気をつけた方がいいわよ、と言われた。ビビる。

Mささんご主人によると、コロナウィルスは強力なウィルスで、一度かかったら免疫ができるかどうかはまだわかっていない、変異を重ねていく可能性もある、だから私がまたコロナ感染する可能性はあるかもしれない、ということだ。マジ、ビビる。

それを聞いて、シリコンバレーはロックダウン中だし、家事は少しさぼってもいいか、と思うようになった。なにしろ病気の間も夕食の支度をしなかったのはたった3日ぐらいで、あとは毎朝掃除機をかけ、猫の世話をし、午後2時になると夕食の下準備をする。夕方6時に家族がご飯を食べられるように、と午後5時には重い体をひきずるようにして階下のキッチンに毎日降りて行ったのだった。

騒がない私だから、家族は私の苦しさを把握してなかったのだと思う。もっとさぼってもいいのだ。もう年寄りなのだ。

だから昨日Mささんと話したあと、私はサボることにした。引っ越しの荷物が片付いていないのももう気にしないことにした。

Shelter in placeの規則を調べて引っ越しはできることを確認したあと、
先週末サンフランシスコのマンションの荷物を夫と次男がトラックで運んだ


が、家事はサボることにしたが、庭の雑草は気になる。

雑草を抜きながら、両親ともにもう生きていないことを悲しく思いながらも安堵する。特に父がまだ生きていたら、と考える。アルツハイマー病で特養で暮らしていた父は、毎日会いに行って安心させてあげないと、不安になり私や姉に電話をしてくる人だった。そんな父にこういう状況の中会いに行くわけにはいかなかっただろう。そう思うと、今家族が施設にいる人たちはどんな思いを抱えているだろう、と同情する。親が心配だから会いに行きたい。でも、それは叶わない。その大事な親がコロナに感染し、呼吸困難に陥る。ICUに入り死に近づく。それでも会いに行けない。想像を絶する苦しみだと思う。

これから日本は、アメリカは、世界はどうなるのだろう。暗い暗い気持ちになる。暗い気持ちで雑草を抜いていてふと気がついた。

雑草と思い無心に抜いたこれ・・・


さっきから雑草と思って抜いていたのは、もしかしてカリフォルニア州のstate flowerであるポピー・・・道に咲いている花を抜くのは違法と言われている、あのカリフォルニアポピー・・・では?

私は隠れ犯罪者でもあるようだ

2020年3月28日土曜日

私は隠れ新型コロナウィルス患者だったのだろうか 1/2

私はやはりコロナウィルス、COVID-19に感染していたのだと思う。

テレワークで夫、次男、マリーは24時間家にいるし、ヒロも託児所が閉鎖されたのでこれまたずっと家にいる。この4人は私が咳で苦しんでいた間も全く健康そのものだったから、まさか私が感染力の強いコロナにかかっているとは思いもしなかった。

具合が悪い時もついつい育児を手伝ってしまったが、
家族4人は全く何の症状もなかった


が、やはり嗅覚と味覚がなくなったことで、今はコロナだったと確信している。

だから、一患者として記録を残しておきたいと思う。ここからは不快な表現も出てくるので、食事中の方はお気をつけください。

強い症状が出た日を1日目として書く。それまでにも空咳は出ていたと思うが、いつからだったのかはっきり記憶していない。

この9日前、目に傷ができて痛いと泣き叫ぶマリーを救急に連れて行ったが、その日私には咳や風邪の症状が何もなかったのだけは覚えている。

もうコロナが流行り始めていたのでマスクをしたかったが、
つけた途端待合室の患者にジロリと見られ、はずした


1日目:咳とともに黄色いタンが出る。この日まで何日空咳が続いていたのか思い出せないが(3日ぐらいだと思う)、病院の24時間ホットラインに電話して相談した。水分を摂ること、蜂蜜を入れたお茶を飲むこと、などなど、つまり専門的なアドバイスはなかったが、やけに明るい年配看護師さんと話していると元気が出た。

2日目:1日目と同じ症状だが、緑色のタンが出始める。

3日目:咳と緑色のタン。胸が苦しいので救急に行く。過去2週間以内に渡航したか、感染が確認されていた人とコンタクトがあったかを聞かれる。どちらも否定。熱はなし。息苦しさなし。胸部レントゲンはクリア。咳止めと吸入薬を処方され、お昼から服用する。

4日目:前日と同じ症状が続く。食欲はあったのでラーメンを食べようと思い作ったが、あまりに味がなく捨てる。塩分と辛味は感じるので、味覚がないことにこの時点では気がついていないが、この日から嗅覚と味覚はもうなくなっていたらしい。夜鶏ひき肉とレンコンでキンピラを作るが、味付け失敗したかな?と思った。

5日目:咳とタンは変わらず、泣きたいほど苦しい。夕食後二階の寝室で休みながら咳止め薬を飲み、吸入する。1時間後ぐらいに動悸がし始め脈を測ると108になっている。身体中がドキンドキンと脈打っているのを感じ、これは危ないかも、と急いで身辺整理をする。が、どんどん気分が悪くなり、階下にいる次男を呼び、血圧計を持ってきてもらう。その時点で血圧は140/100。普段は100/60ぐらい。脈は115。パニクりながらもオンラインで原因を調べると、吸入薬の副作用とわかる。

6日目:咳は相変わらずノンストップで出る。ひっきりなしに緑色のタンに悩まされ、この日やっと味覚と嗅覚がなくなっていることに気がつく。かかりつけ医に電話して、咳があまりに苦しい、吸入薬は副作用があるのでやめたが、この咳の苦しさをやわらげる薬が何かないか、と泣きたいような気持ちで聞く。かかりつけ医の診断では、風邪による咳は3週間ほど続くし、吸入薬はどれも同じ成分なのであなたが副作用があると思うなら、他の種類は処方できない。とにかく水分を摂ること、シャワーを浴びることで咳は緩和する、と言われる。味覚・嗅覚は風邪が原因で一時的になくなることはよくある、という結論。

7日目:前日は本当につらかったのに夜はよく眠れていたらしく、早朝気持ちよく目が覚める。タンはそれまでより柔らかい状態になる。が、頭痛があり数年間痛み止めとして使っていたMotrin(イブプロフェン)を飲もうとしたが、何故か危険を感じてTylenol(アセトアミノフェン)を飲むことにした。これが正しい判断だったことをあとで知る。咳はこの日少し楽になったと感じる。

8日目:咳とタンはまだ続いている。嗅覚を戻すトレーニングを始める。夕方裏庭に出た時、樹液からほんのかすかな匂いを感じる。

周囲の山が青々とし始めた頃だったが、ひたすら家にこもっていた


9日目:前夜は少し咳が楽だったのに、朝起きたあとまた咳がひどくなる。嗅覚のトレーニングで樹液に一番反応することがわかり、葉っぱを爪でこすりながらなんども匂いをかいでいるうちに、突然嗅覚が戻った。それが朝10時半。11時半にランチを食べようとしたが、もう味がないことに気がつき、あ〜、1時間前に何か食べればよかった、とがっかりする。普段はうどんがあまり好きではないのに、嗅覚がなくても天ぷらうどんなら食べられることがわかる。このまま一生嗅覚も味覚もなくても、天ぷらうどんで生きていける?と少し希望が出る。タンはまた硬くなってきた。

10日目:一日中嗅覚が戻らない。トレーニングをしながら焦るがダメ。

11日目:咳が少し楽になり、朝から気分が良い。I'm back!という感じ。エネルギーを感じる。そしてお昼前突然生活の臭いを感じる。嗅覚が戻った!とわかり、前回のように1時間後に嗅覚がまたなくなる前に何か食べねば!とサンドイッチを作って食べる。夕方また嗅覚がなくなる。

12日目:朝からまた咳がひどい。嗅覚と味覚はこの日起きた時香水を指につけてみてしばらく匂いを嗅いでいると戻った。その時以来嗅覚・味覚ともに完全復活。咳がつらいのでまたかかりつけ医と電話で話すが、とにかく今は焦らずに風邪が治るのを待ちなさい、と言われる。昼間ここまで辛かったのに、夜突然咳が楽になる。

13日目:完全に回復したのを感じる。が、毎日24時間ひどい咳が続いたためか、体のあちこちが痛む。心臓もかすかに痛いような気がするが、それが胸骨の痛みなのか心臓なのかはっきりとはわからない。でも痛いのは左側だけ。

あとから考えると5日目と6日目が一番ひどい状態だったのだと思うし、多分この2日間が重症化するかどうかの分かれ目だったような気がする。

友人が差し入れてくれた玄米むすび
私の強みは『どんな時でも食欲旺盛』であること、と改めて確認したのだった

続く・・・

2020年3月17日火曜日

あと2時間でベイエリアがロックダウン(都市封鎖)される

ベイエリアのLockdownが始まる。3月17日午前0時。この時から地域は厳重な封鎖状態になるわけだ。

必要最小限のお店(スーパー、薬屋さん)と病院、銀行など、つまり生活するのに必要な場所以外は全て明日から閉まる。不必要とみなされる外出はできない。

テレワークが始まり、託児所も閉鎖され、我が家はヒロを含む5人が24時間一軒の家でわさわさ生活することになる。

託児所も学校も職場も全て閉まる


ということは役所も閉まってしまうので、サンフランシスコのマンションの契約も延期になった。3月30日に契約書を交わし支払いがある予定だったので、来月からは家のローンもマンション管理費も必要なくなった、と喜んでいたのに。Lockdownは4月7日まで。その後つつがなく最終契約ができるのだろうか。心配だ。

今週末は引っ越しトラックを借りて家具を全てサンフランシスコからサンノゼに移す予定だったが、これもキャンセルになった。生きるために必要ではないレンタカーの営業所も閉まってしまうからだ。

その上今日は私の歯根が割れてしまった。インプラントにしないといけない。それも3本。なのに、歯医者さんも明日から閉まってしまう。だから、割れた歯で過ごさないといけなくなったが、炎症が起きないように抗生物質を電話で処方してもらい服用することになった。

やっとひどい風邪から回復し始めて、抗生物質も使わずによくぞ乗り切った、と自分をほめていたのに、あっけなく歯のために抗生物質を使うことになってしまいがっかりしている。

味覚・嗅覚も戻った。3月1日に感覚がなくなってリハビリを始めたのが3月6日。(わかりやすくするために、日付は少し変えてあります。)

ベッド脇にも茎を置いて一日何度も嗅いでいた


7日の午前10時半に突然樹液の香りがわかるようになり、戻った戻ったと喜んでいたら30分後にまたなくなってしまった。

毎朝夕裏庭に出て新芽部分を取って樹液を嗅いでいたら、ある瞬間フッと香りが漂った


その2日後、9日の朝また感覚が戻ったと思ったら、夜何も臭わなくなった。最終的に完全に戻ったのは10日の早朝。それからは問題なく嗅覚も味覚もある。

名前はわからないが、反応したのはこの植木


空気の匂いがわかり、食べ物が美味しく感じられる幸せを忘れないようにしよう、と思ったのもつかの間。

幸せを感じる間もないほど早食いしとります