2018年2月7日水曜日

女盛り

産後抜け毛がすさまじくそれが今の一番の悩み、とマリーが言う。

調べてみると妊娠中は女性ホルモンがじゃあじゃあ出るので、本来なら抜けるべき髪の毛が抜けないのだそうだ。そして産後3ヶ月ぐらいたった頃からその抜けずにいた髪が抜けるらしい。1年か1年半ぐらい経てば抜けなくなるということだ。

私は産後ではないが抜ける。シャンプーすると60本ぐらいは抜ける。もっとかもしれない。産後ではないから、1年たったらもっと髪の毛は薄くなっているのだろう。

つまり、マリーの髪の毛は女盛りだから抜けるのだが、私のは女としての盛りがとっくに過ぎたから抜けるのだ。

友人によるとヒロは金太郎というイメージだそうだ
正にぴったり!!

そんなことを考えながら数ヶ月放っておいた雑草を抜いていた。なにしろ今日はほとんど動いてない。夕方今日の歩数を見てやばい、と感じたが歩きに行くのは面倒だ。裏庭でお茶をにごすことにした。

やばいよね、やっぱりこれ


それにしてもすごい雑草。この前抜いたのはいつか思い出せない。

この地面のは全て雑草

これも全部雑草
Arbor(通称鳥居?)には鳥の巣ができていた。

この左端部分

巣からはちり紙も垂れている

ラベンダーなどなど全てが伸び放題、トリムしているうちに花粉のせいか鼻水がじゃあじゃあ出る。マリーの女性ホルモンがじゃあじゃあ出るのとは大違いだな、と思いながら、今度はオシッコに行きたくなった。

あっという間に暗くなった

家の中に入ってトイレに行くのが面倒だな、と思う性分だから歩数も3桁なのだろう。しかしもう我慢も限界に達してきた。

この植え込みをじっと見てしまった私は、女としての終末期に入っているのだろうか・・・

2018年2月5日月曜日

老後の拠点6 ファイナルアンサー 

結局老後住みたいのはどこなのか。

可能性としてはサンノゼ、サンフランシスコ、東京、京都の順で高そうだ。

姉のことは気になるが、今のところ京都に住む可能性は低い


比率で表すなら4:3:2:1の可能性といったところだろうか。友や家族のいるベイエリア、それもサンノゼが本命、そして東京がダークホース。

東京がダークホースである所以は電車でどこでも行けることだろう。そしてそこにはおいしい食べ物がある。

神楽坂に買った小さな(介護つき?)マンションから東西線に乗り大手町に行き、Dean & Delucaでぼんやりと外を見ながらカプチーノを飲む。

このザ・東京という景色が良い

丸の内仲通りを歩いたあと、有楽町駅から有楽町線に乗り市ヶ谷に行くか月島でもんじゃ焼きを食べてもいい。

オレンジ色の改札口も使いこなせるようになった

あるいはそのまま銀座に歩いて三越や伊東屋やをぶらぶらしたあと、浜離宮のベンチに座ってボーッと舟を見る。新橋からは銀座線に乗り日本橋のデパートでお弁当を買ったあと、東西線で神楽坂に帰り街をゆっくりと歩こう。くりこ庵のたい焼きを買って帰ってもいいかな。

庶民的な神楽坂が最近のお気に入り

とまあ、考えるのはどこで美味しいものを食べるかということばかり。やはり日本の老後の逆転勝利という可能性も高いかもしれない。

アメリカにいる間は日本のランチ定食のことばかりが頭に浮かぶ

しかし最終的に落ち着く場所はやはりベイエリアのどこかなのだろう。

先週のスーパームーンが美しかったサンフランシスコ湾

老後の拠点、それはやはり愛する人(あるいはペット?)がいるところなのかもしれない。

次男がヒロを抱っこする
マリーが爪を切る
私がヒロの手をにぎる
エンターテーメント by 長男
写真 by 夫
ビデオ by サキ
見守り(監視) by Nekos

2018年2月3日土曜日

老後の拠点5 東京-F眼科レポート

ちょっと古いが去年(2017年)の夏の東京の話。



去年の夏、東京での一番の目的は六本木にあるF眼科に行くことだった。



なにしろアメリカの眼科で『網膜剥離が起きたら云々』と脅されて以来、目のことが気になって仕方ない。



が、いつも行くK病院で4人の眼科医に会ったが、どの医者もイマイチ信頼することができなかった。



よし、それならば日本で行ってみよう、スーパードクターと言われるF眼科医。



テレビや雑誌などでの知名度も高い。



この有名なF眼科医の診察を受けてみよう、と思って4ヶ月前に予約したのだった。



万が一日本にいる間に網膜剥離が起きたら、このF医師に手術してほしい。



8時半に予約はできたが、それでも診察は一日かかると思っておいてくださいね、と言われる。



患者数は一日200から300人ぐらいらしい。



日本全国からどころか、海外からの患者さんも多いとか。

待合室窓から正面に見えるミッドタウン


8時半の予約だが、7時45分に到着したらすでに8人ぐらい待っていた。



その人たちと話すと、どの人も他の大学病院で網膜剥離や白内障の手術を受けたものの、予後が悪くF眼科に連絡した。



すると、すぐ手術をし直しましょうと言われ、九州や東北から来て近隣のホテルに滞在している、ということ。



8時20分ぐらいにガレージのドアが開き中に入る。



まずは検査室に行き、10項目の検査をすることになる。



屈折検査
矯正視力検査
精密眼圧測定
細隙燈顕微鏡検査(前眼部及び後眼部)
角膜曲率半径計測
精密眼底検査(両側)
レーザー前房蛋白細胞数検査
光学的眼軸長測定
細隙灯顕微鏡検査(前眼部)後整体染色再検
涙駅分泌機能検査(シルメル法)



というリスト。



この10項目の検査はいっぺんにあるわけではない。



1つがすむと待つ。2つすんでまた待つ。と延々と待つことになる。



その間、鹿児島から来ているという70代と40代の母娘と仲良くなって、ノンストップでおしゃべりをする。



待合室は患者で溢れかえっている。



診察室は3階。手術室は4階5階、などとエレベーターで移動するのだ。



1階にはレストランもある。

ビルもレストランも瀟洒な印象



なんでもF眼科医の、医食同源という主義からできたレストランだそうだ。



検査が7、8 項目ぐらいすんだところで、F医師ではなくS医師の診察を受け瞳孔を広げることになる。



私の目の状態は緊急性もないので、F医師ではなくS医師の診察になったのだろう。



それはいい。



いざとなったらF医師に会えるのだろうから。



検査がすむのは15時ぐらいになるので、一度レストランで昼食をすませてきてください、と言われる。

定食はどれも1000円

昼食のあといくつか検査をして、もう一度S医師の診察を受ける。



眼の中にコンタクトを入れて詳しく見たあとS医師が、私の視力は1.0と0.7なので網膜剥離の可能性がそんなに高いわけではない。



網膜剥離はどちらかと言えば近視の人に起きやすい。



白内障もそう進行しているわけでもない。



ただ、剥離が起きた場合決して他の病院で手術しないでください、うちに来てください、と念を押される。



とても穏やかで知的な印象のS医師に好感を持つ。



実はこの検査機器を見た時点でかなりびびっていた。



なぜなら私には医療保険がない。



一体いくら支払うことになるのだろう。



10万円?



20万円となると、手持ちのキャッシュがない。



最初にいくらか聞いておけば良かった。



とそのことばかりが気になっていた。

アメリカの眼科では見たことのないような検査機器が並ぶ


なのに、初診料とドライアイの点眼薬込みで、13000円ちょっとと言われた時はびっくりした。



アメリカではありえない。



そもそも西洋医学よりも中医学とか漢方の方に興味がある。



西洋医学は対症療法なのに比べて中医学や漢方は未病(病気の一歩手前、病気になる前の状態を表す中医学の言葉)を防ぐための医学だと信じている。



そのためには日本で老後を過ごす方がいいのかもしれない。



いや、いい先生に出会うことができるかどうか、アメリカでも日本でもまずそれが一番大事なことではないか、と考える。



東京だとそういう選択肢も多そうだ。



とりあえず眼科はこれからも日本で行くことにした。



なにしろ日本の病院だと、待ち時間もいろんな人と話しているうちにあっという間に過ぎる。



素敵な靴をはいていた女性に話しかけたらおしゃべりがはずんで、また1時間がすぐ過ぎた。



東京にはフレンドリーな人が多いので、声をこちらからかければいくらでも話してくれる。



自分の靴を脱いで私に履いてみていいよ、とまで言ってくれる美しい女性。



こうしてあちこちで見知らぬ人と話せるのは、アメリカで長く生活しているせい?



だから私自身もフレンドリーだから?



お友達を作るのがうまいから?



それともこの距離感の作り方はもしかして・・・

おばさんの距離感?

2018年2月2日金曜日

育児と介護の先にあるもの

育児と介護は似ていると言う人がいる。確かに似ている点は多い。身体的に自立していない人間を介助し生活を助けたり、夜は眠れないのは育児も介護も同じだ。そのことを最近毎日のように考えるようになった。

実はつい先ほどのことだが、ヒロのこの後ろ姿を見て涙が止まらなくなって困った。母が入浴サービスを受けていた時の後ろ姿を思い出したからだ。ラジオを聞くことしか楽しみのなかった母だが、入浴の日は本当に嬉しそうだった。湯船に入れてもらうこと、そしてこのサービスを提供してくれるヘルパーさんや看護師さんがとても楽しい人たちだったから、会話(母はほとんどしゃべることもできなかったが)を楽しみにしていたからだ。


個人的にはこんな尻だけのお風呂で寒くないのか、と思うが・・・

私は母が入浴しているところを見ないようにしていた。母の後ろ姿を見ると38歳の時から寝たきりになった母が哀れでたまらなくなり、ヘルパーさんたちの前で涙を我慢するのが大変だったからだ。

最近介護が始まりつつある友人たちが一様に持つ不安は、近いうちに親の自立度が下がってしまい、自分が日米を往復して助けないといけない時が来るのではないか、その時どう対処すればいいのか、というものだ。親が年老いて日に日に身体能力が低下していくのを目の当たりにするのはつらいものだ。

介護の先に待っているものは死だが、育児の先に待っているものは成長という喜びだということが一番大きな違いだろう。ヒロだって生後一週間ではこんなに弱々しい姿だったのだ。



なのに、5ヶ月半の今は・・・

成長し過ぎじゃね?

2018年2月1日木曜日

老後の拠点4 コロラド

姑は長男R(私の夫は次男)、そしてその妻Sと一緒にコロラド住んでいる。デンバーの郊外でコロンバインハイスクールのそばでもある。義兄の家は地下を入れると約500平米あり、姑は2部屋とバスルームをもらって快適な生活をしている。近所には空の巣になった娘2人がそれぞれ大きな家に住んでいる。

子供たちに迷惑をかけたくないと一旦は老人ホームに入った姑だが、1年後にあまりにも退屈だということで退所し、長男夫婦と一緒に住み始めた。85歳なのに一切の薬も服用していないという姑は、午前中はエロビクス、ヨガ、ジム、午後はボーリングとビンゴで忙しい。

夫はコロラドを老後の拠点にする気は全くないらしい。ベイエリアが気に入っているからだ。だが姑は4人の子供のうち3人がそばにいる。姑を見ていると最高に幸せな老後を送っているように見える。

そしてその姑がなんと最近新車を買ったということだ。雪の積もるコロラドでマニュアル車を運転しているらしい。なんでも数年前に買った株が軒並み値上がりしてかなりの儲けがあったということだ。買った株の銘柄を聞いたらfacebook, Apple, Airbnbなどだということ。恐れ入った。

新車の写真が送られてきた。真っ赤なSUBARUのインプレッサだ!

キャンディレッドという色らしい

姑のメールやテキストメッセージはいつも誤字があり、やはり年には勝てないな、と笑ってしまう。

が、返信した自分のメッセージを見てがっくり来た。

変わらんがな

2018年1月31日水曜日

老後の拠点3 サンフランシスコとサンノゼ

Google Photoでヒロの写真を家族で共有している。ここでいう家族とは、私、夫、長男、サキ、そしてもちろん次男とマリーの6人だ。

昨日アップされた写真を見ると育休中の次男がバギーにヒロを入れて歩いている写真が多かった。一体何歩ぐらい歩いたのかと聞くと画像が送られてきた。


 なにしろヒロは手がかかる赤ん坊で、抱っこしていないとぐずる、バギーに入れて歩けるのは午前中だけ、午後は抱っこ紐でお父さんの体にくっついていればご機嫌という状態らしい。まあ、一人目の子供にはよくあることなのかもしれない。

だから、次男は毎日サンフランシスコの街を歩く。
Nob Hillからゴールデンゲートブリッジを望む


Pier39

Pier39のビーチ

姉からのクリスマスプレゼントのミキハウスのパーカを着せて、一旦寝たら目の部分にフード部分をかぶせると2時間ぐらい寝続けてくれる、ということ。

Lombard Street
ちょっと歩き過ぎでは?と聞くと、やはり最後のLombard Streetで足をくじいた、ということ。今日は少し散歩してヒロが寝たあとバルコニーに移動して、バギーに入れたまま自分は横に座っていると言う。屋外なら寝るけど屋内だとすぐ起きてしまうらしい。

サンフランシスコのマンションは120平米ぐらいで、2LDK+書斎というスペースなのだが、私と夫が滞在する時使う寝室はヒロが1歳になった時からヒロの部屋になってしまう。そうなったら私と夫がサンフランシスコにいる時に泊まる場所がなくなってしまう。

2018年の夏を目安にサンノゼの家とサンフランシスコのマンションをスイッチしようか、という話が次男から出てきた。つまりあと半年後ということだ。次男もマリーもサンフランシスコとサンノゼの中間で働いている。それは可能だ。猫たちも階段やあちこちの段差を喜ぶだろう。

が、私にはサンフランシスコに友人が一人もいない。サンフランシスコは老後の拠点になりうるかも、と考えてはいたがどうだろう。今週末いろいろなオプションを考えることになった。

二人(二匹)一緒なら、うちらどこにでも行きますさかい

2018年1月14日日曜日

老後の拠点2 村

It takes a village to raise a child.ということわざがある。つまり子供を育てるには村(コミュニティー)全体(村人)が関わる必要がある、そうしてやっと子供が一人前に育つという意味だ。

ヒロの育児に関して次男とマリーはやはり第一子だけにとても神経質だ。横で見ているだけで疲れる。新生児の頃は手がかからなかったヒロも、今ではかすかな音にも敏感だしお昼寝からは15分で起きてしまう。次のお昼寝まで次男、マリー、夫、私と交代で遊んで、眠くて悲鳴をあげるヒロを抱っこして30分ほど揺らしたあとやっと寝させる。

早朝の育児は仕事に行く前の次男担当

次男は、ヒロが夜なかなか寝つかないと対処法をオンラインで調べては試す。何もかもを一旦オンラインで調べて、ああでもないこうでもない、と二人で議論しているのだ。生後○○週はどういう問題がありうる、それに対処するには・・・などと調べてその通りにしようとする二人を見ていると呆れる。

誰かがそばにいないと寝なくなったヒロ

夜なかなか寝付かない赤ん坊(ヒロ)でもベビーベッドに入れて泣かせれば、1週間たたないうちにちゃんと寝付くようになる、と二人がリサーチして答えを出す。泣きわめくヒロをベビーベッドに入れる。3時間ノンストップで泣くヒロがかわいそうと、息を止めてモニターを見ながら泣く二人。でも、これが一番いい方法らしいから、と言いながらオンラインの子育てアドバイス通りにしようとする二人を見るとため息が出る。

泣き叫ぶヒロをモニターで見守る二人

私は口出しをしたくないから何も言わないが、百人の赤ん坊がいれば百の育児法があるのになあ、と呆れながらも手助けを要請されるとやはり手伝ってしまう。

マリーの産休と次男の育休のギャップの2日間、二人が仕事に行っている間夫と二人で育児したのだがもう私に育児は無理だ、とつくづく感じた。ヒロはあまりにも重くて抱っこして歩くだけでクタクタになってしまう。それにやはり自分の家ではないし気を使う。

最近は長男とサキも1週間単位で泊まり込んで手伝っているらしい。つまり6人からなる村でヒロを育てているわけだ。


ヒロに絵本を読む長男とサキ

私は日本から帰ってきたばかりなのに、もう日本に行きたくなっている。サンフランシスコにいても楽しいと感じなくなりつつある。京都や東京で朝起きたらモーニングを食べに行き、電車やバスに乗ってあちこちに行き散歩する、という生活が懐かしい。老後もしかしたら日本に住みたいかも、と思う気持ちが日に日に強くなってきている。子供達は子供達で家庭を持ち自立している(長男は近い将来)のだ。私たち夫婦はそこから遠く離れた日本に住む、という選択肢もありかもしれない、という気持ちは本物なんだろうか。

私はもう村を出たくなってきているのだろうか。

でもこの尻に愛着を持ち始めたのも確か