2014年10月13日月曜日

父は死んでしまうのだろうか

松本先生が来てくれた。



父が信頼する針灸師の松本先生は、去年父がホームで『家族を呼んでください』とスタッフに訴えることが多かった時、唯一頼りになった人だ。



父の所に週に2度来てくれていた。



父は松本先生のことをダチと呼び、親し気に話していたものだ。



今日は暑かった
ちょっと体調が悪い
サンフランシスコに次男を送って
行くつもりだったがキャンセル










今年の1月以来
雨は一度降っただけ


その松本先生がホームの近所に鍼灸院を開き、ホーム専属の針灸師を辞めてしまってからは、どうにか個人的に松本先生を雇えないか、と何度もホームに打診した。



が、ホームの返事はノーだった。



園長に掛け合ってやっと松本先生に来てもらえることになった。



今のところはボランティアとして、松本先生がホームに用事のある日曜日に父と話しにやってくるだけだ。



あとはもう一度ホームと交渉して、父の所に施術をしながら話しに来てもらえるようにしたい。



料金は家族が負担するのに、ホームはいい返事をくれない。



ボランティアとしてのみ許されているのが現状だ。



松本先生は父を見て、去年の状態よりいいんじゃないか、と言ってくれた。



去年は父自身がしんどい思いをしていただろう。



やはりこの先生と話すとホッとする。



父は先生のことを覚えていなかったが、先生には『覚えています』とちゃんと社交辞令を言ったらしい。

マリー母のお誕生日のために帰っていた
次男とマリーをスタンフォードの電停まで送る
マリー母にトイレットペーパーを
大量に持たされている二人


夕べ姉がホームにもう一度行ったら、父は寝ていた。



スタッフによれば一日この状態で寝ていた。



食事も摂っていない。



水分も殆ど摂っていない。



看護師と相談して様子を見ようということになっているということだ。



身体を動かすのをいやがる。



首が痛いというので、姉が父の頭や眼にさわっていたら、父は誰?と聞く。



『娘』と姉が言うと姉の手を探してさわって、感謝のサインをする。



『全てありがとう』と父が言うので、もうお迎えが来ているのか、と姉が冗談で聞くとそうでもないらしい。



姉が持って行った食べ物は全く食べなかったようだ。



アクエリアスだけ少し飲ませて帰る姉に、『ありがとう、気をつけて』と言う父。


スタンフォードのカフェ



姉から『もし胃瘻にしようということになったらどうするか』と相談するメールが来た。



胃瘻にして生きながらえることの問題をNHKで見たことがある。



必ずしもいいことではない。



QOLが良くない状態で延々と生かされることもある。



今の父の状態だと穏やかに弱っていき、死に至るのかもしれない。



それは決して苦しい死に方ではない、と聞いている。



が、まだあきらめきれない。



このまま父が死ぬのを手をこまねいて見ているわけにはいかない。



だからいざとなったら胃瘻にするべきなのだろうか。



勿論意識がはっきりしているのなら、胃瘻にはしてもらいたい。



が、殆どもうコミュニケーションも取れない、意識が混濁していている状態で胃瘻にしますか、と聞かれたらどうするか。



取りあえずは点滴などで栄養補給をしてもらいたい。



母が死んだ時は悲しかった。



薬害で38歳の時から寝たきりになった母がかわいそうだった。



が、父の死は母の時とは比べ物にならないほど受け入れられない。



父のQOLを無視して胃瘻にして、ただただ生きながらえてほしいような気もする。

こんなに悲しい気持ちの時でさえ
ちゃんとお店で靴をチェックする

2014年10月12日日曜日

父の様子がおかしい

父の様子が突然変わった。



まず、まとめてみると突然の変化はこういう風に現れている。



37度台の微熱が続いたあと昨日は8度6分。
突然色んなことがわからなくなった。
腰が痛いとベットから起きなくなった。
うがいをしよう、とお水を口に入れると飲み込んでしまう。
話が通じなくなった。
食事を余りとらなくなった。
万歳はできる。
じゃんけんもできる。

10/1のわいわい広場では、うつむいてはいたが
一応参加できていた



娘は認識できる。



先週の父はわいわい広場にも行き、普通に会話ができ(時々意味不明なことは言っていたが)、食欲もあったのだ。



ところが4日ほど前から微熱が続きうわごとのようにつぶやき始めた。



会話が成り立たない。



が、姉が行っているのはわかる。



私のこともよく聞くようだ。



食欲が落ち食堂に行って食べられなくなった。



腰が痛いと訴える。


10/2の森先生の診察では
ちゃんと受け答えできた



昨日姉がホームに行くとMさんが父の部屋のテーブルで、椅子に座らせて食事介助をしてくれていた。



このMさんとSさんが担当の日は安心していられる。



Mさんは40代中盤、Sさんは20代だろう。



この二人が担当の日、父の部屋にはちょうどいい温度のお茶がポットに淹れてある。



トイレの介助もしてくれているので、ズボンが濡れていない。



何よりも時々父に声かけをしてくれる。



夕方父に会いに行くと穏やかな表情をしている。



誰からも相手にされず完全に放っておかれた日は、夕方険しい表情になっている。


このところ嚥下は困難になりつつあった



この二人はずっと動き続けている。



それも入居者のことを思ってケアをしてくれているのがわかる。



他のスタッフも『安いお給料でこんなに働いて大変だなあ』と思うほど忙しそうだ。



が、どんな仕事にもできる人とできない人がいる。



MさんとSさんはできる方の人たちだ。



Mさんが夕べ父の食事介助をしてくれていたのは、ベッドで食べることを続けると寝たきりになることを心配してくれたからだ。



食事の途中で父がトイレに行きたい、と言う。



食事を中断してMさんが父をトイレに連れて行ってくれる。



本当に大変だ。



夕べの父は食後うがいをさせようとしても、できなかった。



クチュクチュパーと見せるとやっと理解できる。



それも今まではなかったことだ。


10/1にはタイヤキを喜んで完食した


Mさんも父のあまりの変り様にびっくりした。



食事も摂らなくなった、話も通じなくなった。



脳に何かあったのかもしれない、と相談員に話してくれたらしい。



が、話が通じる時もあり、万歳もできる、憎たらしいことも言う、じゃんけんもできる。



麻痺もないので、看護師と相談して休み明けに受診が必要なら病院に行くことになった。



3日前にも受診して血液検査と胸の検査をしたが、異常はなかった。



血液検査では一つだけ数値の高かったものがあるので、抗生物質を服用している。



が、夕べは熱が8度6分まで上がった。


先週は歌っていた


父に何かがあっても、今は大型台風が来ているのですぐには駆けつけられない。



飛行機が飛ばない可能性が大きいからだ。



将来、父の死に目には会えないかもしれない、と考えておいた方がいい、と姉は言う。



そうなのかもしれない。



しかし、親の死に目に会うということはそんなに大切なことなのか、と考えてみる。



そうは思えない。



生きている時に少しでも多くの時間を一緒に過ごすことが大事なのである。


死に目に会うこと自体は、大きな意味を持っているような気がしない。


9、10月は往復ともすいていて、
3席使えたが身体はだるい


母の時は姉と二人で死に目に会えた。



父は42年介護したのに母の死に目に会えなかった。



しかしそのことに『かわいそう』という気持ちはなかった。



心の整理をするためにも、死に目に会うべきだったのか。



そうとも思えない。



42年間そばにいたのだ。



それで充分だったのではないか。



それでも父が死ぬかもしれない、と思うと涙が止まらない。



こんな状態だと、実際父が死んだあと立ち直るのが大変なのではないか、と今から心配になる。



とりあえずいつでも日本に行けるように準備を始めた。



さすがにまだ身体はだるい。



先週こちらに帰ってからまだ1週間がたってないのだ。



睡眠に関しては時差ぼけはしていない。



帰って来た日から夜はよく眠れるし、朝も7時から8時には目が覚める。



それでも今すぐ日本に飛べ、と言われると身体がもたないなあと感じる。



などと言いながらも、日本に行かないといけないなら、せめて来週木曜日の大事なジャイアンツの試合のあとにしてくれよ〜〜、と思っている自分がいる。


リーグ優勝が決まるかもしれない試合
この試合に行かないということは
ありえん

2014年10月11日土曜日

フラ

日本人のための教会でフラダンスの講習会がある、とクリスチャンの友人に誘われて行ってみた。



ウェストのくびれを作るのにフラダンスがいいのではないか、と常々思っていたのだ。



先生はハワイからいらした方で70歳。



スタイルはいいし笑顔がステキだ。



フラダンスは日本だけの言葉だそうで、英語ではフラと言うらしい。



腰を動かすのはタヒチダンス、フラダンスは足を動かすけど腰をくねくねさせるわけではないということ。



フラダンスは椅子に座ってできるダンスでもあるのだ。



だから3歳から103歳までのダンスと呼ばれるそうだ。

手の動きで愛を表現するのだそう


また、ブーゲンビリアの花は独身者は右耳の上につけるが、既婚者は左耳の上につけるらしい。



色々と今日初めて知ったことばかりだ。



でも、一番いいなあと思ったのは先生が始終笑顔であること。



これは感じいい。



先生のダンスを見たあと、皆で練習した。



ところが自分には全く踊りのセンスがないということがわかった。



手の動きも覚えられない上、ステップをつけ加えるなんていうことは不可能なのだ。



手と足に違う動きを同時にさせられる他の人が信じられない。



手が動けば足がストップするし、足が動けば手がストップする。

ダンスのあとはフルートとバイオリンの演奏会


それでもきれいなスカートをはいて踊ること、ブーゲンビリアとレイをつけること、始終笑顔でいること、などなどに惹かれて先生のフラダンスの練習用DVDを注文してしまった。



1年後に自分がフラダンスを踊っている姿を想像して、ほくそえむ。

今までに買ったエクササイズのDVDはたくさんある
いつかヨガと太極拳も始める予定
ではある・・・

2014年10月9日木曜日

東本願寺

父の具合が悪い。



一昨日から37度台の熱があり、姉が行くと娘が来たということはわかるものの、うわごとのように何かを言い続けている。



お饅頭や果物は食べる。



算数もできる。



もしかして駆けつけないといけない状態になるかもしれない、とユナイテッド航空のサイトで飛行機の空席状況を見る。



3連休のせいかかなり混んでいる。



できれば今すぐ日本に飛びたくない。



さすがに時差ぼけがある。



毎朝8時には起きているし日中も寝ない。



でも身体はだるい。



父は出かけるのが何より好きだった。



写真を撮るのが好きなのでカメラを持って出かけるのだ。



お寺には全て行ったと豪語していた。



勿論そんなことはありえないのだが、好きなお寺は何度も訪ねていたらしい。



さて、京都駅の前、烏丸通に東本願寺がある。



10年以上前に友人と行った時記憶に残っているのは毛綱だけだ。



女性の髪の毛で作ったという綱。

これが毛綱


ところが最近東本願寺の前を通ると体育館のようなものがある。



こんな建物をお寺の横に建てるなんて、なんという無粋な、と憤りを感じていた。



が、ある日気がついた。



これは修復工事をしているのではないだろうか。



体育館のように見える建物の中にお寺があるのではないだろうか。



だから、京都を出る前に見に行ってみた。



修復工事というものを一度見てみたかったからだ。




やはり東本願寺もすばらしい建築物だ。



日本の建築とはなんとすばらしいものか、とどこを見ても感動する。




円柱一つにしてもどうやってこの時代に作ったのだろう、と不思議だ。




京都では父の世話があるので、なかなか出かけない。



ちょっと時間があればお寺ぐらい行って来れるのに。



こんなに心が動かされるのだ。



もっと色々なお寺を訪ねてみよう。

現在ちょっと時間があると訪ねるのはレストラン

2014年10月8日水曜日

オヤカタ

『親の家の片付け』が中高年を悩ますテーマだという読売新聞の記事を読んだ。



略してオヤカタだそうだ。



我が家でもオヤカタを数年続けている。

現在の地下室の状態



父が在宅していた頃は何も捨てられなかった。



何かを捨てると『あれを捨てたんか』と延々と愚痴るからだ。



7万円もしたのに、と価格までよく覚えている。



15畳の地下室を、不要品で天井までいっぱいにしていた。



いや、不要品ばかりではなかった。



新しく買った麻のお布団などもあったが、父が独自の整理の仕方で地下室に入れてしまうので、必要な時には見つけることができなかった。



そしてそれらは去年全て捨てた。



地下室には今本といくらかの物があるだけだ。



その地下室にネズミのフンがあると思って、先週ネズミ駆除の業者に来てもらった。



結果ネズミのフンと思っていたものは虫の死骸だった。



それでも11月からはネズミが出始める可能性があるそうで、これから半年間ネズミが出ないように囮を置いたり、穴を塞いだりしてもらうことにした。



これが6万円。



最初のひと月は毎週来てくれる。



その後は隔週。

1階和室の天井裏を
調べる業者


その時地下室のフローリングの床にシロアリのダメージがあることがわかった。



近所の建築事務所のIさんに来てもらい、見てもらう。



2階のバルコニーの屋根を新しく付け替えてもらうことと、不要になったテレビのアンテナを除去してもらうになっていたので、ついでに修理を頼むことにしたのだ。



バルコニーとアンテナはそれぞれ36000円と12000円。



税込みで5万円にしてもらった。

新しい2階バルコニー屋根



こうして古い家はどんどん修理が必要なところが出て来る。



次はお風呂場が心配だ。



もうタイルは古いし、ユニットバスではないので寒い。



近いうちにリフォームが必要になるだろう。

コンクリート壁は10㌢以上の厚みがある
これを復元しないといけない


去年夫が日本に来た時、地下室の素人工事部分を除去する必要があると言っていたのだが、Iさんも同じ意見だ。



前の住人がくりぬいたRC部分が余りにも大きいので、耐震性に問題がある。



元通りにはできないが、コンクリートでくりぬいた部分をもう一度元に戻すことにする。



フローリングは全て取り除き、新しい床にする。



コンクリートの壁を作る時、地下室に入れるようにドアをつける。



ガラスに金属格子の入ったものにして、部屋として光を取り入れながら使えるようにする。



地下室の裏にある木は全て伐採してしまい、そこを庭にする。



あるいはデッキにする。

現在の地下室と裏庭


これは百万円ぐらいかかるのではないか、と予想している。



もしかしたらもっとかかるかもしれない。



この家にこんなにお金をかけるのが妥当かどうか、などと考え始めるとリフォームはできない。



仕方ないのだ。



今はそのプランを進めて行くしかない。



何故なら以前の住人が付け加えた部分は余りにもずさんな素人仕事で、いつ崩れて崖下の人に迷惑をかけるかわからないからだ。



リフォーム後はこうなる


父がどこか他の施設か病院に移る可能性はまだまだある。



京都か関西地域で有料老人ホームを見つけるか、青梅慶友病院に入院させてそばに家族が住むか。



これからどういう額のお金が必要になるかはわからない。



それでも、父が生きている限りはこの家をなんとか維持したい。



一番悲しいのは、裏庭を作ったりデッキを作っても、父はもうそこには行って楽しもうとしないことだ。

身辺の事象に関心を失いつつある父

2014年10月7日火曜日

もやった頭

昨日のフライトは揺れた。



タービュランスが続くはずだ、という機長のアナウンスがあらかじめあったが、やはり揺れた。



当然だ。



台風18号が近づいていたからだ。



とはいうものの15分遅れでサンフランシスコ空港に到着した。



とにかく日曜日に出て良かった。



今朝到着のフライトは4時間近く遅れたらしい。


東京でのホテルからの眺め
帰国日、台風18号はまだ沖縄近辺
だが、気温は18度で寒かった

打って変わってサンフランシスコは珍しく暑かった
飛行機から空港を眺めたところ

高速道路280をKing Streetで降りるとすぐあるのが
世界一美しい!!場所、AT&Tパークだ



空港から次男とマリーが住むアパートに行き、日本から買って来た食べ物を渡す。



そのあとコンドー建築の進行状況を見に行く途中にある、ベイブリッジが見えるレストランでブランチ。



前夜遅くまで友人たちと遊んで疲れていた次男とマリーも、コスコとジャパンタウンにあるスーパーに行きたいので、ついてくる。



車がないとコスコには行けないのだ。

コンドーは来秋予定通り完成しそうだ


このレストランは球場に来る度に目に入っていた。

湾沿いのステキなレストラン


テラス席で食事をする人がオシャレで、高いんだろうなあと思っていたが、夫は一度試してみようと言う。

しかしアメリカ人は何故こんなに脂肪の塊のような食事をするのだ


ちょっとビクビクしながらメニューを見てびっくり。



朝食はサンノゼにあるどこのレストランよりも安い。

チップ込みで40㌦ちょっと
これはありえないほどの安さ
しかし、味はまあまあ



その後お店2軒を廻ったあと、やっと夕方6時半に帰宅。



冷蔵庫の中には見事に何もないのはわかっていたので、帰国日定番のメキシカンをテイクアウトして食べる。

サンフランシスコのコスコも巨大な売り場スペース
マリーが次々とカートに品物を入れる
次男はカートを押すだけ、という男女の役割は
どこのカップルも同じ

ジャパンタウンは閑散としている・・・
と思いきや
意外にも大混雑


それにしても長い一日だった。

昨日のユニオンスクエア



今朝はやはり、目が覚めた時自分がどこにいるのかわからない。



頭の中はこんな感じ☟。

成田空港で飛行機の窓から外を見たところ

2014年10月2日木曜日

森先生の答え

今日は成田に向けてスーツケースを送る。



15時の集荷のために荷造りをしないといけないのだが、ジャイアンツのワイルドカードゲームがあり忙しい。



荷造りなんかする時間はないんである。



ワイルドアニマルの世話もあるし、いつも日本を出る前は時間がない。


ワイルドアニマル



昨日は森先生の診察があり、父を連れて行った。



父は元気に話すこともできたのだが、今の問題は夕食を時々食べないことだ。午後ずっと一人でいるとすることもないので寝てしまう。起きた時のタイミングが悪いと、父は夕食を食べない。7時頃ホームに行くと、今日は夕食を食べてないとスタッフにいわれることがある。

だからと言ってその後特別に何かを作ってもらうわけにもいかない。



おにぎりでも作っておいてもらうことはできないのだろうか。



どちらにしても、スタッフは他の入居者で忙しく、父のためにまた何か食べさせる時間を取ることはできないだろう。

夜おまんじゅうを食べる父


レトルトのカレーとご飯を置いておいても、それを温めたり食べさせたりする手間はかかる。



どうするか。TVディナーのようなものを買っておくのはどうだろう。



スタッフが電子レンジで温めて・・・



いやいや、問題は誰が父に食べさせるか、ということだ。



やはり家族が夜ホームに行って食べさせるしかない。



新たな課題だ。




さて、森先生には父がいない時に東京の病院への移動のことを聞いてみた。



答えはNGだった。



「現実的ではありません。今よりももっと大変になります。」ということ。



家族が駆けつけることができない距離。



それはやはり父のためにならない。



青梅慶友病院のそばに私がアパートを借りて住むしかない。



が、カリフォルニアに帰っている間が問題になる。



やはりダメか。



しかし、あきらめきれない。

待合室で暑い暑いと言いながら待つ父
この姿、恥ずかしい
マジで