2013年10月10日木曜日

真夏日

このところ暑さ負けをしている。



湿気負けというか。




毎日ブログを書く気力が残っていない。



暑さの中父の所に毎日通い疲れがたまってきた。



この1ヶ月間父の所に行かなかったのは1日。




今週は写真だけの記録を残しておくことにしよう。

月曜日 椥辻(椥辻)駅
地下鉄とJRを乗り継いで大津の皮膚科にに行く

その後父の所へ
父は決して物を捨てない
ぼろぼろになった扇子もセロテープを貼って使う

火曜日 朝わいわい広場

わいわいのあと佐野さんと会話


午後のお風呂を待つ間ランチに行く
これは御香宮
お祭りの期間中でお店がたくさん出ている

Veloceでアイスカフェラテとフロマージュトルテのランチ

水曜日 森先生の診察
待合室の暑さに耐えられない父は靴を脱いでいる

父をホームに送り届けたあとは自然食ビュッフェ


木曜日の今日は台風が去ったあとの素晴らしいお天気
大文字山がきれいに見える

お昼はそば鶴で点心
これにぶっかけ蕎麦がついて1050円

比叡山もきれい

『法』もくっきりと見える



そして夜8時にホームからすぐ来てくれという電話。



姉が駆けつけた。



父の不安が極限に達しているらしい。



夜は父に声かけをお願いします、と姉がスタッフに頼んで9時に帰宅。




とにかく疲れてしまった。そろそろアメリカの我が家に帰りたい。


締めの写真は出町ふたばの和菓子
しかし殆どが食べ物の写真・・
 

2013年10月5日土曜日

手帳

日本に来て1ヶ月近くが過ぎてしまった。そろそろ帰りのフライトを考えないといけない。一応10月19日に予約があるが、これは変更する予定。どうも今の状態で予定通り帰ってしまって、年末まで来ないのは不安だ。父の認知症がその2ヶ月余りでずっと進行してしまうような気がする。

この前のホームでのカンファレンスでは、定期的なカラオケや声かけ、そしてリビングでテレビや映画を見ましょうと誘う、などの提案がされたが今の所まだそれは始まっていないようだ。父の場合、今暑いのでしたくない、と拒絶することも多いのではないか、と思う。



父は時間を持て余している。他にすることがないので、暑さ寒さのことで体温調節ができない、という不安を一日中スタッフに訴えているようだ。


結局認知症は中期が一番手がかかるということだ。あんなに新聞や本を読むのが好きだった父は、今は億劫になっているようで何も読まない。広告で見た本を読みたいと言う。買っても読まない。



そして手帳にメモるということが減った。父はとにかく手帳が好きで、手帳を買っては何かをメモっていた。複数の手帳はそれぞれの役割があり、母の介護のこと、自分の健康状態、お金のこと、などなどいつも手元に10冊以上置いてメモるのが趣味だった。


父はメモ魔
が、今は手帳も余り使っていない。今日は御香宮のお祭りで、ホームには特別に花笠神輿が来てくれた。それも見に行きたくないということで、父はどんどん全てに興味を失いつつある。


花笠祭りにも行かなかった

メモることに関しては、かろうじて時々何か手帳に書いていることもある。

もしかして、『遊んでばかりで勉強しないジャックはダメな子になる。』と書いていたりして・・・




シャイニング

2013年10月3日木曜日

オモチャ

ブリーダーさんには、最初の1週間アプをケージから出していいのは一日5分だけ、と言われた。そしてその後は毎日5分ずつ伸ばしていってもいい、と。どんどん大きくなるアプ。早く一緒に遊びたくてたまらない。が、ガマンガマン。

夕べ買ってあげたオモチャ
大ヒット
9日過ぎた昨日はやっと15分のプレイタイム。今日は20分。こうして、『ケージには自分が入りたい時だけ入れば?』という状態にしていく。




さて、写真を撮っても撮ってもケージの中にいるものになるので、このプレイタイムに写真を撮りたい。が、余りにも弾けているアプ。ケージから出ている時は跳ね回るのでむずかしい。

やっと撮れた写真はこれ☟


しっぽらしきもの 

2013年9月30日月曜日

戦友

来週末の父の90歳のお誕生日には、外泊をさせてあげたい。家に帰れるのはこれが最後になるのか、あるいはお正月も可能なのか。

家で父を介護するのは無理、と自分を納得させようとしながらも日々思い悩む。『本当にそうなのか。家でもう少しがんばって世話してあげることができたのではないか。』こうした罪悪感は決して払拭することができない。

物を捨てることのできない父
使い捨てマスクを洗面台で洗う
経験してみないとわからない、という感情にはいくつか種類があると思う。介護の苦しみもその一つだ。例えばこういう話を聞く。親の介護に関しての兄弟間での認識の違いだ。兄夫婦が親と同居して介護をしている。弟夫婦は『お兄さんは親と同居していることで恩恵を受けている。家は親のものだし親の年金があるのだから。兄夫婦は介護をしているとは言っても、実は経済的に得をしているのではないか。』と考える。

弟夫婦は口を出す。『施設に入れるなんて親がかわいそう。親はあんなに元気そうだし、家で世話ぐらいできるだろうに。』そして口は出すがお金は出さない。介護をしていないから、兄夫婦の大変さはわからない。とまあ、これに似た話はしょっちゅう耳に入る。

また、こうも言う人がいる。「介護は赤ちゃんを育てる苦労と似ていますね。」

違う。全く違うものだ。

赤ちゃんを育てる時は将来に光がある。ものが育つ時は先に喜びがあるのだ。果実が実るのを楽しみにするのと同じだ。が、介護は先が見えない。あと2年後には幼稚園に入る、あと10年後には高校を卒業する、と将来を計画したり設計することができない。見えない先にあるのは悲しみだけだ。

父がこんなに早く車椅子を
必要とするようになるとは
夢にも思わなかった
親はどんどん年老いて、脳、身体、感情の全ての機能が低下していく。しかし、明日はそのうちのどれがどういう形で現れるのか予測できない。親のそうした姿を見るのは胸がしめつけられる。自分を慈しみ、学校に連れて行ってくれて、いつも守っていてくれたのが親なのだ。その親がどんどん壊れて行くのを見るのは、筆舌に尽くしがたい悲しみだ。

例えば今日の父はぼんやりどんよりしていて、やはり体温を測っている。35.9度だ。なのに熱がある、と言いながらアイスノンを枕にしている。昨日した『哀愁』の話は全く覚えていない。昨日より一層認知症が進んだように見える。

『親の介護が大変なのはわかるけど、まずは自分の身体を優先しなさい。』と周囲の人たちは言う。自分を気遣ってくれているのはわかる。が、自分を優先できない事柄がある、ということを理解するのはむずかしい。

『先のことを心配しても仕方ないんだから、今からクヨクヨしなさんな。自分が損するだけよ。』と言われる。心配しても仕方ないことはあるが、予測し心配し、準備しておかないといけないこともあるのだ。

日に日に俯きがひどくなる
背中が痛いと言う父を
マッサージする姉

こういうことを言われた時反論してはいけない。わかってもらおうと、納得させようとしてはいけない。未知の感情を想像し思いやることはできても、脳内で体験したり完全に理解・共感することは土台無理なのだ。

一人で介護している人は孤独だろうなあ、と思う。兄弟や姉妹で同じ認識を持ちながら介護できることは幸運だ。同じ敵に向かって団結して向かうことができる。小さな何かを達成した時、同じ喜びを共有できる。夫婦は良く『戦友』と表現されるが、今まで夫に対してそういう感情を持ったことはない。今姉に対しては『戦友』という感情を持つ。

そして夕食には
戦友とさんまを食べるのであった

2013年9月29日日曜日

哀愁

久しぶりに楽しいことをしよう、と朝から四条河原町の高島屋に行った。とにかく京都は小さな街で、デパートは3軒しかない。京都駅にある伊勢丹、四条河原町にある高島屋、そして四条烏丸にある大丸。一番人気は伊勢丹。次が高島屋。大丸は比較的閑散としている。

四条に行く途中で
秋祭りをしていた
靴売り場で父の上履きを探した。が、サイズがない。仕方ないので他の所で探すことにして洋服を見に行く。日本に来るとコートを見に行きたくなる。カリフォルニアではコートを着る機会というのは余りない。だから、コートやブーツは日本の方が充実している。Max Maraでコートを試着したあと、7階に上がり『田ごと』で昼食。

田ごとのランチ
食べ過ぎか?
その後帰宅して1時間休憩したあとホームに行く。父は暑くてどうにもならん、とソックスを脱いでアイスノンの上に足を置き、うちわであおいでいた。エアコンは25度に設定してある。が、分厚いシャツを着ている。

とにかくすることがないので、暑い、寒い、鼻水が出る、風邪ではないか、熱はないか、と不安をどんどんつのらせていく。しかもそれは認知症のために日々エスカレートしていく。他の話題で父の注意をそらせるしかない。デパートで買っておいた穴子巻きなどを食べながら、孫たちの話をしているうちに表情が穏やかになっていく。

穴子寿司などの夕食
その間姉は近所の商店街で上履きを探していた。姉が父のサイズと思って買って来た上履きを持って部屋に入って来る。が、小さい。また、上履きを持って商店街に引き返す。30分後に少し大きなサイズに交換したものを持って戻って来た時、ちょうど看護師のUさんが入って来た。

父の隣に座る。「お好きな映画でしたけど、題名は何でしたっけ?」と聞くが父は覚えていない。昨日のカンファレンスでこれからのホームの取り組みの一つとして、父の好きな映画やテレビ番組をリビングルームで観るようにする、というのがあった。そのための質問だろう。

ではあらすじは?と聞くと父が語りだす。『結婚を約束している恋人同士がいる。男の方がある日戦争に招集される。女はある日恋人が戦死したと聞く。絶望と貧しさのために女は身をやつす(どうも娼婦になったということらしいが、父ははっきりと娼婦という言葉が言えない)。実は男は戦死していなかった。二人は再会するが女の方は自分を恥じて橋から身投げして自殺する。』

父はあらすじを話しながら泣く。ティッシュで涙を拭きながら、「余りにも悲しい映画なんです。もう思い出すだけで苦しいです。」と言う。男の方の名前は思い出せないが、女はヴィヴィアン・リーだと父が言う。「しかし、アメリカ映画は本当に演技がうまいですね。いやあ、洋画は当時よく観ましたが演技に圧倒されました。」と繰り返す。

その場で調べるとこの映画の題名は『哀愁』だった。そういえば、母がこの映画を父と一緒に観たとよく言っていた。

つまり、この映画を見せるのは余りにも酷ということだ。結局水戸黄門などの、あらすじが簡単で父の好きなテレビ番組見せましょう、と言うことになった。それをリビングルームで観ることができれば、少しは夜の時間が寂しくないのではないだろうか。

父が思い出せなかった男優の名は
ロバート・テイラーでした

次のプロジェクトは、当時の洋画のあらすじや俳優の名前を調べて、父にそのことを思い出させること。確か母と観た映画の題名に、『キリマンジャロの雪』というのがあった。エンパイア・ステート・ビルディングで再会を約束する恋人たちの映画『めぐり逢い』は観たのだろうか。母と観たのか。両親の好きな俳優や女優は誰だったのか。

父がこのホームに入ってからは、こうして毎日数時間話すことで父、そして母のことを日々学習している。

2013年9月28日土曜日

カンファレンス

午後2時からホームとの会合が始まった。ホームから渡された話し合う項目リストの紙には、父の名前と『カンファレンス』と書いてあった。そうか、日本でも会合のことはカンファレンスと英語で呼んでもいいのか、と感心しながら見ていたら次々にスタッフが入って来る。

驚いた。父のフロアのスタッフが2人、相談員が2人、栄養士1人、看護師1人、そしてケアマネの計7人の参加だ。

項目は私と姉が話し合いたいと思っていたものとほぼ同じだった。体調面と生活の中で、楽しみを増やせるような取り組みについてが大きな項目だ。私と姉が話しておきたかったことは、まずホームにはとても感謝していること。家で父の神経症とも言えるほどの不安に対処するのはむずかしい。父自身家に一人でいる時間は不安で仕方ない、病院に入院したいと望んでいた。そして今のホームに入ることができた。


ホームイベント会場

ホームでは大勢のスタッフ、看護師や医者による補助、リハビリ療法士との運動などなど、安全に生活させてもらっている。だが、普段は姉が父の様子を見るために、毎日仕事からの帰り道にホームに行っている。姉の不安は、これからどうしても体調が悪い時ホームから呼び出しがあったらどうしよう、ということだ。これが大きなストレスになっている。

そのためにホームに学んでほしかったのは父に対処するためのパターンを知ること。夕方5時頃から疲れが出て来て、その時間帯がうまく過ごせないと夕食を食べない、薬を服用しない、と悪循環に陥る可能性が大きい。そして夜不安になり家族に来てくれるように電話してください、とスタッフに頼む。どうにかホームの職員が穏やかに話すことで、父の不安を取り除いてほしい。そして姉が仕事のあと、家にそのまま帰って休むことができる日ができると嬉しい。


足腰の弱った父

ホームから提案された楽しみを増やすための取り組みは、次の3つだ。リビングで好きな英語を見てもらう、ユニットで塗り絵などを楽しむ、スタッフと昔の話・新聞の話題・バイクや大型トラックなどの乗り物・カメラ等の話・歌の話をする。

これも家族の希望通り。付け加えれば、父は脳トレのようなものが好きなので、例えば魚偏の漢字を書いてくださいとか、四文字熟語を言ってくださいというような遊びを楽しむ。カラオケが好きなので、スタッフや他の入居者とカラオケで遊ぶことができるかどうか聞いた。それも可能ということ。

7人も揃って父のために皆で力を合わせて生活を改善していこうと努力してくれる。これは本当に嬉しかった。父はどんどん機能が低下して行っている。それはホームのスタッフと家族が協力し合ってこそ対処していけるものだろう。

一日の最後は龍馬の銅像の見えるカフェ
和菓子とお茶
114円也

2013年9月26日木曜日

認知症コース

父がアルツハイマーにかかったことで、認知症という病気のことをかなり研究した。父の中で進行する認知症を見続けることで、学習したとも言える。が、日々予期しなかったことが起きる。

父は決して物を捨てない
古いティッシュの箱さえ
廃品利用して何か作る
父は今ほぼ普通に会話ができる。今日も、戦争中爆弾を抱えて敵の船に撃墜しないといけなかった戦友の話をしながら涙ぐむ。その戦友が飛び立つ時手を2度振った、その姿が忘れられないと言う。そして戦争というものは実際に体験したものにしかわからない、絶対にわからないと涙を拭く。

明日は金曜日だからホームではふれあいコンサートがある。父に行くかどうか聞くと、あんなもん、絶対行かない。人が歌いたい時に歌わせてくれない、人をコケにする、とまで言う。父は自分中心にしか考えないので、皆で歌うことなど面白くも何ともないのだ。自分の歌を皆に聞いてほしいのだ。そういう憎たらしい姿は以前のままだ。

そんな父も新しいパジャマをパジャマと認識することができない。何セットも新しいパジャマを買って持って行ったのに、古いぼろぼろになったパジャマを選んで着ている。この新しいのを着たら?と言っても、「それがパジャマ?」と不思議そうに言う。新しく買ったパジャマを椅子に置いて帰る。が、翌日にはそれがパジャマだと認識できず、シャツとしてパジャマの上だけを着ている。


そんなことは予想だにしなかった。どれがパジャマなのかわからない、教えてもすぐ忘れる。そんなことが起きるなんて。認知症とはわかっていても、次にどんなことができなくなるのか家族には予想できない。認知症のコースがどんなものなのか知らないのだ。

エアコンのスイッチさえ覚えることができない、と書いた。3年前にはテレビやDVDプレイヤーなどを複雑に配線していたのだ。デジカメをプリンターにつないで、撮った写真を印刷していたのだ。証券会社に行って国債を買ったりしていたのだ。なのに今は何もできない。が、そういうことをしていたことは覚えている。

ユーロがいくらまで値上がりしたか、ということは覚えているのだ。でも、タンスの引き出しに入れた10円玉のことを覚えていない。毎日のように10円玉をいくつか置いておいてほしい、と繰り返す。ここにあるよ、と見せると納得するが5分後には同じことを言う。

今父がいるホームはいくつかのグループに分かれていて、それぞれ町の名前がついている。父のいる町は横町一丁目だ。横町一丁目には自分で食事ができる人は2人しかいない。父ともう一人は103歳の女性だ。父は毎食全て完食する。食べ物はとても質素だ。


おやつに和菓子やプリンは出るが、果物はない。だから今日は梨をむいて持って行った。夕食と梨のおやつがすんだあと、いつものように7時15分に父に別れを告げる。寂しそうな父に「本でも読んだら?」と言うと、「めんどくさい、明日読む」と毎晩同じことを言う。が、決して読むことはない。


家にいると色々とすることを見つけてくつろぐ父。が、何かしら不安材料を見つけては『ちょっと来てくれえ〜。』と言い始める。夜中にお医者さんや看護師さんに連絡してくれ、と騒ぎ始める。決して家に安心して住むことはできない。

補聴器を調整する父
かろうじてこれは自分でできる
しかしいつまでできるのだろう
が、7時15分に『することがないから寝る』と言う父の声を聞くと、今日も罪悪感にさいなまれながらホームをあとにする。