それでも一応は夕食を作るが、作りながら毎日のように思う。母の介護が大変だった頃のことだ。年に5回のペースで日米を往復し、毎回3週間ぐらいずつ滞在した。が、2ヶ月以上滞在したこともある。心配だったのは家族の食事のことだった。あの頃家族は一体何を食べていたのだろうか。
最近の夕食はこんな感じ ネギトロ丼、セロリの和え物、ごぼうとワカメのお味噌汁 |
そんなにも何度も往復したのに自分がしっかり介護をした、できるだけのことはした、という満足感は全くない。前回書いた遠距離でもできることリストなんて、最初の頃は全て姉に任せきりだった。自分がアメリカからでもできることがあるなんて思いもしなかった。
最終的に母の命を奪ったのは新米看護師さんの吸引ミスだった。脳出血のあと大きな障害が残りながらも、命に別状はありませんと太鼓判を押されていたのに、このミスで母の呼吸は停まってしまい、3日後に亡くなった。主治医から謝罪はあったが、母は戻ってこない。