警報が鳴っていたのは気がついていた。
が、無視していた。
『かわいい息子とはいえ、自分の身体を優先するべき』という頭の中で鳴っていた警報1と、『それは若い人の食べ方でっせ』という警報2。
そしてその警報を無視していたせいで起きたこと。
まず腎盂腎炎。
頻尿で〜〜と能天気に構える状態ではなかったわけだ。
育児疲れの息子が心配で、自分の体調がしばらく悪かったことは考えないようにした。
そしてサンフランシスコに来たのが先週の月曜日。
体調が悪いのは空腹のせいだ、と日本スーパー「にじや」で買った助六を膝に置いて食べながら運転。
サンフランシスコに着いた時はフラフラだった。
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このうち3個を食べながら運転
バカバカバカ→私 |
なのに、奥歯が生え始めてノンストップでむずかるヒロを抱っこして歩き回る次男を見て、少なくとも家事を担当しようと考えてしまう。
早朝も4時から5時に起きるヒロ(普段から早起き)をあやしている次男に『朝の準備したら?』と声をかけて、毎朝30分ほどヒロの世話をしてしまった。
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またショートパンツ姿の(老いた)私登場(鏡の中左) |
警報は私に伝えていた。
『あんたもう年でっせ。自分を優先せなあかんのちゃうか?病気になってからでは遅いで(なぜか関西弁)』
火曜日の夕方遂に来た。だるくて起き上がれない。熱を測ると38度近い。
久々の熱だ。
そして悪寒がひどい。風邪一つひかない私が、これはあかん、と思った。
救急に行くことを夕方5時に決断。
カイザー病院の救急で、もう頭があげられないほど気分が悪い。
救急医から「膀胱炎ですね。」と予想通りの診断が出る。
腎盂腎炎では?という私の問いに、背中を叩いても痛みがないから大丈夫。
膀胱炎です。
抗生物質を5日間服用で治ります。
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救急はサンノゼほど混雑していない |
水曜日、また熱が上がり始めたところに、フォローアップの電話がドクター・サムからかかる。
めちゃくちゃ明るいビーチボーイっぽいサム先生も、背中を叩いてみて痛くないならダイジョーブ!超ダイジョーブ!
抗生物質を服用しながらゆっくり休んで!と超ポジティブ。
だんだん私もポジティブな気分になるが、「背中の痛みがなくても発熱って膀胱炎の症状じゃないですよね。腎盂腎炎なのでは?」と聞いてみる。
一瞬の沈黙があり、その後サム先生「君が今できることは、オプション1:解熱剤を飲みながらゆっくり休むこと。
オプション2:明日診察を受けること。
オプション3:心配なら救急に行くこと。」だそうだ。
オプション1にしよう。
が、午後5時に熱が上がる。
今度は39度。
寒くて仕方ないので毛布をかけて首筋を氷で冷やす。
一瞬熱が少しだけ下がるが、頭の中でまた警報が鳴り始めた。
『この状態で一晩過ごすのは無理やで!悪いことは言わん。救急行きなはれ。』
また病院の救急に戻る。
今晩の救急医は知的で穏やかなインド人医師。
「腎盂腎炎です、すぐ点滴をします、抗生物質は変更しますが、耐性菌のことを考えて今までのも飲んでください。」
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胃を守るためにこのクラッカーを食べてと渡されたが超まずい!
日本ならおにぎりだなあ、とつくづく日本が懐かしくなった瞬間 |
が、点滴が終わったあと前言撤回。
「抗生物質は今日処方する一種類だけにしてください。
前回のは廃棄すること。」
ということで、1週間ほぼまともに機能しない生活が続いた。
昨日受けた血液検査も、腎臓の数値は去年より悪くなっているが許容範囲という結果。
早くにお医者さんに診察してもらっておけば軽くすんでいただろうに、無理を重ねて(先々週も頭痛がしていたのに支援のためサンフランシスコに来た)事態を悪化させてしまった。
が、どうにか事態は収束。
が終息ではない。
そして血液検査で、新たに問題が見つかった。
これは次回書く。
しかし先週一番つらかったのは・・・
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早朝の『ご飯待ってます』腹フミフミ |