2019年6月30日日曜日

メルトダウン

生きています。

一応家族も猫sも皆元気で生きとります。

新しい託児所初日(教室にはカメラがついていて家族はいつでもアクセスできる)
次男を追って泣き叫ぶヒロ(カメラ画像)

連日猛暑日が続き温暖化をひしひしと感じた6月
次男が大きな悩みを抱え始めた

でも、このところ家族のストレスが押し寄せてきていて、私自身は体調を壊す寸前。同居が始まってから、マリーのメルトダウン(何かにショックを受けてパニック状態になること)、次男のメルトダウンと次々に起きて、私も続いてメルトダウンしそうだった。

長男もある日帰宅し私にストレスを切々と訴える。その様子に気分がふさぐ。

どうして自分でもこんなに家族に感情移入してしまうのか、といやになっている。

2日で新しい家に慣れた猫s

おいおい書いていきます。

こんなに体調を崩しそうなストレスの日々でも
グルテンは心の支えですな

2019年6月3日月曜日

もしかして

6月8日。この日次男家族がサンノゼの我が家に2匹の猫を連れて引っ越してくる。

いや、引っ越しではない。サンフランシスコの楽しさは捨てがたいから、マンションには引き続き週末だけ住むそうだ。家賃も今まで通り払ってくれるということ。

来年の2月にはマンションから『ユニオンスクエアまで6分』の地下鉄完成予定

ってことはですね、つまり、あれですよ。

平日は次男家族と同居、という結論になったわけですよ。

次男家族が使うことになるバスルームと2部屋

今後どう状況が変化するかわからない。が、サンノゼの我が家と次男家族が住むサンフランシスコのマンションの交換はなくなった。多分それはこれからもない。サンフランシスコは楽しい街だとは思うが、老後住みたいところではない。少なくとも私にとっては。

ヒロにとっては裏庭で遊べることもサンノゼの家の利点だろう
それにしても2歳近くになってよだれかけが離せない子ってナニ?


とりあえずヒロの保育所も決まり6月10日から通うことになった。次男かマリーが毎朝8時に保育所に落とし、5時に迎えに行くそうだ。監視カメラもあるし、写真付きの詳細なレポートも毎日受け取れるそうで、次男たちは月額$2600は仕方ない、と考えている。それにサンフランシスコよりもずっと安い。

確かにサンフランシスコは絵になる街だ
が、イベントや食べ物の充実性は
東京とは比べ物にならないと思う


2歳になると月額は$2100に下がるそうだ。病気で保育所を休む時、今までは次男とマリーが家で仕事をしながらヒロの世話をしていた。が、我が家から車で5分の保育所に通い始めたら、いざという時頼られるのはもしかしてもしかして私?と思ったりもする。

それに、もしかして次男家族と夫と私の5人分の食事作りもこれから毎日私?孫の世話はしたくない、と思っていた私が、もしかしてもしかしてこれからどっぷりと世話係?

しかも、ヒロは私よりも夫になついていて、私のことは単なる飯炊き女としてしか認識していないように思える。



よく食うんだわ、これがまた

猫はこれから次男家族がどこかに家を見つけるまで、彼らと一緒に我が家に住む。猫はほしいが、老後いつまで世話ができるかわからないことを考えて飼えない私には、これだけは大歓迎だ。


猫にとっては受難はどこにおいても同じ

2019年6月1日土曜日

いわゆる義理の仲?

先週から今週にかけてめまぐるしい1週間だった。

23日木曜日から姑たちがサンノゼの我が家に4泊したわけだが、その日の午後ある事件が起きた。このことに関して私はものすごく精神的に消耗したのだが、詳細は後日書くことにする。

姑たちの滞在に関しては、主に小姑1からのストレスでこれまた消耗してしまった。例えば姑の大好きなパリスバゲットというパン屋さんに3人を 連れて行く。3人がパンを選んで私が支払いをしている時、後ろで大きな笑い声とハッピーバースデーの歌を合唱する大声が聞こえてくる。なんと小姑1が息子嫁のバースデーだから、とカフェの中で姑、小姑2と共に息子夫婦とfacetimeを始めているのだった。お店は満席。

いわゆる鬼三千匹?

皆が注目する中、私はとんでもなく恥ずかしい思いをするが、そこで恥ずかしいと思うこと自体がおかしい、と小姑1が『ええかっこしい』の私に呆れる。どちらにしろ小姑たちと姑(今回来ていない義兄も)は四六時中誰かの噂話をしている。そしてどこにいても傍若無人なのだ。

悪い人たちではない。家事もよく手伝ってくれる。が、異なった文化を許容できない小姑1と姑に、親戚じゃなかったら一生付き合うことのない人たちだなあ、と感じ続ける4日間だった。しかし、と我が身を省みてみる。そして私もかなり異文化を拒絶していることに気がつく。息子たちの配偶者家族に対してとるべきではない態度のお手本として学習するチャンスでもあるのだ。

24日のランチはタイ料理。7人で$220。


25日は早朝バークレーにあるTokyo Fish Marketにお刺身を買いに行き、サンフランシスコで長男たちも入れて合計11人でお寿司パーティを開く。皆が帰ったのは夜10時。

26日は3日前から漬け込んでいたビーフ、チキンなどのバーベキュー。サンノゼの家にまた11人集まる。親戚がこうやって集まるのは楽しいから、と小姑1が皆で近いうちにどこかで集まろうと提案。ギャンブルができて(小姑や義兄たちはギャンブルが大好き、私は大嫌い)アウトドアも楽しめるところがいいそうだ。

計画を立てながら、家族だけの写真がほしいからと姑、夫、息子、孫と血縁だけの写真を撮る小姑たち。

この雰囲気の中感じるのは、はいわゆる疎外感?


子供や孫も入れると全部で35人(夫は7人兄弟)になるということ。前回こうやって集まったのは2010年、母が亡くなる前月だった。その時は26人で、レイクタホに大きな家を借りて全員が泊まったのだ。集まって2日目の夜、小姑1に辟易した小姑2の夫、義兄妻は部屋に閉じこもって出てこなくなった。集合写真を見ながら思い出す。次は35人・・・

ターゲットは今年のクリスマスだそうだ。この冬私ができることは一つ。

いわゆる、冬眠?