2018年6月3日日曜日

母 最期の日

主治医から告げられたのは予想通りの母の状態だった。

腎臓も肺ももう機能していない。だから人工呼吸器をつける必要があった。母があとどのくらいもつかはわからない。沈痛な面持ちだった。が、呼吸停止のあとの『高齢者は回復していると思っていても急変することがある』という説明には納得していなかったし、もう一人の医者への不信感も残っていた。高齢患者とその家族にもう少し誠意を持って接することはできないのだろうか。

だから言っておくべきだと思った。ドキドキしながら言った。

『母は回復し始めていましたよね。でも、肺炎になり今はもう回復の望みがなくなりました。それは痰吸入の失敗が原因ですね。あの失敗がなかったら少しずつ回復していたはずです。母も家族も希望を持ち始めた時に起きた事故です。

私は病院側の落ち度を追求するために言っているのではありません。これから同じようなことが起きてほしくないんです。他の患者さんのためにも、はっきりと認めてほしいんです。そして病院としてもそういう指導は徹底してほしいんです。病院にとってはただの一人の患者にすぎないかもしれませんが、私たちの大事な家族なんです。』

主治医はしばらく沈黙したあと言った。

『吸入についてはおっしゃる通りです。これから病院内で検証していきます。看護師も指導していきたいと思います。』

それで充分だった。母はやはり生きるつもりだったのだ。生きるつもりだったが事故にあってしまった。

病室に帰って姉と主治医から聞いた母の状態を話し合った。母からの反応はもう何もないし、あとどのくらい生きていられるかわからないが、これからも姉と私で交代で母に付き沿うことにして、姉がとりあえず帰宅して休むことにした。

が、午後姉が家で休んでいる時、一人で母の横に座っていた私は胸騒ぎがした。母はもしかしたらもうダメかもしれない。

姉にメールした。なんか危ないような気がする。

大丈夫とは思うけど、と姉が返信してくる。

でも、やはり何かが違う。姉が来るべきだと感じた。そしてそうメールした。

姉が天婦羅をご飯の上に載せて、簡単な天丼を作って持ってきた。母に何も変化がないのを見て安心した姉は、母の横で食べるよりもちょっと気分転換に外に出ようと言う。駐車場に停めてあった姉の車の中で食べることにした。

病室を出る前に姉が母に話しかけた。母が入院するまで往診をしてもらっていたN先生に家から電話した姉は、N先生から『お母さんはまだ耳が聞こえていると思う。ずっと話しかけてあげてください。』と言われたらしい。

「もうちょっと頑張らなあかんな。療養型の病院に移ったらまたアイスクリーム一緒に食べよな。」と姉が話しかける。

その後車の中でタッパーに入った簡単な天丼を食べた。意外にもおいしくて全部食べられた。数日ぶりの食事だ。『ほら、こうしたら案外と美味しいやろ?』と言う姉。なんだか希望が湧いてきた。あのおふざけが大好きな母のことだ。私たちを怖がらせようとしているだけだろう。まだまだ大丈夫。

が、病室に帰ってしばらくすると看護師さんたちが母のシーツを交換し始めた。呼吸器を外した母の心拍数がどんどん下がっていく。私はハラハラと心拍数を見ていた。こんなに低下したのではもう元の数値まで上昇させるのは無理なのではないか。

そしてその通りになった。心拍数は下がったまま。主治医が呼ばれて母を蘇生させようとしている。

すぐ父に電話してタクシーで病院に来るように伝えた。42年間父は母の横を一日も離れず介護した。その父を待っていてほしい。タクシーに乗れば10分で到着するのだ。

母に頼んだ。どうかどうか、父を待ってて。



母は最後までいつもの母だった。

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