2018年5月11日金曜日

母 最期の日々 ① パスポート

Mrs. xxxx was admitted in our hospital on August 30, 2010 with a hemorrhagic stroke and she is in critical condition.(⚪︎⚪︎さんは8月30日、脳出血で入院し重体です。)と書かれた診断書、申請書類、写真、飛行機の予約確認書を持ってサンフランシスコのパスポート申請窓口に着いた。カリフォルニアの8月30日午前9時半を過ぎていた。

翌日の飛行機の予約は関空行きが取れないので、成田行きをとりあえず取った。翌朝サンフランシスコ空港に行き、そこで関空行きに変更するためにスタンバイするしかない。最悪成田に飛んでもいい。日本にさえ着けばどうにでもなる。


前日これらの書類をFaxで送り、緊急のパスポートを申請する資格があるのかどうか審議された。そしてこの日の朝電話がかかってきて、すぐ申請に来てくださいと言われたのだった。慌てて洋服を着替えてすぐ車に乗り、サンフランシスコの申請所まで急いだ。緊急でパスポートを取りたい人なんて殆どいないだろう、と思っていたがそれは甘かった。申請所に着くと行列ができている。どの人も緊急でパスポートを発行してもらいに来ているのだ。


私の番が来て窓口の係に説明する。アメリカ市民になったところです。パスポートの申請書類を一昨日送ったところだから、アメリカに帰化した書類はオリジナルを持っていません。でもコピーはここにあります。


だが、窓口の係員は言った。オリジナルじゃない書類は受け付けられません。だから移民局に行って帰化したという証明書をとってください。証明書を取ったらもう一度この窓口に帰ってきてください。


ただ、この窓口は12時には閉まります。それをすぎたらもう今日の申請は受け付けません。


その時点でもう10時半頃だったと思う。駐車場に停めていた車まで戻る時間が惜しい。仕事を休んで一緒に来てくれていた夫と走った。


祈るような気持ちで道に出るとちょうどタクシーが来て目の前で停まり、乗客が降りた。すぐに乗り込んで渋滞のサンフランシスコの街を走る。移民局に着いた。果たして私が帰化したという証明書はすぐに発行してくれるのだろうか。ドキドキする。また何か他の書類が必要だと言われるのではなかろうか。


言われた。


が、これがどういう手続きが他に必要と言われたのかはもう覚えていない。静かな場所に移動してどこかに電話をして、どうにか確認が取れた。そして帰化証明書は無事発行された。


またタクシーで申請所に向かう。移民局で思ったよりも時間がかかったので、着いたのはギリギリセーフの12時前だった。そしてその日私の初めてのアメリカのパスポートが発行された。


ひたすら母が恋しかった。


いつも明るかった母が生きているうちにもう一度会えるのだろうか
(写真は父代筆の手紙、これが母からの最後のメッセージになった)

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