2017年2月2日木曜日

長女たち 2/3 逃避

ピーツに座っていると日本語が聞こえてきた。



40代ぐらいの二人の女性が話している。



『去年父が脳梗塞を起こして入院、そしてまた脳梗塞を起こし今度は右半身が麻痺してまた今入院中。』というような内容だ。



とにかく最近あちこちで介護という言葉が耳に入ってくる。




アメリカに住んでいると日本に住む親を助けてあげたくても、子育て中、あるいは仕事をしているなどの理由から帰れないことも多い。



私自身も子供がいるんだから、という大義名分を掲げて母が入院した時も、父と姉に任せていた。



38歳の時に薬害で下半身不随になり失明した母が、脳梗塞を起こして深刻な介護を必要とし始めてからも、私は自分の生活のことしか考えてなかった。



ケアマネに電話して介護計画を一緒に考える、個人的にヘルパーさんを頼んでその費用を払う、などなどアメリカからでもできることはいくらでもあったのに。



姉はアパートで一人暮らしをしていたが、父の要請で家に戻った。



これが間違いだった。



昨日の友人の話ではないが、おんぶお化けの父は姉に依存し自分の不安を全て押し付ける。



仕事から帰っても姉は休まる場所がない。



夜中は母の介護で眠れない日々が続く。



日中は基本的には父が介護をしていたが、姉が定期的に母の部屋に布団を敷いて夜の介護を代わっていた。



親子の間だろうとボーダーラインというものが存在し、それを超えてはいけないというルールが父にはわからない。



だから、姉のした何かが自分の意に沿わないと言葉で追い詰める。



それを目撃しても、私には『姉を傷つけている』という情報として頭の中に登録されていなかった。



親は何を言っても子供たちのことを愛しているのだから、まあちょっとやそっとの父の暴言は気にしなくてもいいではないか、と無意識に処理していたのだと思う。



それは無条件に愛されている子供が、知らない間に持つ安心感から来ていたものなのかもしれない。



だから、愛されていると感じていない姉の苦しさに、無頓着だったのかもしれない。



その意識のない傲慢さに姉はイラついただろう。



ある日姉が私に対して爆発した。



その頃私は日本に『遊びに』帰っていたのだ。



日本にいる親に孫を会わせてあげる、それで充分と思っていたのだから恥ずかしい。



爆発してくれてよかった。



私は自分の能天気ぶりに気がつかず、姉が父に時折冷たい態度で接しているのを見て、父をかわいそうだと思っていたのだから。



母も父から逃げるところがなかったが、姉もまた逃げ場のない生活だったのだ。



職場にいると電話がかかってくる。



会議が終わり自分の机に帰ってくると、着信履歴が13回と出ている。



父からだ。



母が熱を出した、38度もある。すぐ医者に電話してくれ、という。



すぐかけ直さないと父がわめく。



私には決してしないことを、父は姉にはするのだ。



長女が親を世話するのは当たり前、と父は自分の行動を正当化する。



それでも姉は父に従わないといけない。



なぜなら母が人質として父の支配下にいる、と感じるからだ。



だから、仕事中でも姉はすぐ対処せざるをえなかった。



母が入院した時も、父の言いつけ通り京都の南の端にある家から北の端の病院まで車で2往復して、父の要求を満たさないといけない。



それは父にとっては当たり前のことで、何もしなくてもかわいがる対象は次女の私だった。



姉の長女としての大変さを、そして父の理不尽さをやっと理解した私は、それから日米介護往復するようになった。



日本に帰れば介護は全面的に交代し、昼も夜も母の介護をした。



夜は何度も何度も母が起きるので、そのたびに階下に降りて世話をする。



時には階段を踏み外してしまうこともあったが、40代の私には大したことではなかった。



それは多分、ここでしっかり介護をしておけばアメリカに帰った時楽な生活が待っている、という逃げ道があったからだろう。



3週間ぐらい昼夜関係なく介護をしても大丈夫。



どんなに大変な介護でも、3週間たてば介護は終わる。



姉の場合終わりがなかった。



まとまった期間介護から完全に離れることができる状態は、介護の本質から離れてしまっていたのだろう。



介護のつらさは終わりが見えないことだ。



3週間の期限付き介護が終われば、私は好きな場所(ほとんどの場所は食べ物が関わっているが)に逃げて行ってしまい、介護とは関係のない世界でぬくぬくと過ごすことができるのだ。

逃避場所・丸の内と東京駅のお弁当

逃避場所・サンフランシスコで一人カフェ

逃避場所・Whole Foodsの餅アイスクリーム売り場



そう。誰にも邪魔されずに心からくつろげる場所がない限り、介護は続かない。



親の面倒を見ている兄弟姉妹がいたら、時々完全に逃避できる場所とまとまった時間を提供してあげるのが、親と離れて住む私たちの義務なのかもしれない。


逃避場所・・・

4 件のコメント:

  1. こんにちは。前回匿名で記入しました。
    この逃避についての内容同感です。最近のニュースなどでよく見る介護疲れは深刻だろうとおもいます。逃げ場がない介護は、当事者でなければ、なかなか理解できないかと思います。

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    1. ケイさん、
      そうなんです。介護のつらさは当事者じゃないとなかなか理解できないと思います。介護殺人などの悲しいニュースはこれからもっと増えて行くかもしれません。2018年から介護保険の自己負担額も引き上げられますし、要介護度の低い高齢者は行くところがなくなるのでしょうか。介護離職、介護破産ももっと大きな社会問題になっていくように思います。介護者の心のケアも必要ですよね。

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  2. mikimieさん、おはようございます。確かに介護殺人など最悪の事態を招いた事件をニュースで、読んだりすると心が非常に痛みますね。高齢化社会が急速に進んでいる日本ですから、介護保険も改正されていくんでしょうか。介護者のメンタルヘルスの必要性も課題ですよね。行政とかの問題とかの問題とかはおいといて、mikimieさんの書かれている内容、共感する部分多いです。重たい内容の後に続くおちは、またいいです。まだまだ、お辛い御気持ちあるかもしれませんが、一歩進んでコメント欄開設してくださり、ありがとうございます。

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    1. ケイさん、おはようございます。
      確か2018年から所得に応じてですが、介護保険の自己負担額が2割から3割に引き上げるというニュースを読みました。もう少し調べてみます。アメリカでも施設は高いので家での介護が多いです。日本はこれから超高齢化していくので国民の負担がもっともっと増えていくのでしょうね。日本の高齢化社会、少子化問題、年金問題には世界中が注目しています。
      辛いことではありますが、これから父のことをもっと書いていきたいと思いますのでよろしくお願いします!

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