2016年3月11日金曜日

母が見つからなかった時

高齢者の大半が自宅で最期を迎えたいと希望するそうだ。が、実際には7割以上が病院で亡くなる 。

父の最期はどこになるのか、と思う。勿論自宅で死なせてあげたいけど、それは無理だろう。帰宅しても数分後には病気になりそうだ、不安だ、と自分からホームに帰りたがるのだから。

だとしたら、父はホームで最期を迎えたいのだろうか。選択肢はそれしかないような気がする。ただ父の場合病院にいるのが一番安心できるようだ。病気を一番恐れている父だから、当然といえば当然だろう。が、家族としては自宅が無理なら、せめて住み慣れたホームで死なせてあげたいと思う。

去年はまだ運動をする意欲があった

そして、死に目に会えるかどうか、ということをこの1週間ずっと考えた。父はもう1年もつのだろうか。このところ痩せてきて体重は41キロを切ったようだ。身長は163センチ(縮んだが)。食事もちゃんと摂らないことが増えてきた。姉が訪問しても会話が成立しない。帰る時には、寂しいから帰らないでほしい、と言う。認知症が進行するだけで、まだまだ生きることはできるのだろうか。

日本語のクラスを担当してくれないか、と今日電話がかかってきたが、とにかく今は3ヶ月のクラスを遂行できるかどうか確約できない。5月にまた話すことになったが、全く先が見えない。クラスを引き受けてもいいものかどうか。やはり父が生きている限りいつでも日本に飛べるようにしておいた方が安心だ。

勿論死に目に会えるならそれにこしたことはない。父の最期にはできればそばにいてあげたい、とは思う。でも、やはり会えなくてもそれは仕方ないだろう。繰り返しになるが、死に目に会いたいというのは父のためだけではなく、父が死んだあとの自分のためでもある。生きている間に少しでも穏やかな時間を一緒に過ごしておいてあげたい(とは思うのだが、時々それもむずかしい)。

最期の瞬間、そばにいてあげられなかったとしても、いずれはまたどこかで会えると思いたい。それは天国と呼ばれるところなのか、雲の上なのか、お花畑なのか。呼び方は色々あるだろうが、父とも母とも祖父母とも会えるのだろう。死に目とはその再会の時までのある一つの瞬間であって、それからも家族の歴史は続いていくのかもしれない。

1歳ぐらい?の私を抱いた母

2012年、母の死後1年半たった頃、父は肺炎にかかり生死をさまよった。熱で真っ赤な顔をした父を病室に残し、後ろ髪を引かれる思いで帰宅し洋服を着たまま寝た。

翌朝父は奇跡的に回復し始めた。前の晩母の夢を見たそうだ。母について行こうとしたら、母を見失ったと言う。

うざかったのね、父が