2016年1月7日木曜日

母の編んだセーター

今思うと、よくぞ母を置いてアメリカに行ってしまったものだなあ、と自分でもびっくりするが、母は健康な人となんら変わりがないような錯覚を起こさせる人だった。それでも私が結婚してアメリカに移住してしまった時、母は泣いていたらしい。それからは両親二人だけで住むようになった。

2年後長男が産まれた時、母は本当に嬉しかったのだろう。病院から帰った私のところに電話をかけてきて、「今日から毎日電話するわね。」と言った。孫の話を聞くのがうれしくて仕方ないのだ。孫を見ることもできないのはかわいそうだなあ、と思ったが、母をそんなにも喜ばせることができるのは嬉しかった。この時母は55歳。

長男は手のかかる赤ちゃんで、母にアドバイスを毎日聞いた

母は孫のために毛布やセーターを編んでくれた。目が見えないのによく編めるなあ、と驚くほど母は編み物が上手だった。編み物が楽しくて楽しくて仕方ない、できることが本当に幸せ、と毎日のように言うのだった。父がせっせと毛糸を買いに行き、母は一日中何かを編んでいた。

今、母が編んだものの写真を見て改めてびっくりした。一体どうやってこんな模様編みができたのだろう。






これは父に編んだカーディガン
袖と前身頃に縄編みが入っている
こうして母の幸せな時代が続いた。

下のセーターは奇抜だが一体どういうデザインなのか。どうやら余り糸を使い切る目的で編んだものらしい。

母も主婦だったのね