2016年1月26日火曜日

所有するもの

父を見ていると思う。

人間最期は何も所有しないのだ。死ぬ時には何も持って行けない。

午前中行くと父はいつも暗い部屋で死んだように寝ている

サンフランシスコのマンション(日本式にマンションと呼びます)がやっと竣工した。契約日は2月3日。鍵引き渡しが2月4日。引越しはその週末になるだろう。次男にとっては待ちに待った日だ。このお店のイメージで少しずつ家具を揃え始めた次男は、まずダイニングテーブルを買った、ソファは今日注文した、と次々と写真を送ってくる。

このダイニングテーブルを買ったそうだ

今日注文したソファ
できあがりは5月

次男は私にそっくりで、家具を買ったり模様替えをするのが大好きなのだ。私も10年ほど前までは家具を買うのが好きだった。お店で好みのタイプの家具や雑貨を見つけると、買わずに出るのは至難の技だ。父もそうだった。

特に父は家具の他にも腕時計、置き時計、文房具、万年筆、カメラなどなどなどすさまじいコレクション癖があった。なのに、今父が所有するものは最低限の着るものと補聴器だけだ。自分が時計やカメラを収集していたことさえ覚えていない。

今日のわいわい広場
紅白の玉を持ち、父が『紅上げて、白下げて』という
ゲームの音頭をとる役割を授かったが、今の父にはもうむずかしい
父が固まってしまい、他の入居者も両手が下ろせない状態

26歳の次男が嬉々として家具や食器を買う姿を見ていると、なんだかその若さがうやましくもあり、むなしくもある。次男もいずれわかるのだろう。年を取って所有するものは頭の中にあるもの、つまり知識や思い出だけなのだ。物ではない。

だから今日はつくづく思う。家族や友人との時間を大事にするべし。

そしてうまいものを食うべし