2015年6月9日火曜日

父のメモ帳

最近の父は、何かを食べているかのように口を四六時中動かしている。



かろうじて娘はわかるのだが、娘がどこに住んでいるかはわからなくなっている。

今日は曇り空だが涼しかった


あんたはどこから来たん?今どこに住んどるんかの?と聞く。



「サンフランシスコ」と言うと、へえええ!そんな遠いところから来たんか、と目を丸くする。



そして10秒後には同じ質問をする。



母の死も覚えていない。



だから一緒に歌をうたったり、戦争中の話をする。



これは覚えているのだ。

ホームの玄関にあった花火のような紫陽花
三室戸寺の紫陽花よりもきれい


1時間から1時間半ぐらい話をして帰ることにしている。



が、帰るのは一苦労だ。



父はもっといてほしい、と顔をくしゃくしゃにして懇願する。



それがうっとうしくてたまらない。



父のためにアメリカに家族を置いて日本に来て、1日おきに父を訪問するのにと思うとイライラする。



そして父のホームに行ってない時は、父の家の修理のために業者に連絡したり、工事を見守ったりする。



自分の家でもないのに、と思うと怒りの感情がわいてくる。



この汚い家を掃除するためにサンノゼの家族は、当番制で夕食を毎日作っているのだ。

今日は時計がたくさん出てきた

録音機もたくさん出てきた



それでも整理しているうちに悲しくなる。



父がついこの前までは認知症の症状もなく、普通に話せていたのにと思うと寂しい。




今日出てきたこの本。



2009年にはこの本を買って読む理解力があったのだ。



アルツハイマーの症状に気がついたのは2010年2月。



少しずつ進行したが、この2013年2月のメモ帳には毎日かなり記録している。



このページには、こう書いてある。



『1階の催し場へA(姉の名前)と色鉛筆XX(不明、多分色鉛筆教室のこと)前回はうまく行かず逃げ腰だったが、やってみると予想以上の成果が出た』



次は2013年8月。



『右耳このところ変。近くの病院休みでT病院まで行った。行って良かった。いろいろな治療が有効』とある。



今の父からは考えられない。



2年前は、ちゃんと日記を書くことができていたことにびっくりする。




今は ペンを持つということすらしない。あんなに一日中メモばかりしていたのに。

2014年の手帳を父が開くことは一度もなかった

来年の今頃は娘のこともわからないのだろう。



それまでにやっぱり、父ともっともっと会話しておいてあげるべきなのかもしれない。

銀行の封筒も数枚出てきた
一瞬期待するのは、皆さん同じですか?