2015年3月31日火曜日

そろそろ帰国

長男が夕食に作ってくれた、とお料理の写真が夫から送られてきた。揚げそばのようだ。

長男が時々夕食を作る

日本に来る時いつも気になるのが、私が留守の間の夫と長男の食事だ。それでも長男だってもう28歳。もう子供がいてもいいくらいの年齢だ。自分でなんでもテイクアウトできるのだし、母親がいなくてもなんら問題はない。なのに、子供のことはいつまでも気になるのが母心なのだ。

頻繁に日米往復をし始めたのは10年ちょっと前ぐらいだ。長男が大学生、次男は高校生の時だった。それまでにも母が入院した時などは介護のために日本に帰っていたが、それでも今ほど頻繁ではなかった。

子供が小さい時だったらさぞかしつらかっただろうな、と思う。親のことは助けたい。でも、子供にも手がかかる。板挟みになって苦しかっただろう。高校生を置いて日本に来ることでさえつらかった。真夏の介護で体調を崩しながら、それでも年取った両親のことを考えると2ヶ月日本に滞在せざるをえない時もあった。そんな時、子供たちのことを考えると毎日せつなかった。アメリカに残した家族は毎日何を食べているのだろう、と心配でたまらない。

これは2010年のクリスマス

今の状態があと何年続くのだろうか、と毎日のように考える。それでも父が死んでしまうのはさぞつらいことだろうな、と思う。今日はお昼過ぎにホームに行くと、父はベットに横になっていた。午前中わいわい広場に行った、ということだ。数分前のことが覚えていられない父なのに、そのことを何度も繰り返す。2分おきに『今日はわいわい広場に行った。』とまるで初めて言うかのように繰り返すのだ。よほど楽しいイベントだったのだろう。

起き上がった父はとても痩せていた


1時間ほど父と戦争 の話をしていたら、お風呂の時間になった。スタッフが迎えに来る。歩行器を押しながらお風呂に歩いて行く父の後ろ姿を見ると、せつない。背中が曲がってしまっている。2年前にはしっかり歩けていたのに。

バックを持った私を見て父は「もう帰る?ありがとう!」と大きな声で言う。お風呂場に入って行きながら何度も「ありがとう!ありがとう!」と繰り返している。今日はスンナリ帰ることができそうだ。

背中の曲がった父は大きな声で「ありがとう」を繰り返した


金曜日には京都を出るので、明後日ホームに行き父に会うのが最後になる。次回京都に帰ってくるのは5月の終わり。7週間後だ。91歳の父にまた会えるとは限らない。何が突然あってもおかしくないのだ。

JRの線路横の父のホーム

京都を出る日はいつも、京都駅に向かう電車の中から父のホームの方角を見ることができない。