2015年3月21日土曜日

親の気持ち

さて、奈良から帰ってきた二人は色々なお土産を見せてくれた。いかにも外国人が買いそうなお数珠、手ぬぐい、東大寺の仏像のレプリカなどなど。とにかく毎日が楽しくて楽しくて、サンフランシスコなんか本当につまらない、などと言う。

日本では道を歩いていても、10メートルごとに食べ物が買えるという印象を持ったらしい。それもちょっとした食事に代わるような食べ物。おいしいパン、ポテト、アイスクリーム、お惣菜などが簡単に手に入る。アメリカなんて何も楽しいことがないそうだ。

アプと遊ぶ二人

二人は毎年日本に来ることにした。毎月そのために貯金すれば不可能ではないと思う、と言う。学生ローンの支払いについてはどうなったのか、と思ったが水を差すようなことは言わないことにした。今の時点では。

4時過ぎの電車で父のホームに向かった。今日の父は少し悲しげで機嫌があまり良くない。退屈なのだ。孫が来たことで気持ちがどんどんほぐれていくのがわかる。次男とマリーも父の冗談に笑い続ける。次男がマリーに、おじいちゃんは昔からユーモアのある人だった、いつもおもしろいことばかり言ってた、と説明している。


父がする戦争の話を、次男たちがとても興味を持って聞いている。アメリカでは日本人のサイドからの体験談を聞くことがない。戦争を体験した日本人の話をもっと詳しく聞きたいと言う。父が軍国主義の時代の日本について話すと、真剣に二人が聞いている。7年前に日本に来た時の次男にとって、おじいちゃんの存在に余り注意を払っているようには見なかった。

ところが、今の次男は父を大切な自分の祖父として見ているのがわかる。また来年来るから、と言う次男に、父は『もう来年は生きていないかもしれない。』と笑う。おじいちゃんは多分100歳過ぎてもまだ生きているはず、自分の子供が生まれる頃もまだ生きているだろう、と次男が言いながら父と握手をしてホームを出た。

帰り道に寄った猫カフェ

今回の旅では、次男の成長した姿を垣間見ることも多かった。日曜日に次男とマリーがカリフォルニアに帰ってしまうことを考えると寂しくてたまらない。空港まで送って行ったら泣いてしまいそうだ。カリフォルニアでは毎週のように会っているのに。

子供たちが小さい頃、毎年夏休みには3人で日本に帰ったが、私たちが去ったあと両親はさぞかし寂しかっただろうな、とアメリカに嫁いだ親不孝を考えた。

「帰りたくない。」と泣き顔を作るマリー
毎日エアコンを23度に設定し、床暖もつけて常夏状態
電気代が怖い

いや、もしかしたら台風が去ったあとの静けさにホッとしていたのかもしれない。