2014年11月25日火曜日

崩壊

日本からサンノゼに帰ってほぼ1週間。1週間前私の世界はパーフェクトだった。

サンフランシスコ空港はいいお天気。日本は寒かったがベイエリアは青空が広がっている。空港から直接サンフランシスコで働いている次男の会社に行き、ランチを一緒に食べた。次男は職場の環境に大満足だ。来年完成のコンドーの話をして、将来への夢に満ちあふれている。
次男の職場は自由な雰囲気が魅力的だ

社食は無料
帰宅すると家は片付いている。夜仕事を終えて帰宅した長男は、私が日本から買って帰って来た天むすとカツサンドをおいしそうに食べながら、ジャイアンツの話をする。夫は全てにおいて許容的で文句というものを言わない。

友人Mは豚まんを持って来てくれるし、友人Yも一刻も早く会っておしゃべりしたい、と言ってくれる。決して友人の数は多くないが、もう長いこと付き合っていてお互いに信頼している。お金持ちではないが日々の生活に困ることもない。幸せだ。

なのに、その翌日から世界が崩壊し始めた。これからどうやって残りの人生を生きていけばいいのかわからない。むなしくてむなしくて仕方ない。心の中にぽっかりと大きな穴が開いてしまったようで、文字通り胸が痛むのだ。

サンタナロー
あちこちにクリスマスツリーがある
コンドーが完成したら頭金のことで不安になるだろう。夫とも喧嘩するかもしれない。コンドーを買うんじゃなかった。

長男の仕事はうまく行っているとは言えない。シリコンバレーは住みにくいから、オースティン(テキサス)に引っ越すと言っている。

次男は仕事に満足しているが、会社自体は株価もどん底で今後存続できるのか、という状態だ。

父のアルツハイマーも進行して、もう1年生きているのかどうかわからない。いずれも新しい出来事ではない。この状態はずっと同じで先週から何も変化はない。なのに、先週はポジティブだった気分が、一気に暗転して自分でもうつ病なのだろうか、と思うほど何もかもが悲しくて仕方ない。

とてもきれいな飾り付け

日本では父の世話という仕事がある。ホームに行くとものすごく暗い気持ちになるが、それでも父の役に立っているという達成感があるのだ。ところがこちらに帰って来ると、誰かの役に立っているという満足感が全くない。週末家に帰っていた次男にその話をしたら、真剣な顔で聞いている。

"What's left for me?"「この先私の人生に(いいことが)何か残っているの?」と次男に聞いた。次男は間髪入れずに "grandchild" と言う。う〜ん、それは考えられない、と私が言うと "dog?" とのこと。いや、それもナシ。姪のアプだけで充分。

今朝もやはり重苦しい気分だったので、映画を観に行くことにした。このところ観たいと思っていたThe Theory of Everythingだ。これは大学院生の時筋萎縮性側索硬化症にかかり、車椅子で生活する理論物理学者スティーブン・ホーキングの人生についての映画だ。今サンタナローで上映している。一人で映画館に行くのは初めてだが、友人たちは皆仕事をしていて平日は忙しい。寂しいけど勇気を出して一人で行くと、映画館は殆どが一人で来た人ばかりだ。

映画はおもしろかった。スティーブン・ホーキングはすばらしいユーモアのセンスを持つ魅力的な人物だ。この映画は彼の前妻の書いた本に基づいて作られたものだ。前妻がホーキングと離婚して他の男性と結婚したことへの言い訳として書かれたのか、とも思える部分が多いがまあいいだろう。

久しぶりのピーツ

映画館の前にあるピーツに入り、興味深いホーキングについて調べてみた。彼は名言をたくさん残している。その中の一つにあった子供たちへの言葉。やはりこれか。『仕事を絶対あきらめてはいけない。仕事は目的と意義を与えてくれる。それがなくなると人生は空っぽだ。』

結局毎回同じ結論に辿り着く。仕事をしていないということは自己評価が落ちてしまうのだ。自分の存在意義がないように感じてしまうんだよなあ、と考えながら友人からのメールを開ける。友人Yと私が好きなブランドのコートがセールになっている、と言うメールだ。ほしい!とアドレナリンがブンブン出る。しかし、と考える。ピーツのWiFiでクレジットカード情報を入力するのははばかられる。よし、帰宅してからすぐ注文しよう。なんだか幸せになった。

ところが帰ってコートのサイトを見たら、もう私のサイズがなかった。セールになるとあっという間に売り切れるのだ。

ほしかったコート

世界は完全に崩壊した。