2014年8月16日土曜日

逆境

父が口癖のように言っていたのは、いつまた貧乏になっても平気だということだ。何度もどん底を経験している、お金はなくても大丈夫だから、年金はあんたたち(姉と私)が必要なことに使いなさい。何も残してくれなくていい、といまだに言う。とはいっても介護年数が長く、仕事を余りしなかった父の年金はとても少ない。

それでも母が生きていた頃は、お金を払えば母の病気を治せる日が来るかもしれない、と少しずつお金を貯めていた。が、もうそれも必要ないし、自分ももう何もいらないとついこの前まで言っていた。今は母の死も記憶から抜け落ち始めている。


2年前のメモ魔だった父の手帳

今年の手帳は全ページ空白

終戦記念日の昨日、ヤフーのニュースを読んで泣けた。今こうして書いているだけで涙が出る。それは日中戦争や太平洋戦争で亡くなった軍人・軍属230万人のうち、約6割が餓死した可能性があるというというニュースだった。それも政府の無謀な作戦が原因らしい。

多分殆どが18歳から20代の青年だったのだろう。親もどんなにか無念だっただろう。そんな時代を生き抜いた父の世代は強いと思う。

父の今の全財産は洋服数枚と身の回りのものだけ
それを思うといつもかわいそうになる
祖父(父の父)はそうめん会社というかそうめん工場を経営していたが博打好きで、ある日全財産を花札に賭けた。そして全てを失った。工場、家、家財道具、祖母の指輪までなくしてしまった。子供だった父はその翌日、隣にあった鶏舎に移った。鶏舎に家族7人が住めるほどだったのだから、大きな建物ではあったらしい。

ホームの夕食
祖父は他の仕事を始めて、数年後には極貧から抜け出したようだが、父はそういうルーツを持っているので逆境には強い。今の父が逆境にいるとは思わない。父にとっては一番安心できるホームにいるのだし、娘が毎日通って来る。父が不安定になる午後はスタッフが一緒に運動をすること、作業療法士が今の週2回のリハビリとマッサージを、これから週3回に増やすことも話し合ってくれている。

来年の送り火の頃、父は生きているのだろうか。認知症が進行して桃源郷で生きているのだろうか。それともまだまだ不安症状などが出ることもあるのだろうか。父が桃源郷に行く前にもっともっと話をして、もっともっとおいしいものを食べさせてあげたいと思う。戦争を体験した父に、最後は幸せだと感じさせてあげたい。

逆境を経験していない息子たちにも、戦争体験世代が培った強さを持ってほしいといつも思う。

さて、自分の一番の逆境を考えると・・・

昔から太い腕