2014年1月27日月曜日

2つの教訓

京都での最後の1週間はつらかった。余りの寒さに体調が不安定で冷えのぼせも頻繁に起きて、頭が充血しているような状態だった。ここまで寒い時に日本に来るのは無謀なのではないか、と何度も思った。が、やはり父のためにはお正月前後に帰ってあげたい。

近所のスーパーいずみやのおはぎが父の一番の好物
これ、本当にどこのおはぎよりもおいしい
 今回は成田からのフライトだ。いつも京都からは11時過ぎの新大阪発のぞみで出るが、今回は少しでもアプと一緒に過ごしてあげたかったので、1時過ぎののぞみにした。新幹線で食べるお弁当は旅の楽しみ。

宅配便集荷を待っていスーツケース
が、12時を過ぎるていたのでおいしいお弁当は全て売り切れてしまっていた。泉仙の六角弁当にしようかと思ったが、やはり違うものを試そう、と根菜のたくさん入っている680円のお弁当を買ってみた。大失敗。天ぷらはまずい。お弁当の多くが芋類。結局半分残してしまった。

教訓1
弁当はいつも同じものを買え!

もしかしたら富士山が見えないかもしれないので、関ヶ原で雪山を撮る
新幹線の中ではやっぱり顔がほてってつらかった。270円の抹茶アイスクリームを買って首筋にあてて冷やす。これがおいしかった。


きれいでした


東京は京都より暖かかったが、やはりサンノゼの気候に慣れた身体にはつらい。東京駅周辺も銀座周辺も寒々とした感じ。が、いずれ一年のうち気候の温暖な時は東京に住みたいといつも思う。


ホテルの部屋に入るとやはり冷えのぼせで、顔が真っ赤になる。新幹線で真っ赤、外に出て寒く部屋でまたのぼせ、と変化が激しい。閉め切ったホテルの部屋はつらいなあと苦しい夜を過ごす。

朝も余り胃の調子が良くない。が、せっかくだから朝食ビュッフェに行くことにした。野菜を中心に軽く食べる。結局卵とライ麦パンは残す。

ビュッフェでこれだけというのは
もったいないよなあ
それにしてもビュッフェで一人の朝食は寂しい
が、体調が安定していないので友人を誘うこともためらわれる

空港リムジンで成田に向かう
さて、今回は成田空港にスーツケースを送る代わりにホテルに送った。銀座で買ったお土産を詰めてスーツケースを持ってみる。これだけで23㌔を超えているかどうかわかるようになった。空港で秤に置くと22㌔だった。もう少し詰めさせてください、と長男に買ったおにぎりやお饅頭を秤の上で詰める。

最終的には23.1㌔
そして嬉しいことが。カウンターのUA係員に年間のエコノミープラス席のことを聞いてみた。699㌦で1年間有効ですよね。そちらを買ったとしたら、今日の座席代は129㌦は払い戻しされるんですか、と。

係員は年間パスのことは知らなかった。だからそれには答えられない。ただ今日のは好意で払い戻しします。そのあと年間パスは購入するかどうか考えてみたらどうですか、ということ。129㌦のクレジットをくれた。嬉しい!

日本での搭乗はグループごとに1〜5までに列が分かれていた

今日の夕食は鮭の南蛮漬けのようなのがメイン
 
これがおいしかったので魚とサラダを完食
朝食はいつものオムレツ、ソーセージ、ハッシュブラウン
オムレツと紅茶だけにした


それにしてもサンノゼは暖かかった。20度を超えている。長袖Tシャツで充分だ。が、空港を出た所で化粧ポーチを飛行機の座席に忘れて来たことに気がついた。3000円の日焼け止めと3200円のリップクリームは新品。他にも色々と入っていたので損失は1万円以上。大ショック。

教訓2
飛行機を降りた時のために化粧直しをするな。
誰も見てへんがな!

2014年1月20日月曜日

冷えのぼせ日記

1月18日土曜日

このところ『冷えのぼせ』症状がひどくなってしまった。ホームの父の部屋、伊勢丹、カフェなどなど暖房が効いていて天井の低い所に入ると、顔が真っ赤になる。真っ赤になるだけならいいが、同時に頭が爆発しそうな、前頭葉がツンツンした感じというか、わけがわからん、といった状態になる。心臓が痛くなる。

最近の必需品
5本指ソックスと
冷え取り君(足湯器)
これは危険かもしれない、と感じる。そのうちどんどん具合が悪くなり呼吸が苦しくなってくる。大体が寒い所からこうした暖房の強い場所に入ると感じるから、気分が悪くなったら外に出るしかない。もしかして気のせいなのかもしれない、父と同じように不安が高じて身体に出てしまうのだろうか、と思ったりもする。

昔なじみの場所は
くつろげるらしい
が、今日は父を補聴器センターに連れて行かないといけない。四条烏丸にあるこのお店までの道のり、父は耐えられるのか。補聴器センターでは時間がかかるだろうから、文句を言い続けるのではないだろうか。などなど考えると面倒だが、この前の夜用補聴器修理事件で懲りたので、昼用も早く作っておきたい。

車が補聴器センターに近づくと、父は四条通りは左に曲がって最初の道を右に曲がらないと、一方通行で行かれない、などなど運転している姉に指示する。やはり何度も通った場所だから、よく覚えているらしい。

耳栓を作るために型を取る
父は補聴器センターが懐かしかったのか文句を言うこともなく、長いテスト時間にも耐えた。結局新しい補聴器と耳栓部分で22万円也を注文する。このところ眼鏡を作っても使わない父が、果たしてこの新しい補聴器を使うのだろうか。

ホームに帰って車椅子に座る直前に父はバランスを崩して、隣にある車椅子で頭を打つ。オロナインを塗ってあげて帰ることにした。そのことを心配して夜また来てくれと電話がかかって来るのではないか、と思ったがかからず。


1月19日日曜日

朝起きて外を見たら雪が積もっていた。このところの寒さがつらくてたまらない。父が死んだあとこの家を片付けたら、二度と京都には戻って来ない、と心に誓う。


父のことを思い出すのはつらい。それに、ここ数年の夏の暑さと冬の寒さで体調を崩すことが多くなった。温暖なサンノゼから厳しい気候の京都に身体が順応できなくなってしまっている。

伏見稲荷、銀閣寺、南禅寺、東福寺などなど美しいとは思うが、お寺を見るために帰って来なくても不幸だとは感じないだろう。などと余りの寒さに少しいじける。

御池のカフェにランチを食べに行くが、やはり食べ終わる頃にはのぼせてしまって苦しい。家に帰ることにした。2時にドッグトレーナーが来る予定なのだ。今日は2度目のレッスンだが、前回のレッスンのことは姉から様子を聞いただけだ。感動するほどアプがいい子だった、ということとトレーナーの女の子がかわいい、ということ。

トレーナーは1時55分に来た。姉が言う通りかわいい。なんとも言えずかわいい。男の子と見まがうほどボーイッシュで、声も低いが素直そうであっさりした顔ですぐ気に入った。トレーニングもうまくて性格が良さそうで、こういう子がうちの息子の嫁になってくれたらなあ、などと思う。

アプとの生活で一番気になるのは、横で何かを食べるとほしがるので、アプのいない所で食べないといけないことだ。アプと一緒にテレビを見ながらおやつを食べたりしたい。それに、アプのスペースに入ろうとすると、アプは柵の内側でぴょんぴょん跳ぶのでやめさせたい。食べ物を持つ手を襲うのも困る。

トレーナーは教えてくれる。まずアプのスペースに入る時、柵のゲート部分を開けながらアプの顔をじっと見る。アイコンタクトをしてアプが跳びはねている時は決して中に入らない。アプがオスワリかフセをした状態になったら初めて入る。そんなことができるのか。

トレーナーが試すとアプはフセをして待つ。こんな賢そうな表情のアプを見たのは初めてだ。


次はアプの隣に座ってあられを食べる練習。アプはほしがってまとわりつくが、その時手ではらったり、ダメと言ったりしてはいけない。ただただ無視すること。不思議や不思議。アプがすぐ理解してほしがるそぶりをやめて、姉の膝の上でちゃんとおとなしく待つようになった。すごい!

姉の左手にはあられが載っている
が、アプは『それが何か?』という表情をする

来週の木曜日、トレーナーに10時間預けて社会性を身につける、などの訓練をしてもらうことにした。それがうまくいけば週2ぐらいで預けて訓練してもらう可能性も話す。レッスンのあとアプは延々と寝る。どうも疲れたらしい。

それにしてもレッスン中足が冷えて顔がのぼせ始めた。立っているのもつらい。めまいもするし体調の悪さがピークという感じ。このまま心筋梗塞か脳梗塞でも起こすのではないか、と本当に不安。夜は父の所に行く元気もなかった。姉が6時半頃行く。父は穏やか。


1月20日月曜日

朝から足湯をする。やはり体調が悪い。体調が悪い▷日本で病気になるかもしれない▷保険がないので、ちゃんとした治療を受けられないかもしれない▷アメリカに帰れないかもしれない、というような構図がいつも頭にある。精神的なものなのかもしれない、とまた不安になる。本当に体調が悪いのだろうか。頭の中だけで起きていることなのか。

今朝は氷点下3度だ。トイレに行くのも寒い。玄米餅で作ったお雑煮を食べる。とにかくだるい。今日から新しい試みをすることにした。父の所に早めの時間帯に行くのだ。3時頃ならまだ明るいからホームまで歩いて往復できる。冷えのぼせは下半身の血流が悪いことが原因なのだから、足腰を鍛えないといけない。

3時過ぎにホームに行くと、父が食堂に座っていた。スタッフの話では、新しい先生のリハビリを受けている最中に、娘に来てほしいと言い始めて先生を拒絶したようだ。松本先生のように、おしゃべりをしながら父をリラックスさせる、ということができない人なのだろう。無理もない。父はむずかしいのだ。


部屋に一緒に帰り、和菓子とお茶でリラックスさせる。アルツハイマーは運動しながら脳トレをすれば防げる、という新しい知識を父に伝えて一緒に運動する。そして100から7をひかせる。父は93、86、69、と3つ目で間違う。これはなかなかむずかしいのだ。自分の中で7ずつひいていかないといけないのだから。100から7をひくと93。では93から7をひくと答えは?というように数字をリピートしてはいけない。100から7ひいて、次はその答えから7ひいて、またその答えから7ひいて、とリードしていかないといけない。

では次に野菜の名前を覚えているだけ言ってください、という問題を出す。確か1年前父は20ぐらいすぐ言えたはずだ。が、今日は「白菜、きゅうり、なす」で詰まる。その後「つつじ、椿」などと言う。やはりアルツハイマーが進行したのだろうか。

1時間半父とおしゃべりしたあと、スタッフに夜の着替えと補聴器交換の確認をお願いします、と頼んで帰ることにする。

そういえば、今日の午後突然暖かくなったせいか、体調が一気に良くなったのを感じる。良かった。気のせいではなかったのだ。やはり寒さに身体がついて行けなかっただけなのだ、と安心する。喉元過ぎればなんとやら、で安心してしまわず、これからは足腰を鍛えるために運動しよう。

本日のささやかな贅沢
マクドナルドのカプチーノ
190円也

2014年1月16日木曜日

仁和寺

昨日は森先生の診察のあと一緒にホームに戻って昼食のあと、しばらく父が喜びそうな話をしてみた。父は義理の息子(つまり私の夫)が大好きなのである。多分日本語ができる男だったら息子のあらを見つけて文句を言ったかもしれない。が、義理の息子は英語しかしゃべれない。だから、父のお気に入りなのだ。

父は義理の息子が大金持ちだと思っている。何故なら娘が何度も日米往復できる財力があると思っているからだ。日米往復はマイレージを使うことが殆どだし、別にお金持ちではない。決してない。が、父はそう思うことでとても幸せらしい。だからそう思わせておくことにしておく。

そんな話をしていると父はドーパミンが出始めて顔が輝く。夜父と会話すると疲れているせいか、このところ余り話がはずまなかった。が、昨日は違う。森先生の所に行って話したことで、少し覚醒したのかもしれない。

夫は今年の春に日本に来る予定だ。どこに連れて行こうかと父に聞いてみる。仁和寺がいい、と父が言う。

父は思い出す。仁和寺に行って桜を見た時びっくりした。池のほとりに咲く御室桜の美しさを見て、天下に及ぶものなし、と思ったと言う。自分も一緒に行きたいとまで言う。

仁和寺は紅葉もいいですがね
1時間ほど話したあと帰ることにした。父に、今晩は来なくていいか、と聞いてみる。勿論いい、と明るく応える父に、明日の夜また来ると言いながら帰ることにした。スタッフの二人にも頼んでおく。毎晩来るという習慣を変えたいので、今日は夜来ません、何かあったら連絡ください、と。

スタッフは、明るい顔で大丈夫ですよ、頑張ります!と言ってくれた。が、十中八九無理だろうな、と思った。

案の定夜7時半にスタッフから電話があった。やはり少し興奮した父の声が背後から聞こえる。スタッフに、どうしても今日中に娘に伝えたいことがある、家族内のことなので娘が来ないと伝えられない、と言っているらしい。姉が行くことになった。

姉が着く頃には父は穏やかになっていたらしい。一日でもホームに家族が行かずにすむ、という日が作れるようになるのだろうか。それともこれから事態は悪化するばかりで、そんなことは望めないのだろうか。

ところで仁和寺って池あった?

2014年1月15日水曜日

冬眠

父の混乱はひどくなっていく一方だ。果たして補聴器がしばらくなかったことが原因なのか、それともアルツハイマーが進行していってるのか。

夕べいつも通り6時頃ホームに行くと、父は険しい顔をしてベットに座っていた。いつもならベットに座って寝ているか、食堂でうつむいて座っている頃だ。目を剥いて父が訴える。スタッフに夕食を部屋で食べたいと言ったが食べさせてくれない、と。

実は父の部屋に入る前にスタッフから報告があったのだ。お昼前に父が自分の部屋で排便をして、それをゴミ袋に入れてスタッフのもとに持って来たということ。それがボケによるものか、あるいは間に合わなかったのかはわからない。勿論日中はいつものように風邪をひいた、鼻が詰まる、と何度も訴えて看護師さんに看てもらったらしい。


昨日はわいわい広場がある日なので、朝9時半頃ホームに行って父を誘ったのだが、父は今日は絶対に行かないと言い張る。行くと具合が悪くなる、今日だけは行かないと絶対に譲らない。行って座って見るだけにしたら?と言っても頑として行かない。あきらめて一度家に帰ったのだ。その時も父はぼんやりした表情だった。

とにかく部屋に夕食を持って来て食べることにした。目には生気がなくただただ咀嚼している。排便のことは覚えていて、間に合わなかったので部屋でした、と言うのだが。父の好きな話をしても一瞬目が輝くが持続しない。話に乗って来ない。おやつを食べて着替えを手伝う。補聴器の交換がすんだところで帰ることにした。が、父はこのベットでこのまま寝ればいいのか、と何度も何度も確認する。もう5分一緒にいてほしい、と半泣きのような顔で言う。


が、もう私の中ではイライラが極限状態で1秒たりとも父のそばにいるのがむずかしい。もう遅いから帰ると言うと、父は「どうしてそういう冷たいことを言うんかなあ。」と険しい表情をする。その言葉にキレそうになる。明日は朝森先生の受診があるから、朝来ると言い残して帰った。



今朝は9時に家を出て森先生の病院に行って診察券を入れておくことにした。父が10時少し過ぎた頃ホームのスタッフと看護師に付き添われて来た。待合室で待ち始めた途端、時間がかかるなあ、何番目かちょっと調べてほしいと言い始める。この父のわがままにスタッフや看護師もよく付き合ってくれるなあ、と思う。他の患者が二人呼ばれたがまだ到着していないのだろう。その二人をとばして父が呼ばれた。待ち時間は10分もなかった。

森先生はまず父に首が痛くありませんか、と聞く。父は目を輝かせてちょっと痛いですが大丈夫です、と応える。この父の様子は昨日までのぼんやりした父とは別人だ。なじみのある人とコミュニケーションを取るのが嬉しいのだ。父は孤独なのだ。自分に関心を示してくれる人がいると嬉しいのだ。

スタッフから報告がある。鼻づまりや風邪の症状を訴えることが多い、それは看護師が対応しています、ということ。森先生はスタッフを見て「どうですか、首は以前より俯いていますか。」と聞く。スタッフがそうは思わない、毎夕ストレッチをしてもらっています、と応える。

「ストレッチは一日一回ではなく、頻繁にしてあげてください。それがコミュニケーションを取るということにもなります。」と先生が言う。さすがだ。父に必要なのはコミュニケーションだということが先生にはわかっている。鼻づまりや風邪の症状を頻繁に訴えるのも、他にすることがないからだ。だから自分の不調のことばかりを考える。そのことが先生にはわかっているのだ。

ここで先生に「ちょっといいですか?」と聞いて家族から見たこのところの父の症状を伝えた。ぼんやりしていることが多い。びっくりするようなことも起きた。自分に兄がいるような発言をスタッフにしたこと、昨日の排便事件、ベットや補聴器に関しての混乱。

そして最近起きた出来事。補聴器が壊れてしまったこと、松本先生の訪問リハビリがなくなったこと。


先生の診断。鼻づまりとか風邪を訴えるのは元々の性格である神経的脅迫的こだわり、敏感さで父の父らしさ。

認知機能が落ちたのは一時的なものなのか、認知症が進行しているのか、の見極めが必要。

そろばんを一緒にしてみようと
誘ったが、父は興味なし
去年は幻覚が焦点になって、薬の有効性と副作用が問題になった。もし認知機能が低下し始めると、今までしていたことができなくなる、生活しづらくなる、そこから来る混乱や困惑が問題になる。問題の質が去年とは変わって来るから対応も変わる。

認知機能の低下は薬で取り除くことはできないので、例えば補聴器の交換など自分でどこまでやってもらうか、こちらでどこまでするか、という生活の組み立て直しが必要になっていく。

寒くなったのでそういった環境の変化で一時的に認知機能が低下したのか。つまり寒い時冬眠するように意識の清明さ、活性度が下がっているので、認知機能も低下したのか。その場合は活動性がまた復帰すれば認知機能はまた上がる。

そうではなく認知症が進行して認知機能が低下がしたのであれば、生活を組み替えて行く必要がある。その見極めが今回の課題です。次回までみていただいて答えを出して行きましょう。

いつもながらの明快な診断だった。さて父は冬眠中なのかどうか。答えが出せるよう一層気をつけて観察しなければ。

待合室に貼ってあったポスター
お電話してもいいでしょうか

2014年1月13日月曜日

トリミング

3連休最後の日は寒かった。最高気温は6度ぐらいらしいが、曇っていて体感温度が低い。廊下にある父の書類を整理したいのだが、廊下には暖房がないのでつい一日延ばしになってしまう。


まずは御池ランチ。昨日行ったところなのだが、今日もこことで新たなメニューを試してみたい、という姉の要望で30分かけて行く。この辺りはジョギングをする人、犬の散歩をする人、夫婦で手をつないで歩いている人たちを多く見る。

今日のランチは野菜たっぷりの
ランチのあと犬と一緒に行けるカフェとトリミングをしてくれる犬の美容室を見に行った。アプもそろそろ爪が伸びたことだし、連れて行こうということになる。アプはまだ5ヶ月なので、軽く揃えるだけ。

BEFORE
AFTER

先客のバグ犬を恐れて隅っこで固まっているアプ

トリミングが終わりお母ちゃん(姉)を待つアプ

トリミングを待つ間はいつもの龍馬の銅像の見えるカフェで和菓子とお茶で時間を潰す。どうしても話は父のことになる。去年の末まで松本先生というリハビリの先生が週に2度来てくれていて、父はその先生のことが大好きだった。松本先生は父と友だち、という態度で接してくれていたので、父も先生のことをダチと呼んでいた。


先生は父が認知症の進んだ人たちの中にいて、どんなに孤独かよくわかってくれていて、色々なことを話して父をリラックスさせてくれたのだ。今のホームではこの松本先生と園長だけが頼りだった。が、松本先生は近所で鍼灸院を開業したので、今年からホームのかかりつけのリハビリ師ではなくなってしまった。これがどんなに痛手か。

この2、3日父の認知症が進行したように見えるのは、松本先生と話すことがなくなったからではないか、と思ったりもする。松本先生は10月に『これはまだ秘密だけど』と話してくれた。今年いっぱいでホームで働くのを辞めて開業する。が、父のことはずっと助けてあげたい。幸いにも父は特定疾患の認定があるので、ホームに通って父のリハビリをすることは可能だし、そのつもりだということだった。

今の目標は松本先生にまた父の所に通ってもらうことだ。が、それはホーム側に拒否されている。そのためにはこれから相談員とも話し合いを続けないといけないだろう。そんなことを考え始めるとホームに行くのが憂鬱になる。寒い。足が冷える。体調を崩しそうだ。じわじわと忍び寄って来るストレスで突然死するかもしれない。

その場合、財産はアプに遺す・・・

2014年1月12日日曜日

静かに追い詰められる

3連休の中日。伏見稲荷大社に初詣に行くことを決める。まずは御池にあるカフェにランチに行く。カフェの横に桜が咲いているのを発見。これは12月から2月に人の目を和ませようとけなげに咲いているかわいい奴で、御池桜と命名されたと説明書きがついている。



そのあとまた家まで帰ってからJRに乗り稲荷駅で降りる。かなりの人ごみだ。今まで何度か行ったがいつも人は少ない。千本鳥居をくぐりながら歩いて行くのも余りの人で進めない。時間をかけて登って行ったが段々勾配がキツくなって来た所でやめて引き返す。

竹の鳥居もあった
帰り道は人の少ない道を選んで降りる。こちらはひなびた感じでなかなかおもむきがある。が、下まで降りた時点で手足が宙に浮いているような、めまいを感じる。歩けなくなって座ってお茶を飲むが気分が悪い。




家に着いた時には具合が悪くなってしまい、お布団に入って寝ることにした。が、姉の携帯が鳴っているのが聞こえる。ホームの看護師さんからの電話だ。

父が風邪をひいたらしい、と不安を訴えているということだ。電話してもらっても一体どうすればいいのだ。『医者の診察は受けました。問題はありません。でも不安を訴えられています。娘さんに来てほしいとおっしゃっています。』

夕べ父はテレビのリモコンを
認識できなかった
カラオケのマイクと思ったらしい
毎度おなじみの父の不安だ。他にすることがないから不安感が増して来るのだ。が、相談員や看護師さんは電話をしてくる。毎晩6時には行って父の世話をするのだ。これ以上どうすればいいのだ。ホームのスタッフもいい加減学習して、『娘さんは夕方には来られますよ、大丈夫ですよ』と何故言ってくれないのか。そして父に必要なのは気分転換だけなのだ。

姉に行ってもらうことにした。が、姉はなかなか帰って来ない。何か問題が起きたのか、と考えていると気分が悪くなって来た。追い詰められているのだ。家にいてもくつろげないからだ。いつ何で電話がかかってくるかわからない。ストレスがひたひたと近づいて来ていたのだ。

結局姉が遅くなったのは、父の補聴器を夜用のに替えようと思ったのに見つからなかったからだ。スタッフに聞いても知らないということ。スタッフと部屋中を探した。ゴミ箱の中にもない。諦めて昼用のをして寝たら?と父に言うと父はすんなりと受け入れた。

一応まだトイレには
一人で行けるが

が、帰ろうとした時に実はスタッフが預かっていたとわかった。結局また父の部屋に戻って夜用のに交換させているうちに遅くなったのだ。

夜お風呂に入りながら、Count your Blessingsという言葉を思い出す。つらいことよりも、恵まれていることは何かを考えて感謝しなさい、ということだ。体調が悪くなるとどんどん追い詰められて、何もかも人のせいにし始める。こんな父を世話してくれているホームには感謝こそしても、決して文句を言ってはいけないのに。

まず暖かいお風呂に入れることに感謝。お風呂に入れる家があり、とりあえずおいしいものを食べたり、ささやかなものを買うことができるお金もある。子供たちはちゃんと育って、無問題とは言えないが安定している。父もホームに住んでいて一応のケアはしてもらえる。などなど数えることにする。

これからもっと健康に気をつけるようにしないと、このままでは体調は悪くなる一方かもしれない。

それにしても伏見稲荷大社に初詣に行った途端に具合が悪くなるなんて、普段からの行いが悪いせいなのか。と思いながらあちこちにあった賽銭箱を思い出す。商売繁盛の祈願をしに初詣に行く人が多い伏見稲荷大社は、三が日のお賽銭だけで11億2千万円ぐらい集まるだろうと推定されている。

やっぱり二人で百円のお賽銭は
セコかったのね

2014年1月10日金曜日

気力低下

このところ気力低下を感じる。やっぱり寒いのがつらい。日本の夏の暑さと冬の寒さについていけるよう体力をつけないといけない、といつも思うのに何も始めていない。

新幹線から見た関ヶ原

雑誌で見た銀座にあるクリニックに行って、体調が悪くなる原因を調べてもらおうか、などと考えたりする。が、原因はわかっている。身体の糖化。それから遅延型食物アレルギー。これらプラス酸化ストレス測定検査などを受け、初診料の21000円を含むと全部で10万円近くかかる。

父が昔北野天満宮の市で買って来た蝋梅が咲いた
そろそろしっかり身体のことを考えないといけないのだから、予約してみようかと迷う。なのに、皮膚科を優先してしまい、東京にあるクリニックに水曜日に行って来た。いつも行く大津のクリニックの治療費に比べると、東京には星の数ほどクリニックがあるから、交通費を考えてもその方が安くすむのだ。皮膚科でいつも診てもらうのは、バリア機能が低下していつも痒い顔だ。

何もかも口に入れるアプ
紀伊国屋のおにぎりを食べながら、京都に帰る新幹線で桐野夏生の『女神記』を読んでいたのだが、暗い小説で段々気がめいって来る。そんな時父のホームから電話があった。新幹線の中では音もうるさく留守電メッセージも聞こえない。姉にメールしてホームにかけ直してもらった。

また父が色々と騒いでいるのかと思うと余計気がめいる。なんで他の入居者のように穏やかにニコニコと人に迷惑をかけずに暮らせないのか。それにしてもホームからの電話で、家族に対処してくれ、と言われてもどうにもならない。父は孤独なのだ。気分を変えるように話してくれればいいのだ。娘さんは夕方来られますよ、それまで一緒に運動でもしましょう、と声をかけてくれればいいのだ。どうにか学習してもらえないものだろうか。


火曜日に久しぶりにわいわい広場に行ったのだが、父の顔は眉が逆八の字になって釣り上がり、法令線がくっきりとあるので顔に大きなXを描いたように見える。が、足を高く上げましょう、という時だけははりきっている。

先生が今日はかるたで遊びましょう。まずこの絵を見てください、と魚の絵を皆に見せる。どうもこの魚は鯉でまな板に載っているらしい。その絵を見て先生が父に聞く。これ何ですか。

父は『まな板の鯉』と誇らし気に大きな声で言う。ドーパミンが出始めているのがわかる。父がニヤリと微笑みながら付け加える。『私のことです。』そうか、父はホームで暮らしている自分のことをそう思っているのか。


父には興味の持てる話をしてあげれば顔がいきいきとしてくるのがわかるが、普段は殆ど寝たり起きたりの生活のようだ。最近は6時半ぐらいにホームに行くと寝ていることが多い。その寝顔は完全にボケ老人のものだ。

今日は姉が東京に行っている。以前は姉と私とで一緒に東京やニューヨークに行ったりしていた。が、今は一緒には行けない。父の世話があるからだ。


このお正月は補聴器のことで思った以上に大変だった。12月29日に壊れて以来父は夜用の補聴器を使っていなかった。だから昼用の耳かけ式の補聴器しか使っておらず、1月7日に夜用のポケット式補聴器が届いた時には、夜用の使い方を忘れていた。

夜用
昼用

それは完全に想定外のことだった。長年使っていたポケット型の補聴器の使い方を忘れる?ありえないことだった。いや、いつもの父を見ているとそこまで認知症が進んでいるとは思えなかった。

この分では昼用の補聴器が壊れてしまったらまたトラブルになるのは目に見えている。昼用の補聴器の相談に四条烏丸にある補聴器センターに行ってみた。京都は東京や名古屋と違い、電車の路線が少ない。移動するにしてもJRと地下鉄などを乗り継ぐので時間がかかる。


4日ほど前にもここに来て話したのだが、昼用の補聴器は23万円だそうだ。23万円は高いが、父のお金だ。父のために使ってあげたい。が、果たして新しい補聴器を買って父が使いこなせるのかどうか。無理だ。全く同じものでない限り。


が、外側が同じでも問題はある。音質だ。音質が違うと父は違和感を覚えて使いたくないという可能性がある。そのことを確認するためには父をここまで連れて来ないといけない。父を連れてこんな所まで来れるのだろうか。

と考えながら四条烏丸にあるラクエ地下の進々堂でカプチーノを飲みながらパンを食べる。このカプチーノ、余りにも量が少ない。ピーツでいつも飲んでいるカプチーノに比べると、半分ぐらいだ。1杯ではとても足りない。




パンも足りない
これもストレス