2013年9月30日月曜日

戦友

来週末の父の90歳のお誕生日には、外泊をさせてあげたい。家に帰れるのはこれが最後になるのか、あるいはお正月も可能なのか。

家で父を介護するのは無理、と自分を納得させようとしながらも日々思い悩む。『本当にそうなのか。家でもう少しがんばって世話してあげることができたのではないか。』こうした罪悪感は決して払拭することができない。

物を捨てることのできない父
使い捨てマスクを洗面台で洗う
経験してみないとわからない、という感情にはいくつか種類があると思う。介護の苦しみもその一つだ。例えばこういう話を聞く。親の介護に関しての兄弟間での認識の違いだ。兄夫婦が親と同居して介護をしている。弟夫婦は『お兄さんは親と同居していることで恩恵を受けている。家は親のものだし親の年金があるのだから。兄夫婦は介護をしているとは言っても、実は経済的に得をしているのではないか。』と考える。

弟夫婦は口を出す。『施設に入れるなんて親がかわいそう。親はあんなに元気そうだし、家で世話ぐらいできるだろうに。』そして口は出すがお金は出さない。介護をしていないから、兄夫婦の大変さはわからない。とまあ、これに似た話はしょっちゅう耳に入る。

また、こうも言う人がいる。「介護は赤ちゃんを育てる苦労と似ていますね。」

違う。全く違うものだ。

赤ちゃんを育てる時は将来に光がある。ものが育つ時は先に喜びがあるのだ。果実が実るのを楽しみにするのと同じだ。が、介護は先が見えない。あと2年後には幼稚園に入る、あと10年後には高校を卒業する、と将来を計画したり設計することができない。見えない先にあるのは悲しみだけだ。

父がこんなに早く車椅子を
必要とするようになるとは
夢にも思わなかった
親はどんどん年老いて、脳、身体、感情の全ての機能が低下していく。しかし、明日はそのうちのどれがどういう形で現れるのか予測できない。親のそうした姿を見るのは胸がしめつけられる。自分を慈しみ、学校に連れて行ってくれて、いつも守っていてくれたのが親なのだ。その親がどんどん壊れて行くのを見るのは、筆舌に尽くしがたい悲しみだ。

例えば今日の父はぼんやりどんよりしていて、やはり体温を測っている。35.9度だ。なのに熱がある、と言いながらアイスノンを枕にしている。昨日した『哀愁』の話は全く覚えていない。昨日より一層認知症が進んだように見える。

『親の介護が大変なのはわかるけど、まずは自分の身体を優先しなさい。』と周囲の人たちは言う。自分を気遣ってくれているのはわかる。が、自分を優先できない事柄がある、ということを理解するのはむずかしい。

『先のことを心配しても仕方ないんだから、今からクヨクヨしなさんな。自分が損するだけよ。』と言われる。心配しても仕方ないことはあるが、予測し心配し、準備しておかないといけないこともあるのだ。

日に日に俯きがひどくなる
背中が痛いと言う父を
マッサージする姉

こういうことを言われた時反論してはいけない。わかってもらおうと、納得させようとしてはいけない。未知の感情を想像し思いやることはできても、脳内で体験したり完全に理解・共感することは土台無理なのだ。

一人で介護している人は孤独だろうなあ、と思う。兄弟や姉妹で同じ認識を持ちながら介護できることは幸運だ。同じ敵に向かって団結して向かうことができる。小さな何かを達成した時、同じ喜びを共有できる。夫婦は良く『戦友』と表現されるが、今まで夫に対してそういう感情を持ったことはない。今姉に対しては『戦友』という感情を持つ。

そして夕食には
戦友とさんまを食べるのであった